あの子は人前で泣くことは滅多にない。だが、妻が死んでしばらく、あの子が一人部屋ですすり泣いているのをドアの外からみていたことがあった。何故、あのとき声をかけてやれなかったのだろうか。何故、もっと愛してやれなかったのだろうか。
気がついた頃には、大蛇に首をかまれ、大量の血がそこから噴き出していた。帝王が部屋を去って、セブルスは静かに自分の姿を嘲笑った。
これはきっと罰なのだ。今まで自分がしてきたことに対しての罰なのだ、と。
だが、最後に――――せめて、最後に、最愛の息子を一目見たかった。
その時、幻かもしれなかったが、左腕を失った少年と眼鏡をかけた少年がかけよってきたのを見た。
「・・・父上・・・っ!」
ああ、幻じゃなかった・・・よかった、最後に、お前を見ることができて・・・
名前はぐったりしている父を抱きよせ、咽び泣いた。
ああ自分はこうやっていつも息子を悲しませてしまう、親失格だな。
「お前が…無事で……よかった………」
「ちっ・・・・えっ・・・・・ッ」
「大きく……なったな……背も、高く…なって………」
「ぢぢうえっ…!いやだ、行かないでください、僕を……一人にしないでッ」
悲痛な叫びが部屋に響き渡る。ハリーはそっと二人を見守ることにした。
なんて、悲しい光景だろう。あんなに憎んでいたスネイプだが、名前のこんな姿を見たんじゃ、憎くても憎みきれないよ・・・ハリーは心の中でつぶやく。
今消えようとしている命に名前は必死にしがみついている。いつもでは想像もできない名前の、悲痛な姿が、酷く胸に突き刺さる。ハリーはこの感情がどういったものかを知っていた。だから、二人を静かに見守っているのだ。
「…これを…受け取れ…名前、ポッター……」
セブルスの目からは青みがかった銀色の、気体でも液体でもないなにかがあふれ出た。ハリーはどこから出したのかフラスコをとりだし、それをそこにしまった。
「愛して…いる………名前…、我輩の、自慢の………息子……」
「……ッちぢうえええええ!!!」
名前の頬を包み込んでいたその手は、しだいに力をなくし、ぶらりと垂れ下がった。
鼻水も涙も拭うことなく名前は咽び泣いた。セブルスの表情はとても安らかだった。最愛の一人息子に向けて、ほほ笑んだまま。それが、更にハリーを苦しくかんじさせた。
クライヴは名前をとある場所まで連れていくと、ここから先はお前を連れていけない、とのことで、名前は一人探索をしていた。何かハリーたちの居場所を知るような痕跡はないだろうかと探し回った。
だが、そのとき不思議な空間を見つけた。そこを覗き込むと衝撃的な光景が広がっているではないか。
父親が首から大量の血を流しているではないか・・・
名前は敵が周りに多くいることを忘れ、無我夢中で父親の元へ駆けた。
「父上っ………!!」
向こう側にハリーが居ることにも気がつかなかった、いや、それどころではなかったのだ。
不自由な腕で倒れこむ父親を抱きかかえると、父親であるセブルスは名前の顔をみて一瞬驚いたが、しだいに安らかな表情へと変わった。
「お前が…無事で……よかった………」
絞り出されたその声に、名前は嗚咽をこらえることができなかった。
また、大切なひとが自分の前から消え去ろうとしている。どうしてこうも自分をおいて先にいこうとするのだ。ひとりぼっちになるのは嫌だ。
一番失いたくないであろう人が今、目の前で失われようとしている。
セブルスは本々細かったが、さらに痩せこけており、血色がさらに悪化していた。青白い唇からは悲しい言葉が次々に零れてくる。
この人を失いたくない、神様、どうかお願いします、この人を助けてください―――
神にもすがるような気持ちで名前は弱っていく父親の体を抱きしめた。
「大きく……なったな……背も、高く…なって………」
何で、何でこんなめにあわなくてはならないのだ。
優しく両手で頬を包みこまれる。手はしだいにつめたくなってゆく。だが、セブルスは名前を見て微笑むのだ。
「ぢぢうえっ…!いやだ、行かないでください、僕を……一人にしないでッ」
僕はとんだ親不幸だ、親がこんな目にあっていたというのに、自分はのうのうと身を隠していた。自分はあそこを出るべきじゃなかった。あそこを出ていなければ、こんな結末を変えられたかもしれない。後悔の念が次々に押し寄せる。
「愛して…いる………名前…、我輩の、自慢の………息子……」
ずっと微笑んだままの父親を名前は強く抱きしめ、嗚咽を漏らす。もう息すらまともにできなかった。
