弟を殺さなければならない。自分にとって、“今”の仲間たちが真の家族―――そう言い聞かせ、男は覚悟を決める。父親を殺めた時とは訳が違う―――今回は、手に入れるはずだったオペオペの実を横取りされただけではなく、将来自分の右腕になるはずだったローと、天竜人が喉から手が出る程欲しがっていた“魔女”を連れていかれてしまった。いくら血の繋がった兄弟だったとしても、これ以上許すわけにはいかない。
ファミリーに潜入し、情報を海軍に横流しし危機的状況を何度も作った男―――彼に、死以外の未来はありえない…そうわかってはいても―――。
赤くなった雪原を見下ろしながら、ドフラミンゴは自嘲するような薄ら笑いを浮かべる。
「フッフッフ…これも運命ってやつか?」
彼の声は、夜の雪原に消えてゆく。
スワロー島の一部はドフラミンゴの“鳥籠”によって、阿鼻叫喚の世界が広がっていた。彼の“腹いせ”の為に海賊たちは操られ、彼らの意思に反して仲間同士殺し合わせている。“鳥籠”はロシナンテたちが外に逃げないよう囲い込むためのもので、これは外側からの侵入もできず、壊すこともできない“檻”のようなもの。寄生糸“パラサイト”により操られ、仲間を殺していく海賊たちも最後は自殺という形を取らされ、生存者はいない。
「う……ぁ…」
「名前ッ」
「―――ローは?…うぐっ…」
ようやく意識を取り戻した名前は起き上がろうとしたが、あまりの激痛に悶える。
「大丈夫か!?」
「大丈夫…痛い…あいつ絶対許さないわ…」
起き上がろうとする名前に手を貸すロシナンテ…しかし、彼の手は血で湿っておりうまくつかめなかった。そんな彼の姿に、名前は胸を締め付けられる。
「ここは…?」
「あいつから逃げてきた…が、すぐに居場所もバレるだろう…頼む名前、君はここに隠れてくれ、機を見計らい、別の場所に隠れているローと合流して逃げろ」
彼が言うには、バラバラで隠れ、逃げたほうが逃げやすいという事らしい。ローは宝箱の中に隠れているらしく、名前の場合は魔法で応戦ができるので、このボロボロの民家で身をひそめることとなった。隙を見てそれぞれ逃げ、隣町で落ち合う約束だ。ちなみに、先ほど少しの間気絶をしていたお陰で若干魔力が戻ったような気がする。
「一人で戦うつもりなの?」
「―――あぁ、わかってくれ」
大人の名前は、彼がもう“長くはない”ことをすぐに察した。これだけ深手を負っていれば逃げる隙を作ることしかできないだろう。彼は命を懸けてでも、二人を逃がしてやりたかった。ドフラミンゴの手から解放してやりたかった。正義を信じる海兵として、最後まで自分の正義を貫き通したかったのかもしれない。
「…ロシナンテ」
「―――!」
彼の両頬に手を当て包み込み、ロシナンテの額に自分の額をあてる。これが、最後の“守りの呪い”になるかもしれない。彼がどうか死にませんように―――未来でも生き延びれますように…と願いを込める。突然何が起きたのか、自分の名を呼ばれ、ロシナンテはドキっとする。いつもの”コラソン“ではなく、彼女は今、名前で呼んでくれた。
「―――ッそりゃ、ずるいよ…」
「…あなたが、死ぬようなことがないように“魔法”をかけたわ」
「―――ありがとう」
不意に、口づけを落とされ名前は目を丸くさせる。
お礼だ―――なんてかっこいいセリフに、顔を真っ赤にさせる名前。彼女に最後の言葉を伝えられてよかった…ロシナンテは名前が自分を追いかけてこないよう、首元に手刀を入れ、彼女を再び眠らせる。こうでもしなければ、きっと彼女は自分を追いかけて来てしまうだろうから―――。一筋の涙をこぼし、ロシナンテは別れを告げる。
君が居てくれて、君と出会えて本当に良かった―――。名前に振り返ることなく、雪道を進む。
その後、彼に追い付いたファミリーたちはロシナンテを取り囲み、ついに追い込まれてしまう。激戦の末、立ち上がることもできなくなってしまったロシナンテは、ローの隠れている宝箱にもたれかかり、短く呼吸を繰り返していた。もう痛みすら感じない―――。
少しして、兄のドフラミンゴがようやく姿を現す。家族とは思えない、冷たい表情で“弟だった”男を見下ろしている。身体からは大量の血が流れ、気を張っていても意識が遠のきそうになる。そんな満身創痍でも、彼は怯むことなく立ち向かう…二人を守るために。
「ゲフ、ゲホ…マリンコード01746…海軍本部、ロシナンテ中佐…ドンキホーテ海賊団船長、ドフラミンゴ…お前がこの先生み出す惨劇を止める為、潜入していた―――俺は“海兵”だ」
“嘘をついて悪かった…お前に嫌われたくなかったもんで…”
ロシナンテは煙草を口にくわえながらそう呟く。一見ドフラミンゴに対して冗談を言っているように見えるが、実は宝箱の中にいるローに向けての言葉だった。
「つまらねぇ冗談言ってねぇで…質問に答えろ!オペオペの実はどこだ…ローと魔女をどこへやった!?」
凍てついた空に、男の怒号が響き渡る。
「―――オペオペの実は、ローに食わせた…あいつはもう能力者、うまく檻の外へ出ていったよ…!彼女と一緒に…!今頃、海軍本部の監視船に保護されている頃だ…手出しは出来ねェ」
その言葉に、ドフラミンゴはさらに眉間にしわを寄せる。話を疑っているのだろう。
