あの男の不思議な所は、船に“女”を連れてこないという事。自分の領域を他者に汚されたくないというこだわりがあるのかもしれない。お陰様でそちらの方向性で教育上悪い光景を子供たちに見せることも無く(そもそも海賊である以上教育上悪いも良いも無い)過ごせていた。しかし、今日男たちは子供を残し、街に向かっていった。船に残されている大人は名前と、コラソン、そして相変わらず子育てで忙しいジョーラの3人だけだ。
「あなたも男の人なら行けばよかったんじゃないの?」
「何を馬鹿なっ…」
思わず声を荒げる彼に人差し指を向ける。
「静かに…」
「―――っサイレント」
これで声も外に聞こえないから安心だ。あれから名前とコラソンは不思議な同盟関係で結ばれており、一緒にいる機会も増えたような気がした。何となくだが、最近ドフラミンゴは何かとコラソンと名前を一緒にいさせようとしている。彼らの“距離”が縮まったのを感じているのだろう。だから、今回も船番としてコラソンを残した。ディアマンテたちには何やら下品なジョークを言われていたが、名前はその光景をじっと白い目で見つめていたのは言うまでもない。
「船にいなければ、何かあったら大変だろ」
「大丈夫よ、ローたちは私が守るもの」
ここに来て、海軍の軍艦に襲われる回数が増えたような気がする。戦いがあれば、ローたちを守る為魔法を使うが、その度に使用できる魔力量が大きくなり、効果も上がったような気がした。だからそれなりに防衛戦はできるつもりだ。
しかし、コラソンは真面目な男として、その性格からそういう店には立ち入らないようにしている。仕事柄仕方なく…というのもあるが、入らなくてもいいのであれば入りたくはない。
「…ともかく!いいんだ、俺はそういうの…好きじゃねぇし…苦手なんだ、正直」
「はぁ、眠たい…お休みコラソン」
「え!?俺の話は終了!?」
ローの病気を治す術を探る為、家事のない夜は本を読んだり、新聞を広げたりと情報収集に勤しんでいる。コラソンを取り残し、名前は部屋に戻る。引き出しから羊皮紙を取り出し、羽ペンにインクを浸す。やっぱり、これが一番書きなれている。マグルの世界のペンは使いやすいが、名前は羽ペンで文字を書くのが好きだった。カリカリと心地よい音が室内に響き、耳をすませると子供たちの寝息が聞こえてくる。波の音は穏やかで、それを聞いていると心まで穏やかになっていく。
「…わっ、びっくりした…まだ起きてたの?」
「―――君か…いや、少し気になることがあってな…」
「ふうん…やっぱりお店に行きたかったの?」
「違っ――――」
「ふふ、冗談よ―――あ~あ、あの人たち居ないとこの船本当に静かね…」
「あぁ…」
こういう日も、悪くないと思う。さざ波の音に包まれ、穏やかな朝を迎えた――――はずだった。
朝方、ドフラミンゴ率いるファミリーの男たちが船に戻ってきた。防臭魔法をかけざるを得ない程の香水臭さと、その騒音で眉間にしわを寄せる。
「帰ったぞ」
「お帰りなさい若!」
「おかえりなさいだすやん!」
早朝だというのに、子供たちは元気な挨拶を返す。早起きの名前は朝食の支度をしながらその騒音に耳を傾ける。
「―――っ!」
その時、ドフラミンゴが自分のお尻を叩くような気がして、無意識のうちに姿くらましで移動する。
「…ほう、見聞色の覇気を少し扱えるようになってきたのか」
「うわ、びっくりした…今の感じたものが見聞色の覇気という奴なのね…」
香水臭さを撒き散らかしながら、不敵な笑みを浮かべるドフラミンゴと目が合う。むかつくことに男の言葉で思い出したことがある。そういえば、よく言う”カン“とやらは、見聞色の覇気だと言われたことを思い出した。
「フッフッフ、だが隙を見せたら意味がねぇな」
「きゃあっ」
尻をぱん、とたたかれ悲鳴を漏らす。軽いタッチで触れてきたが好きでもない異性に尻を触られるなどとんでもない。まだ酒が抜け切れていないドフラミンゴは彼女の反応を見て愉快そうに笑っている。
「最低最悪ね……」
絶対零度の世界が広がる。兄が帰ってきたことに気が付き、もそもそと起きてきたコラソンはなぜこんなにも名前が不機嫌なのかわからず、横切る間際心配そうに顔をのぞきこんだ。
「おいコラソン、昨日は本当に“何もなかった”のか?」
「(あるはずがない)」
「…っち、つまらねぇな…」
人をそういうネタに利用するなんて、とんでもなく失礼な男だ。少し見直したつもりだったが、そんなのは気のせいだった。この男は最低最悪のクソヤローで、下品で人を貶めることが趣味のチンピラだ。汚い言葉の数々が頭に浮かぶ。弟が聞いていたらぎょっとするに違いない。
昼下がり、洗濯物を終えた名前は船の近くにいる、とある集団に気が付いた。華やかな服を纏う彼女たちは、見た目からして“そういうお店の女の子”たちだろう。中には未成年ではないだろうかと疑われる少女も混じっており、ほの暗い世の中の一部を垣間見たような気がした。
「…あいつら、ドフラミンゴに会わせろってうるせぇんだ…」
「そうなの?昨日行ってたお店の子たちかな?」
マストの影からひょっこりとローが顔をのぞかせる。
「あの男の事だし…相当羽振りはよさそうだものね。あいつはどこ行ったの?」
「別の取引があるって隣町に、明日には帰ってくるって言ってたぞ」
「ふうん、ジョーラもいないし…コラソンもいないし、この船にいるのは私とローだけって訳ね…」
