45 愛憎ロマンス/アズカバンの囚人

ホグワーツが銀世界に包まれた早朝、名前の部屋には大男が一人嗚咽を漏らしていた。あいつが処刑されちまう―――そう言いながら、大男もといルビウスは名前から手渡されたハンカチ(実は最初に渡したハンカチは早々にびしょ濡れになってしまったので彼に手渡したものは今ので4枚目になる)を片手に、肩を揺らしながら泣いている。彼は朝食の時間よりも前に名前の部屋を訪れ、ぐしゃぐしゃになった手紙を見せてくれた。

ハグリッド殿
ヒッポグリフが貴殿の授業で、生徒を攻撃した件についての調査で、この残念な不祥事について貴殿には何らかの責任はないとするダンブルドア校長の保証を我々は受け入れることに決定いたしました。

ここまでは良かった。
問題はその下の文章だ。

しかしながら、我々は当該のヒッポグリフに対し懸念を表明せざるをえません。我々はルシウス・マルフォイ氏の正式な訴えを受け入れることを決定いたしました。従いまして、この件は「危険生物処理委員会」に付託されることとなります。事情徴収は4月20日に行われます。当日、ヒッポグリフを伴い、ロンドンの当委員会事務所まで出頭願います。それまでにヒッポグリフは隔離し、繋いでおいた状態で管理をお願い致します。 敬具

「……ルビウス、私が以前忠告していたことを覚えているかい?」
「うっ……ぐすっ……も、もちろん、だ」
「ヒッポグリフは一般的には危険な魔法生物に分類される、君の感性だけで授業で扱う魔法生物は選んではならないと忠告していたはずだ」
「ぐすっ……俺が、全部わりぃんだ、名前の言う通り、俺が、ちゃんと、忠告を聞かなかったからっ…うぅっ」
「いくらヒッポグリフが悪い生き物ではなかったとしても、生徒が怪我をしてしまった事実はどうにもならないからね、しかし、どうしたものか……」

今回は相手も悪かった。ルビウスの授業でマルフォイ家の息子が怪我をしてから、ルシウス・マルフォイのお陰で事務処理が大変だった。アルバスが周りに根回しをしてくれていたおかげで、ハグリッドのホグワーツ追放だけはなんとか避けることはできたが、ヒッポグリフまでは庇いきれなかった。魔法省により刑が処されるされるまでの間、生徒たちが近寄らない城より離れたところで彼を鎖に繋いで置かなければならない。そのため、可愛そうではあるが、禁じられた森のすぐそばにあるかぼちゃ畑にバックビークを繋いでいる。

「ど、どうしたらええんだっ…ぐすっ……」
「裁判まで、バックビークも証拠の一つだからね、隠すこともできないし、こちらで逃したら大変な事になってしまうよ」

大変な事というのは、つまりアズカバン行きという意味だ。ルビウスにとっては二度目のアズカバン行きになりかねない。もう二度とあそこへ行くのは嫌に決めっている。

「……裁判はこれからなのだから、頑張ろう、ルビウス」
「お、おうっ……」

そんなに時間は残っていないが、まだやれることはあるだろう。とりあえずアルバスの元へ報告に向かうことにしたルビウスは、名前の部屋から出る頃には少し落ち着きを取り戻していた。ただ、目は泣き腫らしたため腫れぼったかったが。
クリスマスの朝、ハリーにファイアボルトという箒がプレゼントとして贈られてきたらしいが、送り主が不明とのことでしばらく没収されてしまっていたが、妙な呪いもかかっていないことが判明して、無事返されたそうだ。はじめ、アルバスが贈ったとばかり思っていたが、そうではなかった。
ちなみに、今年のクリスマスはやらなければならないことが山程あり、またディメンターがホグワーツの周りをうろついているということもあったので、毎年行っている墓参りは来年に持ち越しとなった。

シリウスの足取りがなかなか掴めずにいなかったが、ある日、シリウスが突如グリフィンドール寮に現れて大騒ぎとなった。忘れっぽい誰かが合言葉をメモしていた紙を落としてしまい、それがシリウスの手に渡ってしまったようだ。ロンのベッドの上に現れたらしく、ナイフを突きつけられたらしい。しかし、シリウスの無実を信じている名前は、彼が別の者を狙って犯行に及んだとわかっていた。この事件で明らかになったのは、やはり、ロンのペットのスキャバーズは、ピーター・ペティグリューであること。こんなことにならないようにするためにも早いことシリウスを保護したかったのだが、起きてしまったことはどうにもならない。
スキャバーズはあれから逃げてしまったらしく、捕まえるにも捕まえられないし、ロンにもどうやって事情を説明するべきか……。

それから月日が流れ、できる限り準備をして挑んだ裁判にも敗訴してしまい、控訴裁判でもバックビークを助けることはできなかった。そして今日、その処刑が行われる。

「魔力が高まってる……もう制限をかけなくてもよさそうだ。あ、そうか、今夜は満月か……」

月には不思議な力がある。月の満ち欠けによって影響を受ける魔法生物は少なくはない。その中でも満月の夜は特別だ。満月の夜は、特に魔法生物の魔力が高まる時期で、アラクネの子である名前にもそれが該当する。いつもより赤みが強い自身の瞳が鏡に映り、改めて実感した。
いつもの棚から赤い瓶を取り出すと、その中に入っている魔法薬をトクトクとコップに注ぐ。その様子を、実体化させたトムが見つめている。

去年のクリスマスごろまではこれを2日に1回は飲まなければならない状態だったが、最近では1週間に1回飲めば満足できるほどに、魔力が回復していた。ホグワーツという、大昔から魔法がかけられている、魔法力に満ちた空間で過ごしているというのも早い魔力回復の理由の一つなのかもしれない。

