21 キミガタメ/アズカバンの囚人

カザハヤの紋が入った着物を羽織り、名前は最前列に座る。棺に入ったゲンは青白く、中にはカザハヤの紋にもなっている白い蓮華が敷き詰められていた。

「ゲンさん……亡くなるのが少し早いんじゃないかな……」

ゲンと親しい友人たちが次々に蓮華を供えていく。最後に会話をしたのは去年だ。今年は病状がよろしくないため、仕方なく正月行事は欠席していたがまさかそこまで重症だったとは。真夜中になり、カザハヤ以外の人間は追い払われた。祖母の考慮で祖父以外はその部屋を出ることになったが、どうしても気になって仕方が無いのでこっそりと名前は祖父とその弟がいる部屋をのぞき見する。

「……弦、お前は、弟だっていうのに私より先に逝ってしまったか」

亡骸を前に健一は問いかける。

「早すぎる、まだ……あやつは14になったばかりだぞ……お前は、また私に議長になれと言うのか」

「……」

亡骸から言葉が返ってくる事は無い。そうは分かっていても、身体はまだそこにある。健一は一言一言絞り出すように呟く。

「これからが大仕事だというのに、お前は仕事を放って先に逝くつもりか……お前の事だから、幽霊にもなって出てこないだろうな」

「……悔いは、無いんだな………」

今、見間違えでなければ祖父の頬から一滴の涙がこぼれおちた。あの血も涙もない祖父が、誰かのために泣いているなんて。

「名前さん」

「あ……おばあさま」

まずい、のぞき見している所をみられてしまった。名前は言い訳をしようとしたが、腕を引っ張られ少し離れた庭まで連れて行かれる。祖母は怒っているだろうか、恐る恐る顔をあげると驚くことに表情がとても穏やかだった。呆然としていると祖母が先に口を開く。

「健一さんにとって、弦さんはたった一人の家族だったのよ」

「え……?」

「健一さんは、弦さんと違って正妻の子供ではなかったから……正妻のお母様には愛されなかったの」

「……」

何も言葉が出なかった。ヒトシからはある程度の事は聞いていたが、祖父が母から愛されていなかったなんて。

「健一さんの本当のお母様の名は、スピカ・ブラック……あなたの父と同じ姓を持つ人間」

「……スピカ・ブラック……」

「2人が付き合っていたのは戦時中でしたから……いくら、外界と魔法界が別の世界だったとしても、そういう偏見はなかなか無くならないものです。2人は人種を乗り越えて愛し合っていたそうですよ……」

でも、長くは続かなかった。卒業してすぐ、スピカとの間に生まれた子供は祖父の父、一が引き取った。両家族はこの事を機密事項とし、封印した。スピカはイギリス人の魔法使いと結婚したが、結局その男と1人も子供を残す事無く亡くなったそうだ。

「それからしばらくして、健一さんと、弦さんが生まれた……そして、私も」

「……え?」

「あなたには黙っていましたが、健一さんと弦さんと私は、実の兄妹なのですよ」

「……え!?」

「何を驚くのです、こちらではよくある話ですよ……」

いや、流石にこれは驚いた。まさか実の兄妹が結婚して……いいや、もう何も気にしないことにしよう。これを聞いたら友人たちは目を飛び出すかもしれない。これだけは秘密にしておかなくては。

「私達兄妹はとても仲が良く……ですが、私と弦さんのお母様は健一さんを快く思っていませんでした……健一さんが裏でお母様から虐待を受けていたのも知っています……私たちは、何度もそれを止めようとはしましたが、結局お母様は健一さんを恨んだまま、亡くなりました……スピカ・ブラックの面影のある健一さんが憎くてたまらなかったのでしょうね」

