12 愛憎ロマンス/賢者の石

あの妙な胸やけが悪化したために、生徒たちには申し訳なかったが今日からまる二日間は自習、という事で各学年ごとに課題としてチョイスした本を上級生たちに渡すと、彼らに頼み下の学年の子たちにも課題をやるようにという指示をしてもらった。部屋から一歩も出られない程、名前は例の原因不明な胸やけによりベッドに臥せっていた。あまりの気持ち悪さと、気怠さで食欲さえも湧きおこらない。
朝起きた時点で、マダム・ポンフリーにもらった胃腸薬ではどうする事も出来ず、元気爆発薬をセブルスに渋々作ってもらい、それで何とか乗り切ろうとした。が、セブルスでもどうすることもできず名前は仕方なく、休講という手段を取ったのだった。この状態では外に出られない事はおろか、まともに授業を行う事も出来ない、休むことが最善、という訳だ。

「大丈夫か名前?」
「あぁルビウス…ありがとう、それ、そこに置いておいてくれないか」
「おう、ここでいいんだな?」
「ありがとう」

体調が悪かったので、自分の代わりにルビウスにマグル界での通信販売用の雑誌を買ってきたもらった訳なのだが、ごそり、と机に置かれた雑誌はざっと数えて40冊はある。これを軽々と運んでしまうのだから、流石はルビウス。折角買い物をしてもらったのに、何もお礼が出来ないのは申し訳なかったので動かなくても出来る魔法で紅茶を淹れようとした。だが、魔法が上手く発動しない。杖を振っても、身体に力が入らないのだ。

「…ごめんよ、今紅茶を淹れようとしていたんだけれども…」
「いいんだ、気にすんなよ名前、こういう時は静かに寝てるもんだ、さて、俺ぁ、ちょっくらダンブルドア先生の所へ行く用があるから、ついでに何かあればやっとくぞ」
「そうかい、なんだか申し訳ないね…では、アレが無くなったので頼みたい、とアルバスに伝えておいてくれるかい」
「アレ?それで通じるんか?」
「あぁ、問題ないよ、アルバスとは長年の付き合いだ、それでわかるさ」
「はっはっは、違いねぇな」

豪快に笑い、立ち去るルビウスを見送ると、名前は再びベッドに体を鎮める。あぁ、そういえば羽ペンとインク、羊皮紙をフィルチさんに頼まなければ…と色々とやらなければならない事を思い出していたが、名前はそのまま瞳を閉じ、深い眠りの世界へ誘われてしまう。

1914年、マグル界では第一次世界大戦が勃発、それによりマグル界の危険地帯に住む魔法族にはそれぞれ避難命令が通達された。20代半ばに差し掛かった名前は店もそれなりに任されるようになり、より一層業務に追われるようになっていた時であった。久しく出会ったその魔女は、緊迫した面持ちで名前にその手紙を手渡す。店は臨時休業を取っているので、ここに入ってくる者は誰もいない。魔法でカギもかけてあるので、誰が入ってくることも無い。
ああ、なんという事か。母国が戦争下に突入した事を知らせる号外と手紙内容を読みながら思わず悲鳴を漏らす。

「ナイトリー、ここを離れたほうがいいわ、この店はマグルの店だから、有事の際は隠れる事も出来ないのよ」
「…いいさ、もしもの時、私はここで死ぬよ、ここが私の世界だからね」
「…分からないわ、どうしてそこまでマグルに肩入れできるのよ」

肩入れをしているとか、そういうのではない。だが、今それを説明したところで彼女が理解をしてくれる訳でもないことを、名前はなんとなくわかっていた。だから、あえて何も言わず、彼女の言葉を受け流そう、この瞬間はそう思っていた。

「あいつらは、ろくなことをしないのね、本当に…なんて哀れな存在なのかしら、どうして世界をかき乱す事しかできないのかしら、うんと昔から、ずっと同じね!なんて汚らわしい存在なのかしら!」

彼女が、怒る理由も分からなくはない。大体の戦争の始まりは、マグル界からだ。それでも、全員が全員そうであるわけではない、とは思うけれども。彼女が口を開くごとに、胸の底からカッカと怒りのような感情が沸き起こるのを感じた。学生時代から、彼女はマグル嫌いだったからこその発言でもあるが、マグル界を愛し、マグル界で生きる道を見つけた名前がどんな気持ちでそんな話を聞かされているのか、彼女には分からないだろう。諦めと、怒りの半々に名前はどうしようもなく笑うだけ。そんな名前をよそに、彼女の口からはマグルに対する恨み、そして言いがかりのような事までも吐き捨てた。それらの怨言を、聞き流せるほど名前はまだ年を重ねていない。

