46 愛憎ロマンス/アズカバンの囚人

やあやあ、久しぶりだねナイトリー。そう声をかけてきたのは魔法省大臣ファッジだ。不気味な鎌を持った男がワルデン・マクネアで彼はかつて死喰い人だった。アズカバンの投獄を逃れ、今は魔法省の処刑人として仕事をしている。嫌な視線を向けられているのは気の所為ではない。

「君も立会に来たのかね?」
「えぇ」
「体調を崩していたと聞いていたが、もう大丈夫なのかね?」

名前の体調不良が魔法省大臣にまで伝わっていて思わず苦笑を漏らす。

「はい、おかげさまで、ところでその帽子、素敵ですね、新調したのですか?」
「わしもそれを思っておった、コーネリウス、その帽子なかなかにセンスがいいと思う」
「そうなんだよ、とても気に入っていてね、生地の中に―――」
「コーネリウス」

できるだけ長く時間を伸ばせないかと雑談してみることにしたが、それを彼の部下によって失敗に終わってしまう。ふと、アルバスと目が合う。
すると、ファッジが扉をノックし、ルビウスに声をかけた。

「ハグリッド、もう時間だ」
「はい、それはもちろん、わかっちょります……」
「ヒッポグリフはどこにいるんだね?」

そう声をかけてきたのはファッジの部下の一人だ。

「かぼちゃ畑にいるんだ、せめて、最後まで穏やかに過ごさせてやりてぇんだ」
「君は小屋の中に居たほうがいいのではないかね?」
「いや、最後まで見守りたいと思っとる……」
「そういえば書類にサインはしなくていいのかね?」
「おお、そうだった、マクネア、君もだよ」

バックビークの処刑の前には、魔法がかけられた書類に執行人含め、立会人たちもサインをする必要がある。マクネアは今すぐにでもヒッポグリフを殺したいのか、サインをせず裏手口に向かおうとしていたので、彼の仲間が呼び止めた。

「……何!?」
「どこじゃ?」

サインを終え、裏手口の扉を開くとそこにはいるはずのバックビークの姿がなかった。一体どういうことだろうか。アルバスに視線を送ると、はて?という表情を浮かべていた。しかし、この事について、アルバスが何も噛んでいないはずはない。何らかの“トリック”を使って、バックビークを逃がすことに成功したのかもしれない。

「ここに繋がれていたんだ!俺は見た!ここだったんだ!」
「確かにおかしいね、さっきまで裏口にヒッポグリフがいたのに……大臣、あなたもこちらへ来る時見ていましたよね?」
「ああ、もちろんだとも、しかし、これはどういう事なんだねアルバス?」
「さぁ、わしにもわからん……ルビウスはこの部屋におったし、この部屋の中にいる人物の犯行ではないことは確かだ」

結局、バックビークの姿はその後確認することができず、カンカンに怒ったマクネアがヤケクソになってその辺にあったかぼちゃに当たり散らしていた。何はともあれ、バックビークが逃げられて何よりだ。

気がつけばあたりはすっかり日も暮れ、夜を迎えようとしていた。月が輝き、魔力の高まりを感じる。そういえば、今夜は満月だが、リーマスは無事、薬を飲んでいるだろうか。あれは飲んだことはないが、血液もどきよりもまずいらしいので、それを満月がやって来るたびに飲まなければならないリーマスを思うと不憫でならない。脱狼薬を飲まなければ、狼人間となり、人を襲ってしまうからだ。狼人間に噛まれた人間は、狼人間になってしまう。魔法薬で変身を抑えることはできるが、この魔法薬も取り扱いなどが難しい代物で、ホグワーツではセブルスしか煎じることができない。

「……?」

コツン、と窓から音がした。音がした方角を見てみると、そこにはまだ幼いアクロマンチュラが一匹いた。縄張りである森から、単身で出てくるなんてとても珍しい。もしかしてアラゴグに何かあったのだろうか、と慌てて窓を開く。

