タイム・ターナーで戻ってきた際、時間のずれが生じた。そのお陰でルフィたちとの約束の日まで1年しか無く、レディ・ソーイングの元での修行はそれから半年後に始まった。ちなみに、ロシナンテは今ローが保護してくれているらしく、こちらに帰ってきて早々、シャボンディ諸島にいるレイリーの電伝虫から連絡を取ってきた。積もる話もあったが、彼もまた今多忙らしく1年後に会おうと約束をし、それから連絡は一切取っていない。
「いつ見てもソーイングさんの作品は美しいわね…はい、これお金」
「はい、ありがとうございます」
かの有名なレディ・ソーイングとの修行は、生半可なものではなかった。仕立て屋としてもそうであったし、覇気の扱いに関しても彼の先を読む能力は素晴らしかった。それをこの半年でみっちりと修行をし、会得しなければならないので時間に一切の余裕がない。今日もレディ・ソーイングの無茶苦茶な修行内容をこなすため、治安最悪な“コノ街”という街に来ている。
「ゆっくりお茶でもしていって、外はギャングたちが暴れてるだろうから」
「いえ、お気持ちだけで…それに、あれぐらいなら大丈夫です」
過去ではそのギャングの元締めみたいな場所にいたので、あれぐらいかわいい子犬が吠えている程度にしか見えないぐらいには成長したつもりだ。部屋の窓を見下ろすと、銃を住人に突き付けている男が目に入る。街並みは荒れていて、向こう側のアパートからは女性の悲鳴が聞こえてきた。まだ上手にコントロールをすることが出来ていないが、ある程度の距離ならばそれを“見る”ことが出来る。
「へぇ、流石はソーイングさんのお弟子さんね…ソーイングさんのお弟子さんで一番有名な人と言えば、あの人かしら…とある王国の船団の隊長を務めているって噂だけど…」
夫人の話に耳を傾けながら、別の方角に精神を集中させるのは至難の業。しかし、これが出来なくては“もしもの時”の為の力が発揮できない。レディ・ソーイングに言われたことは二つ。まず一つ目は体力が足りなさすぎるので、基礎体力をつけること。二つ目は自身の力は“サポートタイプ”なので、戦いの際は後方で様々な動きが出来るよう“自身の能力を開花”させることだ。体力の問題は、過去の世界でも問題になってはいたが、あの時それなりに体力をつけたつもりでいた。しかし、レディ・ソーイング曰くそんな体力じゃすぐに死ぬ、と言われてしまった。確かにルフィたち体力お化けたちと比べてしまえばそうかもしれないが、覇気を扱う以上一に体力、二に体力…という訳で、師匠お手製の特別な繊維の服を着て日々修行している。この繊維は不思議なことに見た目よりもうんと質量があり、重りをぶら下げているかのような重さがある。
「もしかして、キャサリンさんのことですか?私も実際はお会いした事が無いのですが…」
「男性だった気がするけど…まぁ、ソーイングさんならばたくさん弟子がいて不思議じゃないわね」
レディ・ソーイングの弟子は、自分を含め世界に24人いるらしい。うち、二人がとある王国にいるらしく、ルフィたちと待ち合わせている約束の日、彼らもシャボンディ諸島へ向かう事になっているらしい。師匠の電伝虫からその話を偶然聞き、彼らの所にサンジが居ることも知った。直接彼と連絡することはできなかったが、元気にやっているようで何よりだ。
『助けて!やめて!!近づいてこないで!!』
『へっへっへ…娘さん、おとなしくするんだ…』
『いやぁ~~~!』
精神を集中させ、あちら側を見る。これぐらいの距離なら、無言呪文で男たちの動きを止めることができるだろう。夫人の部屋を後にし、名前は建物の屋上までひょいと上ると例のアパートに視線を向ける。
“インカーセラス”
無言呪文を唱え、男の身体をぐるぐるに縛り付ける。その隙に女性は無事逃げ出すことが出来た。縛り付けた男は…まぁ、あと2日ぐらい経てば魔法が解けるだろう。という訳で、放置が決定し、名前は姿くらましをする。
師匠から与えられた修行は、仕立て屋の仕事をしながら見聞色の覇気を使う事。二つの事を同時にこなすのは得意だったが、これが簡単に見えてとても大変な修行だった。これをマスターすれば、少し先の未来を意図的に見ることが出来るのだという。名前は何度か少し先の未来を見たことがあったが、全て偶然見えたもので能力をコントロールできたわけではない。世の中には、この能力に長けた人たちがいるらしく、いずれは立ち向かう事になるだろうと言われている。そんな人たちを相手に生き残っていくには、自身の能力を開花させ、覇気をきちんと会得すること。
ぷるぷるぷる――――
ふと、電伝虫が鳴き始めた。これは師匠の電伝虫だ。
「はい、24番です」