今起きた出来事が、夢であればいと何度おもったか。だが、腕の中で安らかに眠る父親はもうこの世にもどってくることはない。
否定できない現実が、津波のように名前を襲う。
もうどれくらい泣いていただろうか、涙も流れることなく名前は嗚咽し続ける。
「…名前、共に立ち上がろう…こういう時こそ、立ち上がるしか、ないんだ・・・」
ハリーの言葉が耳から耳をぬけて空をゆく。今どんなことばをかけられても、名前にはまともに考える余裕がなかった。
誰しもが声をかけないであろう、そんな姿の名前にハリーはあえて声をあげる。
「亡くなった人たちは、僕らに悲しんでほしい訳じゃないんだ・・・僕も、君とおなじだ。大切な人を多く失った……だから、一緒に立ち上がろう!僕ももう過 去は振り返らない!悲しまない!今前を進まなくちゃ、もっと悲しむひとが増える!僕たちならできるんだ、悲しみに立ち向かうことが!」
何故、ハリーはこんなにも強いのだろうか。彼がグリフィンドールだからとか、そんなものは関係ない。彼もまた、同じ痛みを味わってきたからこそ、強くなれたのだ。
ならば自分も前をむかなくては。セブルスの額にキスを落とし、名前はハリーに向きなおった。
「そうだな……泣いていたって、変わらない現実だ…父上も、僕が悲しむのを望んではいないだろう。父上の表情は安らかだった、それだけでいい・・・・・」
いつまでもこうしていたら、大切な親友までも失うことになりそうだ。名前は瞳に光を取り戻した。
セブルスをソファに横たわらせると、ハリー達が立ち向かうであろう、あの人の元へ向かった。
「…父上、僕ももうすぐ、あなたの元へ行きますから・・・・・・」
辛そうに心臓を掴みながら呟いたその言葉は、誰にもきかれることはなかった。
呪いの根源である【オリオン】を消滅させたのはいいが、この呪いだけは消滅しなかったようだ。それだけ、彼はレーガン家をうらんでいたのだ。
体の気怠さは無くなったが、走るたびに心臓がキュウキュウと締め付けられた。ハリーたちは気づいていいないようだが、咳をすると血の痰が出た。
血の痰をローブの裾で拭うと、何食わぬ顔で道を突き進んでいった。
クライヴはこれから一体何をしようとしているのだ。不吉な予感が胸をよぎる。
先ほど、ヴォルデモートが甲高い声で禁じられた森で一時間待つ、と言い放ったのだ。それはここらへん一帯に響き渡るような大きな声だった。
誰しもが震え、肩を寄せ合っているであろう。
夜明けまであと一時間だというのに、あたりは真っ暗だった。名前は視力がほとんど消えかかっていたので、ロンに介護されながらも突き進んでいった。
城は静かで、戦いが一時的に止んでいるようだった。マダム・ポンフリーが負傷者の手当てで追われているのをちらりと見た。と言っても、かなりぼんやりした状態なのだが。
死者は大広間に横たわっており、そこには聞き覚えのある声が聞こえてきた。
まさか、そんなことになっているなんて――――嘘だろう・・・・。
リーマス、トンクス、それにフレッド・・・・
ぼやけていて、近くへ行かないと表情を確認できなかった。だが、名前には立ち上がる気力すら失われていた。
あぁ……そんな・・・・・・リーマス、トンクス、フレッド・・・ああ、なんてことだ・・・・
ロンとハーマイオニーは彼らの元へ向かったが、ハリーと名前は別の方向へ向かった。
きっとハリーは自分のせいでかれらが死んだと思っているに違いない。その気持ちは痛いほどわかる。
ふたりはセブルスが残した思いをにぎりしめ、校長室へ駆けた。途中、名前は心臓が痛くて倒れそうになったがハリーが負ぶってくれたので、ものの五分で校長室に辿り着いた。
校長室に飾られていた歴代の校長たちは、外の様子を確かめるために別の絵画の中を駆け巡っているようだ。ハリーはそれをみて酷く落ち込んだが、名前が憂いの篩をどこからともなくとりだし、それを机の上においた。
セブルスの記憶をそこに注ぎ込むと、ふたりは吸い込まれるように記憶の世界へたどり着いた。
頭から先に日を浴び、両足がその暖かな大地を踏む。そこはほとんど誰もいない遊び場で、名前がここが自分の家の近くであることをすぐさま理解した。
遠くに見える街の家並のの上に、巨大な煙突が一本そそり立っている。女の子が二人、それぞれブランコに乗って揺れていた。
あれは、見間違えでなければリリーだ。となりにいるのは誰だかわからなかったが。
その背後にある灌木の茂みから、じっと二人をみている少年を見つけた。ハリーはなんとなく、その少年がセブルスなのだと思った。名前と雰囲気がどこか似ていて、だが、名前よりも肌の血色が悪かった。