「……」

季節は春だというのに、空気がずっしりと重たい。月光に照らされた水面の蓮華が風で揺れる。

「健一さんは、それでもお母様を恨んだ事はありませんでした」

「……そんな、仕打ちをされたのに…ですか」

「はい、健一さんにとっての母は、あの人でしたから……生みの親とは、縁が切れているようなものです」

「……分からないです」

「えぇ、分からないでしょう、あなたはまだ幼いから」

「……分かりたく、ないです」

「いずれ、嫌でも分かる時が来ます……」

風に揺らされた蓮華に一匹の夜蝶が止まり羽をぱたぱたと揺らす。

「おじいさま…辰巳さんが亡くなり、お父様が後を継がれました……ですが、世間の風当たりは悪かった……伝統を破り、異国の者とまぐわったとして、長くはその席にいませんでした。だからこそ、健一さんは伝統を強く意識するようになったのです。弦さんは、私達兄妹を恐らく家族の中で一番大切におもってくれていましたから、余計に他国と距離を置くような政策を取るようになったのよ」

「……」

「健一さんが卒業してすぐ、お父様に代わり辛いその席につきました……弟の弦さんと妹の私が、安心して学校に通えるように」

「……でも、周りの人は……」

「周りがどう言おうとも、妹の私が言っているのだから間違いはありません。健一さんにとってその席はとても辛いものでした……一日に何百通と嫌がらせの手紙が届いた程ですからね……健一さんが議長になったタイミングも悪かったですから……日本が終戦を迎えてすぐ、異国の血を引いた健一さんが議長になったのだから、言わなくとも分かるでしょう」

「……はい」

今まで家の人を家族だとも感じた事が無かったが、今は血のつながった確かなものだと感じる。自分が、勝手に壁を作っていただけなのだ。

「弦さんは、健一さんの苦悩を知っていました……だから、自分が代わりにその席に座る、と健一さんをかばってくれたのです……世間では噂が1人歩きしているようですが」

柊清達が話していた話の事だろう。純は知っていたのだ、自分の両親が色々と苦労していた事を。だからこそ、あの時名前に悪く思わないでくれ、と言っていたのだ。

「弦さんの恨みの矛先は家族を苦しめた異国へと向かいました……だから、ファッジとは関係が悪いのですよ」

「……」

あの時会った時はそんなふうには感じなかったが、やはり政治家らしく本音は常に腹の中にあるようだ。

「弦さんは、この偏見を乗り越えるためにあなたを次の議長としたかったようですけれどもね、健一さんはそうは思っていませんよ」

「え……?」

あれだけの教育は議長になるべくさせたものではなかったのか。だが、言っている事とやっている事が矛盾しているような気がする。

「あなたに議長になれと言えば言うほど、あなたが嫌がるかと思ったのです。そうすれば、あなたは議長を目指そうとはしないでしょうし……」

昔考えていた事を思い出し、突然自分が恥ずかしくなった。あの時自分は、何も分からなかった。

「でも、もう時がやってきました……あなたはもう大きくなりました。本当はもっと後に話す予定でいたのですが……弦さんが亡くなった今、急を要します」

「……はい」

「弦さんは、あなたを本当の孫のように愛していました」

「……はい」

「兄弟そろって愛情の表現が不器用でしたが……弦さんは、最後まであなたが健一さんのように辛い思いをしないか、心配していましたよ」

「……はい」

今になってようやく分かった。弦は死んだのだ、と。実感がようやく湧いてきた。ふつふつと胸から込み上げる感情。

「……名前さん、弦さんの期待にこたえ、強い男になりなさい」

「……」

ああ、自分は。

「おいでなさい、あなたの母のようには……できませんが」

「……」

そうか、悲しいんだ。

愛されていたと知って、悲しいんだ。こんなに辛いなら、知らないままの方がよかった。蓮華の浮かぶ水面にぽたり、ぽたりと滴が落ちる。

「あなたの母、茜さんのことだけれども……あの子に厳しくしたのはそれもあったからなの……けれども、少し厳しくしすぎてしまったようね……あの子にはもっと早いうちから話すべきだったのかもしれない……気がついたら、あの子はいなくなっていた」

茜は何も知らず、家を飛び出した。

きっと、母もこの事を知ったら考え直してくれたかもしれない。だが、自分はそうしていれば生まれていなかったかもしれない。自分のせいで、この家はばらばらになってしまったのだろうか。そう考えると胸がぎゅっと締め付けられる。

