聖地マリージョアでは来るべき戦争に備え、王下七武海が一室に招集されていた。あの男はその部屋にいるはずだというのに、わざわざ彼の元を訪れ、そして彼の席を陣取っている。
「フッフッフ…つれねぇじゃねぇか」
「…」
相変わらず腹の立つ男ではあるが、彼女を実質守ったことに変わりはない。この男は元天竜人であり、彼らの弱みを握る者―――故に、たとえ天竜人と言えどもこの男を前に、強気に出ることはできない。
「奴は…名前は元気そうじゃねぇか」
「…」
「麦わらの一味に入っているそうだなぁ?」
「…」
無視を決め込んでいるので、男などここにいない…という気持ちで彼は作業を続ける。もうすぐでこの山のような資料を部下が運び出す。テッドが来るまであと1時間―――早く終わらせなくては。
「お前たちは“魔法”で“若さ”を保ってるんだろ?」
「…」
「―――手配者写真がちっとも変ってなかったから驚いたぜ俺は…」
「…」
すると、ドフラミンゴは近くにあった資料を薙ぎ払い、彼の襟を勢いよく掴む。
「奴は俺が貰う…それでカタを付けた」
「…なっ、何を」
流石の彼も、演技を忘れ動揺の声を漏らす。
「あいつらはお前を既に“所持”している…だから、もう一人は俺が貰うのよ」
「―――彼女に、手を出すな、そう約束したはずだ」
「約束?フフフッ、笑わせるな」
近くにあった花瓶が割れ、窓がガタガタと揺れる。
「フッフッフ―――じゃぁそういう事だからよ」
じゃあな、そう言い残しドフラミンゴは去っていく。彼は未だかつてない動揺に暫く立ち尽くす。ともかく…今上司の手を煩わせるわけにはいかない。海軍の主要な戦力たちが“火拳のエース”の処刑場である、マリンフォードに向かっている今、余計な手間をかけてはならない。今は彼女の事よりも、この“戦争”を無事終わらせることに集中しなければ―――。
麦わらの一味がそれぞれ飛ばされた場所で懸命に生きている頃、ルフィは兄エースの処刑を阻止すべくとある海賊の手を借りてインペルダウンに忍び込み、マリンフォードへと向かっていた。新聞にはでかでかと“エース処刑まで間もなく”の記事が掲載されている。名前はまだ力の入らない体を頑張って起き上がらせようとするが、身体をうまく動かすことが出来ない。
「駄目だって、おとなしくしてなくちゃ」
「…急がなくちゃ…ルフィのお兄さんが殺されちゃうもの…」
お前に、何ができる。静かな男の声が部屋に響く。
「ロー、あなた、どういうつもりなの」
「あんたを拾ったのは俺だ、何をしようとも俺の勝手」
何日あそこで過ごしたのかも分からなくなるような、長い長い間、名前は凍える洞窟の中で過ごした。どういう訳だか、そこを横切ったトラファルガー・ローが名前を発見し、彼によって保護された。微睡みの中で誰かの必死な叫びを聞いたような気がしたが、あれは誰の声だったのだろうか。ちなみに、今彼女はローの船に乗せられており、病室に閉じ込められている。看病してくれているシロクマのベポに、船長兼医者のローがマメに話しかけてくるが、何を言ってもここから出してくれる気配はない。
「もう寝たから大丈夫よ」
「全然大丈夫じゃないよ、もうすぐで足が壊死するところだったんだから」
慢性的な魔力不足で動くこともできず、彼らに発見されなければ今頃死んでいたのかもしれない。もちろん感謝の気持ちはあるし、死にたくはない。仲間たちの事は気がかりだし、残してきたロシナンテの事も気になりすぎて落ち着いてこんなところで眠ってなどいられるはずが無く。
「鎮静剤を増やすぞ」
「アイアイキャプテン」
「え、ちょっ……」
再び、名前は意識を手放す。
彼女の隣でローは大きなため息を漏らし、そして彼女の額に触れる。
「キャプテン、上陸準備してくるね」
「あぁ、頼んだぞ」