名前もまた、あれが自分の父親の幼き頃だということに気が付いていた。ブランコをどんどん高く漕いでいるほうの少女、リリーを見つめるセブルスの細長い顔に、憧れが剥き出しになっていた。
両親の子供の頃の話なんて、今まで一度も聞いたことがなかったので、名前は生まれて初めて父親の幼いころを目の当たりにしたのだ。母と結ばれる前に、こんなことがあったとは・・・
名前とハリーはかれらをじっと見つめた。
「リリー、そんなことしちゃダメ!」
リリーはブランコの一番高いところから手をはなしてとびだし、大きな笑い声をあげながら上空に向かって文字通り空をとんだ。遊び場のアスファルトに軽々と着地してみせた。隣にいる少女はいかにも不愉快そうに眉を寄せ、叫ぶ。
「ママが、そんなことしちゃいけないって言ってたわ!リリー、あなたがそんなことをするのは許さないって、ママが言ったわ!」
「だって、わたしは大丈夫よ」
リリーは少女にクスクスと笑いかける。
もしかしたら、あの少女はリリーの妹、ペチュニアなのかもしれない。
「チュニー、これ見て。わたし、こんなことができるのよ」
リリーはセブルスの隠れている茂みの前に落ちている花を拾い上げ、花を開かせたり、閉じさせたりしてみせた。だが、それを見てペチュニアは金切り声を上げた。
「何も悪さはしてないわ」
「いいことじゃないわ・・・どうやってやるの?」
彼女の声にははっきりと羨ましさが滲み出ていた。
「わかりきったことじゃないか?」
セブルスはもう我慢できないとばかりに茂みの影から姿をあらわした。ペチュニアはセブルスの姿を見るなり悲鳴を上げブランコのほうへ駆けもどった。リリーは驚いてはいたが、その場からうごくことはなかった。
「わかりきったことって?」
セブルスの頬がしだいに赤みを増していくのがわかった。落着きを失くしているのか、リリーに君は魔女だ、といった。
そういわれたリリーは明らかに気分を害したといった顔をし、セブルスに怒鳴った。
「そんなこと、ひとにいうのは失礼よ!」
元々魔法族である名前には、何故それが失礼に値するかが分からなかったが、ハリーにはわかったようだ。同じ人間なのに、不思議だなと感じた。
鼻息を荒くし、セブルスに背を向けペチュニアのほうへ歩いていく。そんな彼女にセブルスは真っ赤な顔をして違うんだ、と叫ぶ。
「きみはほんとに、そうなんだ。きみは魔女で、僕はしばらく君のことをみていた。でも、何も悪いことじゃない。僕のママも魔女で、僕は魔法使いだ」
すると、ペチュニアは冷水のような笑い声をあげる。
「魔法使い!私は、あなたが誰だか知ってるわ。スネイプって子でしょう!この人たち、川の近くのスピナーズ・エンドに住んでるのよ」
名前は現にそこの住民なので、マグルの者たちからそこがどういった場所だと思っているのを知っていた。過去の出来事なのに、まるで自分まで貶されているような、そんな気分に陥る。ハリーはそんな名前を察したのか、そっと肩に手をおいた。
「どうして、私たちのことをスパイしていたの?」
「スパイなんかしていない」
明るい太陽の下で、セブルスは暑苦しそうに吐いた。
「どっちにしろ、おまえなんかスパイしていない、おまえはマグルだ」
ペチュニアにはその言葉の真意が分かっていないようだが、セブルスは明らかにペチュニアを嘲笑っていた。
父親がマグルを嫌っているのは、魔法使いの家系だからという理由だけではなさそうだ。以前、祖父のことについて聞いたことがあったが、セブルスは何一つ自 分の両親についての話をしてくれなかった。その話を出すたびに、眉間にしわを寄せ、いかにもといった顔をするので一度聞いたきり、二度と聞こうとはしな かった。
もしかしたら、祖父たちが何か関係しているのかもしれない。
遊び場を去っていく姉妹を、セブルスはじっと見つめていた。苦い失望を噛みしめているのがよくわかる。それに、恐らくこの時のために前々から準備していたのだろう。だが、それはうまくいかなかったのだ。
そう考えているうちに、場面は次の場面へと展開していった。
今度は低木の小さな茂みの中にいた。木の幹を通して太陽に輝く川が見えた。木々の影が涼しい緑の木陰を作っている。今度は子供が二人、足を組み向かい合っている。リリーとセブルスだ。
「それで、魔法省は誰かが学校の外で魔法を使うと、罰することができるんだ。手紙が来る」
「でもわたし、もう学校の外で魔法を使ったわ!」
「僕たちは大丈夫だ、まだ杖を持っていない。まだ子供だし、自分ではどうにもできないから、許してくれるんだ。でも11歳になったら―――」