「でも、あの子は正しかったのかもしれない……家を飛び出せば、全てから解放される。あの時はまだ時代が良かったから……でも、あなたを捨てた事は関心しませんね」

「……」

「それに、父親も父親です、一体どこでほっつき歩いているのかしらね」

「……おばあさま、一つだけ……聞いても良いですか」

「なんですか」

「どうして、父がブラックだと……気づいたんですか、だって、何も知らないはずです……」

「それはね、名前さん」

名前の首にかかっているロケットを指さす祖母。

「これを見れば、すぐに分かる事ですよ……」

「……これが?」

「えぇ、これはブラック家のロケット……中を、見てみたい?」

「……」

これは名前が孤児院に捨てられていた時、揺り籠の中にあったロケットだ。中を開こうとしてもなかなか開かず、諦めかけていた所だ。中になにがあるのか、なんとなく想像がついた。少し恐ろしくもあったが、今ならば、2人と面を向けられる気がする。

祖母が何かの呪文を唱えると、ふわりとそれは開いた。

「……父さんと、母さん……?」

「そうですよ」

「……父さん……本当だ」

父とそっくりだと言っていたが、本当に自分は父とそっくりだった。名前は父の隣で笑う母に目を奪われる。家にあった写真では、こんな顔をしていなかった。あぁ、2人は本当に幸せだったんだな。

この人達は今、どこにいるんだろうか。

「ワン!ワン!」

「…小太郎」

そう言えば、母の守護霊は白い犬だったと聞いた。その事も、祖母は知っているだろうか。名前は早速祖母に聞いてみることにした。

「おばあさま、母さんの先輩のルーピン先生が、母さんの守護霊は小太郎そっくりだって教えてもらいました」

「……そう、確かに、茜さんの守護霊は白い秋田犬ですね……」

「……不思議だなぁって思いました……小太郎が家に迷い込んできたのは、偶然じゃないのかなって」

名前が日本で生活を始めてすぐ、日本語に慣れず不便な生活をしていたとき、突然庭に白い犬が迷い込んできた。首輪は無い、数日してもいなくならないので友達のいなかった名前はすぐその犬と仲良くなった。祖父母はそれに見かねて飼うことを許してくれたが、小太郎の正確な年齢は未だに分からない。誰に捨てられたのか、それとも野生で育っていたのかも分からない。が、今では掛け替えのない家族だ。

「名前さん、これは私たちの推測だから、それが真実とは思わないでくださいね」

「……え、は、はい」

小太郎の頭を優しく撫でる祖母。小太郎は嬉しそうに尻尾を振っている。

「……日本の魔法族が使う守護霊は、そのまま姿形をとどめておくことができるのです、それは、意思が強ければ強いほど……」

「それって……つまり……」

「小太郎は、茜さんの守護霊なのではないかしら」

「……かあさんの………?」

「今、ホグワーツには吸魂鬼がいるでしょう」

「はい……」

「小太郎が近づけば吸魂鬼はどうなりましたか?」

「……ばらばらに散らばっていきました……」

ドクドクと鼓動が早まるのを感じる。

「小太郎は、守り切れない茜さんが、せめてもと残した守護霊なのではないかしら」

「……かあ、さんが……おれを……」

「今の話を聞いて確かなものとなりました、小太郎は、あなたの母、茜さんの守護霊です」

「……か……」

喉がからからで、声が出ない。

小太郎が、守護霊だって?

「願いが強いほど……長く姿をとどめていられると言いましたよね……」

「えぇ……茜さんは、母として、あなたを愛していたのね」

「……」

今まで、怖くて確かめたくなかった事。母が、自分を愛していなかったら…という苦悩。こんなに嬉しいのに、涙が流れない。こんな時、どんな顔をしたらいいのだろうか。自分は今、どんな顔をしているんだろうか。

「……そっか……そうだったんだ……小太郎………おまえは、母さんだったんだ……」

「ワン!」

ぎゅっと抱きしめると、そこには確かな鼓動と体温を感じる。小太郎からするこの匂いは、もしかして母の匂いだったのだろうか。最初はシャンプーの匂いなのだと思っていた。だが、金木犀の香りのするシャンプーは使った覚えが無い。ようやく全てが繋がった。優しい金木犀の匂いが名前の鼻をくすぐる。

これでなんとなく希望が持てたような気がする。

母はきっと、この世界のどこかで生きているのだと。