2人きりになった病室では、ピ、ピと医療器具の電子音が響く。凍死寸前だった彼女も幸い危機を脱し、手術のおかげで足も無事だ。しかし、魔女特有の“魔力欠乏症”に陥っており、鎮静剤を投与していなければ痛みで眠れない程の苦しみに苛まれていた。今の彼女には睡眠が最も必要とされている。十二分に寝たと思っていても、実際はまだ30分しかたっていない。
「―――名前、あんたを見つけた時は驚いた…だが、ようやくわかったぜ…“そういうこと”だったんだろ、あんたは“魔女”だもんな…」
見た目が、あのころから全く変わっていないのも、きっと魔女特有の何かなのだろう。
「安心してゆっくり眠れ…今度は、俺があんたを助けてやる」
意味深な事を呟き、ローは部屋を後にする。
今回の処刑は、シャボンディ諸島のモニターによって公開処刑されるようだが、さて、どう動く、モンキー・D・ルフィ。
兄の処刑場であるマリンフォードには、世界の名のある海兵たちが約10万人程集められ、白ひげ海賊団との戦いに備えている。一部を除く王下七武海に、海軍大将――――これらを突破しなければ、火拳のエースは救えない。もし一時的に救えたとしてもそこから逃げることが出来ないので、結果彼を助けることはできない。そんな絶望の中、麦わらのルフィはどう動くのか。わざわざシャボンディ諸島に船をつけるのはそれが理由だ。
「あれ、出ていくんですか?」
「あぁ…あいつを部屋から絶対に出すなよ…とは言っても、動ける身体ではないけどな」
魔力欠乏症になると、1か月はろくに魔法も身動きすら取れない。
シャボンディ諸島に再上陸したトラファルガー・ロー率いるハートの海賊団たちは、シャボンディ諸島に設置された巨大ディスプレイから映し出されるマリンフォードの映像を見ながら様子を伺っていたが、突如画面が真っ暗になってしまう。麦わらのルフィがなんとかマリンフォードに駆け付けることが出来たようだったが、果たしてどうなるやら。
「白ひげが仲間を売っただと?くらだねぇ、それをしねぇから生ける伝説なんだ―――行くぞ、ベポ」
「アイアイキャプテン!」
暫くシャボンディ諸島にいたが、これ以上ここでぐずぐずしている余裕はなさそうだ。
薬や食料を買い足し、島を出るハートの海賊団。病室へ向かうと案の定起き上がろうと努力している彼女の姿があった。ローが支えなければベッドから転げ落ち、頭を打ち付けていただろう。さらに点滴の管がからまり、流血沙汰になっていたに違いない。そんな彼女を咎めることなくローは静かに近寄り、薬と水の入ったコップを近くのテーブルに置く。絡まった点滴の管をほどき、彼女を楽な姿勢に座らせるとその隣に腰を下ろす。
「安心しろ、あんたの船も、積み荷もすべて安全な場所に隠されているそうだ」
「―――そうだったの…よかった…」
ローが言うには、船もその積み荷も今はシャボンディ諸島のどこかに隠してあるようで、命がけで船を守ってくれたデュバルたちも無事の様だ。レイリーから聞いたので間違いないだろう。
「ほんとうに…よかった…」
ならば、彼も無事だろう。ロシナンテ、お前を飼い主の元へ帰してあげるのは、もう少し先になりそう。だけど、待っててね。絶対に帰してあげるから。包帯を替えにやってきたローの向こう側で、相棒の姿を思い出す。
「―――変わらねぇな」
「…え?」
「…生きてて、よかった」
「―――あの…」
一体、この人とはいつ、どこで会っていたのだろうか。ついこの間会ったばかりの人とは思えず。彼の態度で名前に思い入れがあることがわかる。
「コラさんは死んだが…あんたは生きててよかった…」
「―――」
彼の抱擁を受けながら、名前は瞳を閉じる。
どうして、私を前にしてそんなにつらそうな表情をしているのか。どうしてそんなに、泣きそうな顔をしているのか。今の名前にはわからなかった。