セブルスは重々しく頷く。
「そして訓練を受け始めたら、そのときは注意しなければいけない」
二人ともしばらく沈黙した。そののち、リリーは小枝を拾って空中にくるくると円を描いた。小枝から花火が散るところを想像しているのがわかる。
「ほんとなのね?冗談じゃないのね?ペチュニアは、あなたがわたしに嘘をついているんだって言うの。ペチュニアはホグワーツなんてないって言うの。でも、ほんとなのね?」
「僕たちにとっては本当だ。でも、ペチュニアにとってじゃない。僕たちには手紙が来る。きみと僕に」
「そうなの?」
リリーが小声で言う。
「絶対だ。」
「それで、本当にフクロウが飛んでくるの?」
「ふつうはね。でも、君はマグル生まれだから、学校から誰かが来て、きみのご両親に説明しないといけないんだ」
「何が違うの?マグル生まれって」
セブルスはその質問の答えに躊躇した。だが、これはどの魔法使いでも躊躇するような質問だ。リリーは無意識ながらも、魔法使いとマグルの深層心理にたどりついているような気がした。
「いいや、何も違わない」
「よかった」
この時の父は、そんなことを思っていたのか。名前は目を見開いた。あの人はマグル生まれの魔法使いを嫌っていたし、共に生活していたのでどれほど嫌っていたかを名前はよく知っていた。だが、その父親が今「何も違わない」と否定したのだ。
リリーは緊張が解けたように微笑む。
「きみは魔法の力をたくさん持っている、僕にはそれがわかったんだ。ずっと君を見ていたから・・・」
父親は自分の過去の話を一切しなかった、だから、初恋の相手がリリーだとは思いもよらなかった。過去に飛ばされたとき、すでに母アリスと父セブルスは結ばれていたのだから。
だから、母と結ばれたのはホグワーツに通ってからなんだな、と思った。母はこのことを知っていたのだろうか。
「お家の様子はどうなの?」
リリーのこの質問に、セブルスは眉間に小さなしわをよせる。まさに自分が質問をした時と同じ表情をしている。
「大丈夫だ」
「ご両親は、もう喧嘩していないの?」
「そりゃ、してるさ。あの二人は喧嘩ばかりしてるよ」
自分の祖父母たちの仲が悪かったことを、今、初めて知った。だから、父は自分の両親のことについて一切語りたがらなかったのだ。
自分は知らないうちに、父親の心の傷を抉っていたのだ。本当に申し訳ないと思う。
だが、ハリーもまさか自分の友人の父親の初恋相手が自分の母親だとは思ってもみなかったようで、名前とハリーはしばらく顔を合わせることができなかった。
「だけど、もう長くはない。僕はいなくなる」
「あなたのパパは魔法がすきじゃないの?」
「あの人は何にも好きじゃない。あんまり」
「セブルス?」
リリーに呼ばれたとき、セブルスの唇がかすかに揺れた。
「何?」
「吸魂鬼のこと、また話して」
「何のためにあいつらのことなんか知りたいんだ?」
「もしもわたしが、学校の外で魔法を使ったら―――」
「そんなことで誰も君を吸魂鬼に引き渡しはしないさ!本当に悪いことをした人のために吸魂鬼はいるんだから。魔法使いの監獄、アズカバンの看守をしている。きみがアズカバンになんか行くものか。きみみたいに―――」
セブルスはさらに顔を赤くさせ、気を紛らわすかのように草をむしった。すると後ろでカサカサという小さな音がしたので、振り返るとそこには木の蔭に隠れていたペチュニアが、足場を踏み外したところだった。
「チュニー!」
リリーの声は驚きながらもうれしそうだった。セブルスは弾かれたように立ち上がり、ペチュニアをにらみつけた。
「今度はどっちがスパイだ?何の用だ!」
見つかったことに愕然としているのか、ペチュニアは息もつけない様子だ。
「あなたのきている物はなに?ママのブラウス?」
その時、ボキっという音がしてペチュニアの頭上の枝が落ちてきた。リリーが悲鳴を上げる。
枝はペチュニアの肩にあたり、ペチュニアは後ろによろけワッと泣き出した。
「チュニー!…あなたのしたことね?」
リリーが駆けつける前に、ペチュニアはすでに走り出してしまっていた。セブルスを鋭い目で睨むリリーに、セブルスは挑戦的になり、同時に恐れたように抗議の声を上げる。
「ペチュニアを痛い目にあわせたのはあなたね!」
「違う…僕はやっていない!」
セブルスの嘘にリリーが納得するはずがなく、再び激しい目つきで睨みつけ、小さな茂みから駈け出してペチュニアの後を追った。
酷く惨めな、混乱した顔でリリーの背を見送るセブルスの姿を、名前は複雑な心境で眺めた。