「……え?暴れ柳に黒い犬がいる?」

直接的な声は聞こえないが、頭の中に直接語りかけてくる。

「そうか、アラゴグが君たちに私に知らせるように言っていたんだね、ありがとう」

シリウスを助けるために、森で黒い犬を見かけたら教えてほしいと以前、アラゴグに伝えたことがあった。先程、黒い犬が暴れ柳に向かっていったとのことだ。

「蜘蛛と会話できるなんて、便利な能力だね」
「トム、いいところに、調べ物は終わった?」
「もちろん、僕は何をしたらいいんだい?」

隣の部屋から半透明の状態ですいーっとトムが現れる。

「“ネズミホイホイ”の準備はできてるかい?」
「ふふ、抜かりなく。これだよ」

トムから手渡されたのは、小さなボールのおもちゃ……実はこれ、中には魔法でできたベタベタのノリのようなものがついていて、簡単には引き剥がせないようになっている。ネズミを捕まえるにはどうしたらいいか、と悩んでいた時に、粘着質のノリでねずみを捕まえる罠がを作ったらどうかとアイディアをもらい、トムに作ってもらった代物だ。仕組みは簡単で、このボールを投げればいい。この小ささからは想像もできないほど、大量のノリが中に入っている。おまけに、捕まえたネズミを運びやすくする便利機能も付いているらしい。

「杖を使って、魔力を込めてネズミにぶつければいいよ」
「わかった、ありがとう、早速試してみるよ」

部屋を出ていこうとした時、ぱたりと扉を閉められてしまいぽかんとしていると、実体化したトムの手のひらがさらりと腰に伸びてきた。

「ご褒美」
「…え?」
「ご褒美がほしいな」
「……その、急がなくてはいけないから、あと、でもいいかな?」

こういうときのトムは、何をご褒美に求めているか……。わかってしまう名前は、非常事態といえども恥ずかしそうに目を伏せる。妖艶に笑うトムの目を直視することができなかったからだ。

「っん……」

顎に手が触れた時、まずい、と感じたが時すでに遅し。舌がねじり込まれ、名前の薄い舌が絡め取られる。魔力を抜かれるときの心地よさ…性的な快感が頭の天辺からつま先まで走った。

「んぅっ……んっ……!」

腰をガッシリと掴まれていて、逃げられない。というより、力が入らない。すると、腰を掴んでいた手が、怪しい動きをみせる。尻を揉まれ、小さく悲鳴を漏らす。そんな名前の姿を楽しんでいるトムは、唇を離し、まぶたにキスを落とす。

「とりあえず、頭金はこれぐらいかな」

これぐらいにしておかないと、先生、動けなくなっちゃうもんね。クスクスと笑うトムのその瞳は、名前の瞳と同様に血のように赤く染まっていた。どうやら、ネズミホイホイを作った際に魔力を多少使ったものだから、復活した名前から魔力をもらいに来たようだ。

「ね?ギリギリ大丈夫そうだろう?」
「……っトム、ほんと、君はっ」

唇からこぼれた唾液を、ぺろり、トムが舐め取る。舌の侵入を許してしまえば、アラクネの子として“準備態勢”に入ってしまう。スイッチが入らないよう、意識をしないようにしているが、体は正直だった。早く、シリウスの下へ向かわなくては。不穏な気配を感じ名前は唇を固く閉じ、そして、トムの胸を押した。

「実は結構魔力を使ったんだ、それ」

でも、魔力吸いすぎちゃったかもしれない。ごめんね、とトムは妖艶に笑う。

「あ……ありがとう…その、また後でね」

これをお願いした立場としては、名前は何も言い返すことができなかった。何しろ、彼が魔力を使うきっかけを作ったのは自分なのだから。
学生の頃の記憶のトムだったとしても、あの天才が作り出した魔法道具だ。廊下を駆けながら、このボールには一体どんな魔法がかけられているのだろうと少し不安に思ったのは言うまでもないだろう。

暴れ柳にたどり着くと、名前はその表面にある小さなコブにそっと触れる。すると、小さな入り口が木の表面に現れる。その扉を開くと、扉の向こう側から何やら誰かの怒鳴り声のようなものが聞こえてきた。暴れ柳がホグズミードの叫びの屋敷に繋がっていることはホグワーツの教員を含む、ごく一部の者しか知らない。この木は、リーマスがホグワーツに入学するときに植えられたもので、当時、狼人間に噛まれてしまったリーマスも魔法使いとして勉強ができるよう、名前が考案して準備したものだ。満月の夜の間とその前後、彼が人から離れて、安心して過ごせるようにする必要があったからだ。