「それ、いつも思うんだけど美味しいの?」
「味かい?うーん、慣れたから今更だけれどもあまり味を楽しむものじゃないかな……」
「だろうね」

ふわりと宙に浮かぶと、名前が腰をおろしているソファの反対側に、背中を合わせるようにしてもたれかかった。

「血が入っているんだっけ?」
「……まぁ、私の本来の食事は“血”だからね、私の体質に合う生き物の血を混ぜて作った魔法薬なんだけれども、時々、もう少し美味しくならないかな、とは思うことはあるよ」

魔蜘蛛の食料は主に血。そして、名前の体質に合うものは羊の血だった。羊の血をそのままの状態では保管することが難しいので、ニガヨモギなどの材料と混ぜて魔法薬にすることによって、長期保存できるようにしていた。この魔法薬には特殊な成分が含まれていて、
さらに血を好む生き物用(主にヴァンパイアだが)の魔法薬だ。これで悪い商売などをしないよう、特殊なライセンスを持ったものだけが調合できるようになっている。裏で勝手に調合をすれば、魔法薬物製造違反となり、法的に裁かれる事となる。そもそも簡単そうに見えて非常に難しい魔法薬でもあるので、調合できる者はごく一部。ヴァンパイアたちが裏で違法な血の魔法薬を作っていると過去に問題になったことがあるが、彼らの“食事”になりたくないのであればある程度見逃す必要があったため、人族以外による血の魔法薬の調合は、グレーゾーン扱いになっている。名前にも魔法薬の才能があれば、ぜひとも調合したい魔法薬だったが、あまりにも繊細過ぎて扱う事ができない。このホグワーツでも、セブルス・スネイプだけがこれを調合するライセンスと、技術を持っている。
ちなみに、この魔法薬に使用できる血液は、動物の血液だけと定められている。人間の血を使ってしまうと、恐ろしい呪いが効能に加わってしまうからだ。大昔、人間の血を使ったこの魔法薬で大事故が起きたことがある。調合した者も、その血液を提供した者も、見るも無惨な姿になってしまったのだとか。

「“血液もどき”だっけ?確か」

この血の魔法薬の正式名称だ。名前の場合、羊の血液を主成分として作っているが、なんの血液になるかは人それぞれだったりもする。そもそもヴァンパイアは人間の血が一番好きと言われていて、この魔法薬に頼るときは栄養たっぷりな人間の血液が手に入らないときぐらいだ。
戦時中は血液パックが品薄でさらに人間たちが栄養失調気味だったので、ヴァンパイアたちはこの血液もどきで飢えを凌いでいたらしい。

「流石は首席だね」
「元首席だけどね」

そう言い、トムはおちゃめにウィンクをした。

「その薬は誰が?」
「あー、これは、魔法薬学のセブルス・スネイプ教授が煎じてくれているんだよ」
「先生は魔法薬が絶望的に苦手だったから、誰かに煎じてもらってるんじゃないかとは思ってた」
「ははは……」

何も言い返すことができず、苦笑を漏らす。

「血液もどきって……そういえば、ノクターン横丁に取り扱っている店舗が1つだけあったかな……ヴァンパイアが時々それを求めてやってくるから、店主がその度に緊張したって言っていたような」
「あー、あの奥の店だね……ノクターン横丁でも、奥の路地の……って、君、どうしてそんな危ない場所を知っているんだい?!」
「ふふ、僕はいろんな知識を吸収したかったからね、アルバイトももちろん、そのためさ」

というか、未来の僕を知っている先生なら、別に驚くこともないと思うけれども?
そう言われ、はっとする。そうだった、つい忘れそうになるが、彼は学生の頃のヴォルデモート卿の記憶。未来の彼の行いを思えば、別に不思議なことではなかった。

その日の夕方、すべての授業を終えると名前は足早にルビウスのいる山小屋へと向かった。今日はバックビークが処刑される日。日没に刑が処される事になっているので、もしかしたらそろそろ役人が小屋に向かっている頃かもしれない。そんなつらい時間を、ルビウス一人ではあまりにも可哀想だ。耐え難い苦痛を乗り越えなくてはならないのだから、せめても、と思い名前はアルバスと共に立ち会うことにしていた。

「ルビウス、いるかい?」
「っ、あぁ!ちょっとまっちょくれ、部屋を片付ける!」

小屋の中からドタバタという騒音と共に、ルビウスの声が聞こえてきた。名前の声に反応して、ファングがワンワンと吠えている。
日没まではあと1時間ほどしか残されていない。小屋の周りを見渡すと、バックビークがかぼちゃ畑で羽をくつろがせていた。彼はこれから、自分が殺されるということをわかっているのだろうか。そう思わせるほどに、彼はとてもリラックスしていた。きっと、ルビウスが彼のために色々と手を尽くしたのだろう。

「やぁ、バックビーク、おやつを持ってきたよ」

生肉をカバンから取り出すと、それを彼のくちばしめがけて投げる。ばくり、と上手にそれを鋭い嘴で挟むと、一瞬で丸呑みしてしまった。バックビークは満足そうに鳴いている。

「君は強いね……死を受け入れているんだ」

バックビークの瞳を見て、なんとなくそう感じた。彼はすべてを受け入れていて、その時を穏やかな気持ちで待っているようだった。

「……もう来たのか」

白の正面玄関から、アルバス、ファッジ、そして委員会のメンバーと死刑執行人のマクネアがぞろぞろと姿を表した。それが視界に入り、はぁ、とため息を漏らす。そして、同時に無念さが込み上げてくるのを感じた。