「24番弟子、13番弟子の所へ行き、手伝ってやりな」
「え?何かあったんですか?」
ここでの呼び方は、名前ではなく何番目に弟子になったかで決まる。
「―――えぇ!?そんなことが!?」
「あぁ、だから行ってやってくれ、あいつはいま身体を壊してる」
13番弟子のソランがいる島はここのすぐ近くにあるので、名前が向かう事となった。その島では今、政府と革命軍が戦っているらしい。そこで問題が一つ…。名前は政府に追われているので、存在がバレないようにして兄弟子を救う必要があった。ここで奴らに捕まってしまっては、今までの修行も何もかもが無駄になってしまう。
覇気は危機的状況になればなる程に研ぎ澄まされていく能力なので、覚悟はしていた。しかし…政府の人間がいるところに忍び込み、バレることなく兄弟子を救い出すことが果たして今の自分にできるのだろうか…いや、できる出来ないの問題ではない、やるしかない。
「頑張ります…!」
不安で仕方がなかったが、人間なんとかやっていけるものだなとこの1か月で実感している。短期間で覇気を会得しなければならないので、荒削りではあるが危機的状況にいることがとても重要だったりする。兄弟子たちは何かと物騒な街に店を広げていることが多く、兄弟子たちを手伝いに行くのは今の名前にとってはとても望ましい修行だった。
「じゃあ頑張れよ」
通信を傍受されても困るので、電伝虫での連絡は短めに済ませ、名前は兄弟子の待つ島へと向かっていった。
それから時は流れ、
魔女・名前が消息を絶って間もなく2年を迎えようとしている今日、男は山積みになった書類の中からうめき声をあげる。海軍でも色々とあり、元帥がサカズキに変わってからというもの、男の仕事部屋には次々へと書類が運ばれてくるようになった。元々元帥のサポート役のような立場だったので、男にとっては上司が変わっただけではあったが、前の上司がどれだけ優秀で穏便に済ませていたのか、彼が居なくなってから改めて実感させられることとなってしまった。
「…助けて…」
「―――仕方がありませんよ、ここも人手不足なんですから…」
報告書などの確認に、もう2週間はかかっているだろうか。部屋に閉じ込められ、座りっぱなしの為腰は痛いし、眼精疲労でずきずきと頭に鈍痛が走る。もう若くないのに、見た目が若いからと勘違いされてサカズキにかなりの量の仕事を与えられていた。今の上司である彼にはけして言えないが、早く自分も隠居したい…と思ってしまうのは仕方のない事。ここには残念なことに労働基準法が無い。
「それにしてもあの人には困ったものですね」
「―――はぁ…」
かれこれ、今年に入って電伝虫を23回も変えた。悪質な電話をかけてくる某海賊の声を聞きたくないからだ。最近になって頻繁に奴からかかってくるようになり、あの男がまたろくでもない事を考えていることは明白だった。
「―――どうせろくでもない事だ」
「…まぁ、そうなんでしょうね」
「―――噂だと、シャボンディ諸島にあいつらが集まるらしい…」
彼の言うあいつらとは、麦わらの一味の事だ。
海軍の情報筋によれば、麦わらの一味が子分を集める為、間もなくシャボンディ諸島に集まるらしい。麦わらのルフィの事はそんなに詳しく知らないが、果たしてそんな男だっただろうか…。しかし、その情報を掴んでいる以上は海軍も動かない訳にはいかない。
「僕も確かめに行きたかったんだけど…こんないじめを受けている以上外にも出られないよ…」
「…まあまあ中将、頑張りましょう」
麦わらの一味の噂は偶然にも、“本物の麦わらの一味”が集まる日でもあった。まだその事を知らない海軍は、軍艦をシャボンディ諸島目指して走らせている。
「…クザンさんは一体どこにいるんだろう…」
「中将…その話題はちょっとまずいですよ」
「…わかってるよ、ただ、流石の僕も少し疲れたってだけさ…」
弱音のひとつやふたつ、吐きたくもなる。
この2年で海軍の組織も大きく変わった。トップが変わった事と、それに伴いクザンが海軍を抜けたこと。事情を知る者はこのことに関して口を閉ざし続けている。
「…まったく…何が“夜会にご招待いたします”だよ、不愉快になる手紙だ」
男が視線を向けるその引き出しの中には、とある王国のエンブレムが印刷された封筒が一通横たわっている。
「流石に返事出さないとですよ…」
「―――わかってる、何しろ“国王名義”で来てるんだ…」
絶対に“わざと”この名義で送ってきたに違いない―――。
これが届いたのはつい先日―――破り捨ててやりたい衝動をなんとか抑え、部下によってここにしまわれた。彼を悩ませる大きな問題であり、これから起こる大事件の始まりに過ぎない。