「友よ…懐かしの友よ……」

男にしては甲高い声が聞こえてきた。もしや、ピーターではないだろうか。しかし、ここで慌てて扉を開いては、この中にいる誰かが驚いてしまい、その隙にピーターが逃げかねない。ここは慎重に行かなければ。念のため、魔法で小型化した録音機を持ってきておいて正解だった。ポケットからそれを取り出すと、扉の向こう側で繰り広げられている内容をすべて録音することにした。
この中には、どうやらピーターとシリウスとリーマス、そしてどういうことかハリー、ロン、ハーマイオニーがいるようだ。

シリウスやピーターから語られた真実はこうだった。予想していた通り、目眩ましとしてあえてシリウスではなく、ピーターを秘密の守人にした。しかし、ピーターがヴォルデモートにポッター家の情報を売り、彼は逃亡。しかし、犯人が誰かわかっていたシリウスは裏切りに気が付き、ピーターを捕まえに向かった。そして、ピーターは指を1本残してアニメ―ガスに変身して姿をくらます。ウィーズリー家のペットのネズミ、スキャバーズとして。シリウスが脱獄できた理由は、自分自身が無実だと知っていたからだ。そして、新聞を見て、新聞に映り込んだ指のないネズミの写真を見て、ピーターの居所を見つけた。それからのシリウスの行動は素早かった。看守たちが食事を持ってきた隙に、監獄を脱獄したというわけだ。ディメンターは動物の気配には疎い。なぜなら、動物の魂は食事にならないからだ。

「友を裏切るぐらいなら、死ねば良かったんだ!我々だってお前のためにそうしただろう!」

シリウスの張り裂けんばかりの声が聞こえてきた。そろそろ部屋に突入したほうが良さそうだ。ピーターが犯人である証拠も、彼の肉声を手に入れることができた。彼と、この録音した証言を魔法省に突きつければ、シリウスの無実が晴れて証明される事となるだろう。録音機のスイッチを切り、名前はトムが準備してくれたネズミホイホイを投げ飛ばす準備をする。

「ヴォルデモートがお前を殺さなければ、我々が殺すと。ピーター、さらばだ」
「やめて!」

ハリーの叫ぶ声が聞こえてきた。ハリーは自分の両親が彼の裏切りによって殺されてしまったというのに、ピーターをかばった。シリウスに、彼を殺して、シリウスの手を汚す必要はないと説いたのだった。

「やめなさい、シリウス」

子どもたちの前で人殺しとは、大人の風上にもおけないやつだ。次の瞬間、名前は勢いよく扉を開く。突然現れた名前の姿に一同は驚いた。
真ん中に居た彼を見逃すことはなく、一瞬の隙も作らずに、名前は杖を部屋の中央に向け、ネズミホイホイを投げつける。彼は今にも逃げ出そうと変身する途中だった。

「―――うわあ何だ!?」
「え?」
「い、いす?」
「何……先生、どういう事なんですか?」

何か攻撃されるとシリウスは身構えていたが、予想外の出来事に目を丸くさせている。
ネズミホイホイが当たったピーターは、変身することができず、突然現れたマグルの拷問道具のような椅子にくくりつけられ、部屋の中央で悲鳴を上げている。舌を噛みちぎらないよう、口にも拘束具が着けられていて、この徹底した感じは流石はトムと言うべきか。なるほど、運びやすい装置ってそういう事か、と関心している暇はない。

「先生!!」

ハーマイオニーが扉からやってきたのが名前だと気が付き、飛びついてくる。殺人鬼と言われているシリウスと対峙していたのだから、怖かったに決まっている。ピーターが暴れ出して妙なことをしないよう、ハーマイオニーたちの前にかばうようにして立つと、杖をおろし、シリウスとリーマスに視線を送る。杖を下げてほしい、という意味を込めて。

「ハーマイオニー、ロン、ハリー、もう大丈夫だよ、さてと、シリウス、君の証言はばっちり録音させてもらったから安心してほしい、実は扉の向こうでしばらく録音させてもらっていたんだ」