「レイチェル、わかったから…、その、君も忙しいだろう、ここで呼び止めてしまっては、君の時間がもったいないから…」

彼女の吐き捨てる怨言に対しての憤りで声が震えてしまうのではないだろうか、と心配したが、口から放たれた言葉は幸いにもいつもの調子で。だが、これ以上彼女の話を聞いていると冷静ではいられなくなってしまう。一刻も早く、ご退場願わなければ。

「まぁナイトリー、貴方はそんなに謙虚になる必要はないわ、姿現しで行けば一瞬ですもの、それにしても最近の貴方の調子はいかが?」

ああだから、どうしてそうなるんだ。お前は暇なのか、と内心つぶやく。

「…相変わらず、仕事の毎日、かな」
「ふふふ、まだ結婚をしていないって噂で聞いてはいたけれども本当だったのね!でもよかったわ、貴方が穢れた血と結婚をしていなくて」

頬が引き攣るのを感じた。

「レイチェル、その言葉はやめた方がいい」
「あら、どうして?だって事実でしょう」

魔法界にいた時、名前はこの言葉が大嫌いだった。いずれ、あの言葉を吐くのだろとは思っていたが、いざそれを目の前で言われて冷静でいられる自分ではない。

「…悪いけれども、他に仕事があるんだ、帰ってもらえるかい!」
「あらそう、では、またねナイトリー」

何の悪気もなく微笑み、パチンと音を立てて姿を消した彼女を、彼女がいなくなっても暫く名前はにらみ続けていた。

「…夢、か…最悪な夢見だな…」

目覚めた時、ホグワーツの周りは静寂に包まれていた。名前は近くにあったガウンを羽織り、心を落ち着かせるためにコーヒーを飲もうと戸棚を開く。だが、コーヒーはすべて

「ん、動けるようになったのですか」
「あぁミネルバ、心配をかけてすまなかったね…少し、寝たらすっきりしたよ」

生徒たちの寝静まった真夜中、名前は胸糞悪い目覚めを迎えたのだ。まだあの夢の余韻の為か、少々苛立っていた。具合が悪い、とミネルバは知っていたので名前のそれは具合の悪さからくるものだと思っている様子だ。

「それより、見回りご苦労様、生徒は見つかったかい」
「いえ、今のところは…」
「ふふ、あの双子がいる限り、気は抜けないからね」
「わたくしが心配しているのは、ポッターです」
「…彼が?どうして?あぁ、そうだね…まぁ、ジェームズ・ポッターの血を引いているし…」
「はぁ、今のところ、大きな事は起きてはいませんが、ここの生活に慣れてくれば、いずれ何か起こすでしょう、あの子は」

ジェームズ・ポッターと彼を重ねたらかわいそうだよ、と言おうとしたがミネルバの心配はそれ以外にもありそうだと察し、名前は口を噤む。
ホグワーツに賢者の石がある限り、ここは安全とは言えない。だが、ここ以外にあれを守れる場所も、魔法界のどこにもないのも事実。はじめは、だから賢者の石をここへ運んできたのだとそう信じていた。

「守らなければ、なりませんね、あの子も、それも」
「―――えぇ」

ハリーが入学したその年に、賢者の石をホグワーツへ運んだ。そうした意味、一体何故今年だったのか。アルバスとは長年共にいるが彼の考えを読む事は未だに難しい。アルバスは、名前同様隠すことがとても上手なのだ。あえてそれを誰にも伝えずにいるアルバスに、ふと、あの時のようだと名前は感じた。例のあの人が世に名をとどろかせていた、あの時代に。

「早くベッドにお戻りなさい、病み上がりなのだから」
「…そうします」

アルバスは、一体何を考えているのだろう。自分が復職したタイミングも、偶然であればいいが…。あの夢のせいだろうか、気分は堕ちていくばかり。嫌な事ばかりが頭をよぎり、親しい友人にも疑いの目を向けてしまいそうになる。こういう時は、何もしないで眠るとかえって考え込んでしまうんで、名前は昼間にルビウスが持ってきてくれたマグル界の通販雑誌で気を紛らわせる事にした。