よし、そうとわかれば。
この船をあえて狙う同業者など居ないと思うので、名前は何も気にせず出かけようと決意する。ローも特にやることが無く船にいるのも暇なので名前の散歩に付き合うことにした。
「…怪しいだろ、この格好」
「え?お揃いのファッションだから、年の離れた姉弟みたいに見えるでしょう?」
「…どうだか」
いつも黒いローブを羽織っている彼女だが、今回のお散歩には新しくローの為に作った黒いローブを彼に着てもらうことにした。弟の小さい時もよくこうしてお揃いファッションを纏って出かけたものだ。あの頃が懐かしい。
「面白そうな裏路地ね…」
「やめとけよ、絶対危ないだろその道」
「そうかな?意外に穴場スポットかも!」
街を歩いていると、建物の隙間から不思議な市場が見えてきた。表の道からではその市場に向かう事はできず、怪しげな男たちがうろついている裏道を通る必要があった。意気揚々とその道に入ろうとする名前をローは止める。この街は、表面だけはきれいだが裏では人身売買が横行しているらしく、裏の道は絶対に入るなと先日ディアマンテたちに忠告されたばかりだった。奴らの“縄張り”に足を踏み入れれば、どうなることやら。
「おい、人の話聞けよ!?」
「大丈夫よ、こう見えても強いんだから、さて、レッツラゴー」
「…はぁ」
ローの手をしっかりと握り、道を進む。ローブを着ていたお陰でいい感じにこの裏の世界に馴染んでいた。周りには“いかにも”な人たちが屯しており、地面にはいくつものガラスの破片が落ちていた。たどり着いた市場では、怪しげな品々が販売されており、どれも健全なものとは言い切れない。
「…これ、買うわ」
「おい、こんなボロボロのカップ、どうするんだよ」
市場の奥で、ひっそりと佇む店があった。そこには色とりどりのカップが並べられており、その中にある、一つのカップに目を奪われる。
「…100万ベリーだよ」
「うわ、高っ、って、おい、払うのかよこんなボロいカップに!?」
「…100万ベリーなら丁度あるわ…おばあさん、これをどこで?」
「ケッケッケ、拾ったのさ…90年くらい前にとある島の海岸に打ち上げられていたのを拾ったのさ、ケッケッケ」
老婆が拾ったという金のカップには、こちらではありえない、“ある印”が彫られていた。これと出会ったのも何かの縁だろう。カップと巡り合うべくして巡り合った…そうとしか思えない。金を払い、カップを受け取ると名前はローを連れその場で姿くらましをする。
「おい、さっきのあれ…何だったんだよ」
「魔法よ?そういえば初めてだっけ?姿くらまし」
「そっちじゃねぇよ、あのカップは結局何なんだよ?」
表の道に戻ってきた二人は、とりあえず昼食を食べるべく小さな喫茶店に入った。
「これはただのカップじゃないわ……ハッフルパフ家の紋章が入ったカップなの」
「は…はっふる?なんだそれ」
「ハッフルパフ家…偉大なる魔法族の一族よ…私は、その一族が設立に携わった学校に通っていたの…ホグワーツ魔法魔術学校というところよ」
「ほ、ほぐわーつ?」
名前が杖を振ると、汚れが落ちきれいな金のカップが姿を現す。
カップの中央には、ハッフルパフ家の紋章が刻印されており、すぐに“こちらの世界”の品物ではないことを悟った。もしかして、大昔来たとされる魔法族(賢者)が残したとされる代物だったりして。
「…うーん、特に何もしかけは無いようね…」
「確かにきれいだけど、これに100万もかける程なのか?」
「えぇ…私にとってはそれほどの価値があったわ」
ハッフルパフ家のカップと言えば、ヴォルデモートが全盛期自らの分霊箱の一つとして選んだ昔の偉人グッズその1だったはず。
「…昔、悪い魔法使いが、これと同じカップに…自分の魂の片割れを入れたの」
「…魂の、片割れを?」
「えぇ…分霊箱と私たちは呼んでいるわ…人を殺して…自分の魂をいくつかに分けたの…だから、そいつは肉体が滅んでも死ななかった、魂がバラバラだったから」
「…不死身だったのか?」
「…いいえ、最後は消滅したわ…ちょっと複雑なんだけど、そいつが殺そうとした少年によって、そいつはこの世から消えたの」
思い出すあの日々。死を覚悟して挑んだあの戦いで、大切な仲間たちを失っても尚進み続けた。信ずる正義のために。大切な人たちの為に。
「色々あったんだな」
「まぁね…さて、このカップどうしようかな…棚に飾ろうかしら」
「使わないのかよ」
「うーん、アンティーク品だしなぁ…」
管理もよくなかったので正直これで紅茶を楽しもうなんて思えなかった。
「おい、魔女、てめぇ勝手に船から出やがったな?」
背後から背の高い男がぬっと姿を現す。その気迫にウェイターは怯えてどこかへ逃げてしまった。せっかくオーダーしようと思ったのに。
「ローと仲良く逃げるつもりだったのか?」
ファミリーの一人、ディアマンテがそこにいた。ドフラミンゴと取引現場に向かっていたはずだが、念のため船に戻ってきたらしい。戻ってきてみれば名前もローもいない。もしやと思い気配を辿ってきたという訳だ。
「逃げれたら逃げてるわよ…食事の邪魔だからどっかへ行って頂戴」
「ここはパスタが有名なんだぜ」
「ちょっと人の話聞いてるの?」
どか、と椅子に腰を下ろす男に名前はため息を漏らす。折角ローと二人っきりで食事ができると思ったのに。結局この日の昼食はディアマンテと、何故か近くにいたコラソンの4人で取ることとなってしまった。