ポケットから録音機を見せると、それが何なのかよくわかっているハーマイオニーはあっと声を上げる。それと同時に、名前がシリウスの味方であることを察した。

「ハリー、君は素晴らしい魔法使いだ、君の両親を裏切った彼を殺さず、生かした。彼を殺さなかったのは本当に正しい判断だと思う」

そして、すぐさま中央にいるピーターに向き直り、鋭い言葉を投げかける。

「ピーター、君は友達を裏切るべきではなかった、君がやってしまったことは、最低の行いだ、ジェームズたちを裏切っただけではなく、その場にいた無実の人々をも巻き沿いにして殺した……自分自身が逃れるために」

彼が真犯人だとわかった今、彼の罪状はかなり重たいものになっている。アズカバン送りはほぼ決定で、場合によってはすぐにでもキスが執行されるかもしれない。
何がなんだか、訳が分からず、シリウスは杖を上げるべきか下げるべきか迷っている様子だ。しかし、リーマスが杖をおろし、彼から下ろすよう視線を送られると、シリウスもゆっくりと杖を下ろした。

「アルバスも疑っていたんだ、ずっとね……どうしてシリウスがそんなことをしたのかと……でもこれで、ようやくシリウスの無実が証明されるね」

だからって、生徒に危害を加えていいわけではないからね。怪我を負ったロンの足を見て、シリウスを咎めるように小言を漏らすと彼は申し訳無さそうに頭を下げた。

「さて、ハリー、ロン、ハーマイオニー、君たちがなぜここにいるのかはわからないけれども、今は事情を聞いている暇はなさそうだ、まず君たちは今すぐに医務室へ向かうこと」

ゆっくりとかがむと、ロンの痛々しい足に治療の魔法をかける。魔力がバッチリ回復したので、ロンの足もすぐに元通りになった。そして、ハーマイオニーとハリーの切り傷を治療し終えると、ようやく3人はホッとした表情を浮かべていた。

「ワーオ、すごいや先生……これって、ハリーがあいつに骨抜きにされた魔法のちゃんとしたやつ?」
「そうだよ、結構繊細で難しい魔法だけど、覚えると非常に便利だよ」

ただ、すごい魔力を消費するから君たちはそう連発できないかもしれないが…。とは言えなかったが、普通の魔力量でも、傷はある程度癒せることができる。覚えておいて損はないだろう。

実は、去年、君が無実だろうと確信した時に、アルバスやリーマスにも事前に相談していたんだ。そう言うと、シリウスはもちろんのこと、ハリやロン、ハーマイオニーも驚きの表情を浮かべていた。

「……だから、すぐに俺が無実だと……?」
「僕も、もっと君を信じることができればよかった、すまなかった、シリウス」
「いいんだ、友よ」

和やかなムードの傍らで、ピーターが震えながら名前の姿を見上げた。とても怯えた様子で、ヴォルデモートからなにか吹き込まれていそうな気配があった。いや、今はそんなことを気にしている暇はない。名前がヴォルデモートに狙われていたことは、シリウスやリーマスだって知っている。何も知らないハリーたちに余計な混乱をさせないよう、視線を後ろにいるハリーたちに向けた。

「僕たち、頭の中、こんがらがってるみたいなんです」
「無理もないよ、一夜にしてこんな出来事が起きたのだから、体を休ませたら、アルバスから事情を聞くといい」

ひとまず、アルバスにピーターを捕らえたことを報告しなければ。名前は胸ポケットからマグル界では有名な文房具メーカー製のメモ帳を取り出すと、そこに状況をざっくりと走り書きし、それをふくろうの足にくくりつける。ふくろうは静かに飛び立ち、ホグワーツへと向かっていった。ホグズミード村からホグワーツ城まではそう離れてはいない。

「ん?ちょっとまってくれ君たち、部屋の片隅で倒れているのってもしかして……」
「あ……そういえば、忘れてました」

タンスの影に隠れるようにして、そこにはセブルスが倒れていた。事情を聞くと、ハリーたちを追いかけていたセブルスが、シリウスと戦いになりかけたとき(もちろん当たり前の反応だが)ハリーがセブルスに魔法をぶつけてしまったようだ。いくらセブルスとはいえ、あまりにも不憫な状況に憐れみを感じざるをえなかった。