「若様!確かにさっき…少年と女を保護したって海軍が通信を―――!」
「なぜそれを早く言わねぇ!!」
「まさか二人だとは…!」
何かの偶然で、タイミングよく少年が保護されたらしい。ロシナンテは人知れず、ほっと胸をなでおろす。
「確認を急ぐぞ!!“鳥籠”を解除する…出向の準備をしろ!」
事実なら、海軍の監視船を沈め―――二人を奪い返す!!怒りに満ちたドフラミンゴの声が雪原に轟く。
「よせ…!二人を追ってどうする」
「オペオペの実を食っちまったローは俺の為に死ねるよう教育する必要があるなッ!!!魔女は…フッフッフ、さぁどうすると思う?」
その声に、宝箱の中でローはゾクリを身体を震わせる。コラさんの言う通りだった…名前も、どんな目に遭わされていたことか。ローは再び外の声に耳をすませる。
「―――まったく、余計な事ばかりしやがって…!なぜ俺の邪魔をするコラソン!なぜ俺が実の家族を二度も殺さなきゃならないんだ!!」
張り詰めた空気の中、彼もまた応戦すべく銃をドフラミンゴに向けているが、彼には撃てない―――…それを兄はよくわかっていた。
「お前に俺は撃てねぇよ…お前は父によく似ている…!」
大丈夫だって、言ったのに。絶対に殺されないって言ったのに。宝箱をたたきつけるが、彼の発する音はロシナンテのお陰で“無音”となる。
“俺はドフィと血を分けた兄弟…そりゃブチ切れられるだろうが…殺されやしねぇよ”
これは、ロシナンテの嘘だった。よくよく考えてみれば、ドフラミンゴはそんな男ではない。実の父親を…撃ち殺した男なのだから。
約束が違うよ―――コラさん!!
「ローはお前にゃ従わねぇぞドフィ…名前もだ…ローは3年後に死ぬって運命に…勝ったんだ!自分を見失い、狂気の海賊の元へ迷い込んだあの日のローじゃねぇ…」
破戒の申し子のようなお前から、得るものはなにもない。そう断言するロシナンテに、ドフラミンゴは青筋を立てる。
「もう放っておいてやれ!!あいつらは―――自由だ!!」
幾つもの銃声が鳴り響き、それらはすべてロシナンテに命中する。骨を、内臓を貫き、血を吐きながら倒れる“弟だった男”を置き去りにし、ドフラミンゴは去っていく。
…やっと、二人を自由にすることが出来た。これで…やっと……。
だが、まだ…死ぬわけにはいかない。ローが逃げ切るまで…生きていなければ。でなければ、彼にかけた“魔法”が解けてしまう。
歩けロー…気づかれず、静かに、遠くへ…遠くへ―――もうお前を縛るものは何もない、白い街の鉄の国境も…短かった寿命も…誰もお前を制限しない―――
お前はもう、自由なんだ…――――そう言い残し、彼は白い世界へと消えてゆく。
―――コラさん、どうして…
名前、どこにいるの?
「…うっ―――!?」
遠くから微かに子供の鳴き声が聞こえてきて、名前の意識は覚醒する。この声は…もしや、ローだろうか。まだ間に合う―――彼は無事、そう信じ、約束の場所まで姿あらわしをすると、そこには嗚咽を漏らす少年の姿があった。涙でぐしょぐしょになった顔を見つけ、すぐさま駆け付ける。
「…ロー!」
「名前…うわぁああああっ、コラさんが…コラさんがっ…」
「―――…あの人、最後まで私たちを守ってくれたのね…」
海軍の軍艦が来たお陰で無事ローは隙を見て逃げることに成功したようだ。なんでも、今回軍艦に保護された“女性”と“少年”がいたお陰で、ドフラミンゴをうまく撒くことが出来たらしい。しかし―――彼は助けられなかった。せめて彼の傍に…と思うが、ロシナンテの所へ戻りたくとも、そこには海軍の者たちが大勢いるので近づくこともできない。
…ここで彼を追いかけなければ、一生後悔する。そう決めていたのに、ロシナンテは名前を残して先に行ってしまった。さらに、このタイミングでタイム・ターナーが起動しようとしていた。魔力の高まりを感じ、身体が反対側に引っ張られるような感覚がするのは、元の時代に戻ろうとする力が働こうとしているから。泣き崩れるローを強く抱きしめ、そして彼にあれを手渡す。
「これをあげるわ…あの人が私にくれたものだけれども…これが、あなたを守ってくれる…そして、私と引き合わせてくれるわ…」
ローブの中から“お守り”を取り出す。これはロシナンテが“魔法使い”から貰ったものだ。もし万が一、海軍にローが“捕まった”としても…保険として、その“魔法使い”に懸けてみるのも悪くはない。
「暫くはお別れよ、ロー…大丈夫、絶対に“また”会えるから」
「―――え、どういう事だよッ、いやだよ!!コラさんも!!名前も!!!家族もみんな!!!俺の傍からいなくなるのはもう嫌だよ!!!」
全てが繋がったような気がした。と、同時に未来のローに言われた言葉を思い出す。
“コラさんは死んだが…あんたは生きててよかった”と彼が呟いていたことに。未来のローがそう呟いていたという事は、そういうことだ。
ローの額にキスを落とし、“守りの呪い”をかける。
ごめんね、という言葉を残し名前は元の時代へと帰っていった。
泣き叫ぶローを一人、残して。
―――これで…未来のローにつなげることが出来ただろうか。
彼はあれから、どれだけ寂しい思いをしただろうか。
しかし、彼を助けることが出来てよかった―――再び出会ったら、たくさん話そう。
名前の意識は再び闇の中へと沈んでゆく。