空を走り続けて何時間たった頃だろうか、朝焼けの空を前に、腕の中で疲れ果てて寝息を立てる少年を見つめながら名前は独り言つ。どうして、どうしてこんなに幼い子が―――家族と離れ離れになり、つらい思いをしなければならないのか。親の愛情が欲しい年頃なのに…彼の不憫さを思うと目頭が熱くなり、ぽた、ぽたと涙が零れ落ちる。
「…これだけ離れていれば問題はなさそうね…」
フレバンスからかなり離れた島なので問題はないだろう。ゴミ山から立ち込める異臭に顔をしかめる。こんな島でも、休憩はできるはずだ。周りを警戒しつつ、人気のない場所に降り立つ。
「…まだ早朝だから、お店もやっている訳ないか…」
未だに疲れ果て、眠り続ける少年。彼の寝息を感じながら名前は目覚めぬ街を歩く。
ナミからある程度お金を渡されていたので宿代は何とか工面できそうだ。しかしせいぜい3日程度しか持たない…どうしたものか。
朝いちばんに開いた店からフランスパンとスープ、紅茶のパックを買い、さらに店主の好意で不要になったコップを分けてもらい、二人は再びゴミ山近くまで戻ってきた。空を飛んでいるときに、ゴミ山近くに小さな廃墟を見つけたからだ。そこは恐らく、服屋だった場所…マネキンが倒れていたのですぐに分かった。ぼろぼろのマネキンがむなしく横たわる店内には、割れた窓ガラスが飛び散っている。
「さーって、一仕事かしら…」
とりあえず、買い物をした袋を壊れた商談テーブルの上に置く。ローは相変わらず爆睡しており、起こすのもかわいそうだったのでそのまま抱きかかえたまま、名前は杖を取り出す。指揮者のように杖をリズミカルに振ると、割れたガラスは見る見るうちにくっついていき、破れたカーテン、ぼろぼろのソファ、汚い壁、床もあっという間にピカピカに変わっていく。ゴミ山の近くのせいか匂いも酷かったので脱臭魔法と防臭魔法も強力にかけておいた。
奥にもう一つベッドの置かれた部屋があったが、ベッド以外置くスペースがなかった。壊れたものをすべて直しおえると流石に魔力を使いすぎたのか、疲れがどっと出てくる。ちなみにあの少年は魔法で新品同様に直したベッドの上で眠らせている。一日でこんなにも魔法を使ってしまい、正直魔力欠乏症にならないかとひやひやしたが、あの日から使える魔力が増えたような気がする。だが、調子をこいて魔法をたくさん使うのはリスクが高すぎる…今は仲間が近くにいないので、無茶はしないようにしなくては。
店内には不幸中の幸いで、服や布などそれなりに材料が残されていた。魔法で洗浄し、準備を整えるとようやく少年が目を覚ます。騒音で起こしてしまったのかもしれない。
「おはよう、そこの水で顔を洗ったら朝ご飯にしましょう」
ベッドサイドに置いてあるボウルを指さす。すると、少年はぼーっと名前を見上げた。
「……ねえちゃん、誰…」
「私は名前…えーっと、あなたは?」
彼の名前は、ロー。
世の中に同じ名前の人間などいくらでもいる。だが、まさかあの男と同じ名前の少年と遭遇するとは。不思議な縁もあるものだ。
「どうして…助けたんだ…」
「―――当たり前の事をしたまでよ」
辛かったわね…少年の肩にやさしく触れると、彼が弱弱しく泣きじゃくり始めた。現実な残酷の中、彼だけが生き残った。家族と死別し…すべてを失った幼い少年の小さな背中をただじっと見ていることはできなかった。彼の人生に何があったのかはわからないが、今はやさしく寄り添おう。弟を抱きしめた時のように、ぎゅっと少年を包み込む。
ようやく落ち着いたのか、涙も止まり、ゆっくりとではあるが食事に手を伸ばした時、彼はあることに気が付いた。それは、自分の身体に傷が一切ない事。それなりにケガをしていたはずだが、肌は傷一つなく、痛みも無い。ただ、珀鉛病にかかっているのでお腹の部分がうっすらと白いのには変わりなかった。
「傷口が…」
「治しておいたわ」
「…そんなに、すぐに治るものなのか…?」
「まぁ、企業秘密!」
「―――医者、なのか?」
「いいえ、医者じゃないわ」
「嘘だ、医者じゃなけりゃ、どうやって治したんだ?」
後に知ったが、彼は医者の子供。だからそういうのが気になって仕方がないようだ。とりあえず誤魔化したが、幼い少年の鋭い眼光でじっと見つめられ、思わず苦笑いが漏れる。
「今ある布で服を作るから、後でサイズを測らせてね」
「服を作れるのか?」
「えぇ、私の本業は仕立て屋だもの」
「ふうん…」
やはり、疑われている。
ともかく、明日から食っていくためには仕事をしなければ。朝食を食べ終わり、名前はソファにだらしなく横たわる。ロー少年はかというと、先ほどからずっと窓の外を眺めては色々と考え込んでいるようだ。きっと、故郷の事を思っているのだろう…失った家族…友人…。彼の心境を思うと、胸が苦しくなる。
「…ここに、住んでいるのか?」
窓の外を眺めながら、少年が呟く。
「いいえ、私の住んでいた場所はここからうんと遠い場所」
一体、いつ帰れるのかしらね。でも、まだ帰るつもりはない。ローの体調が落ち着いたら彼を安全な孤児院で保護してもらい、はぐれてしまったロシナンテを探さなければ。それに、覇気の修行もしなければならない。やらなければならないことは山積みだ。まずは明日を食っていくために仕事をして賃金を得なければ。働かざる者、食うべからずってね。
「―――箒で飛んでたのは、何かの能力なのか?」
痛いところをつかれてしまった。確かに、箒で飛んでいた…いや、仕方がなかった。ほかに少年を運ぶ方法がなかったから。見知らぬ土地で、しかも暗闇の中姿くらましをするのはとても危険だったからだ。
「そんなところよ」
「…魔女みたいだな」
「え?!なんでわかったの!?」
魔女だと言い当てられ、わかりやすく動揺すると少年は小さなため息を吐いた。
「―――嘘つくのヘタだよな…」
「……あははは」
誤魔化していたつもりだったのに、やはり嘘がバレていた。昔からロングボトム姉弟は二人とも、揃って嘘をつくのが下手だった。顔に出ている…とはよく言われたものだ。
「傷を治してくれたのも…魔法、なんだろ―――ありがとう」
「…ふふ、どういたしまして。あ、でも、このことは―――」
「黙ってろって言いたいんだろ」
「うん…ちょっと訳アリでね…」
追われてるのよね、政府に。なんて流石に言えない。彼を巻き込まない為これだけは言わないつもりだ。しかし、少年も何かを察してくれたのか理由を問うてくることはなかった。
「魔法は、何でも治せるのか?」
「いいえ…私は“癒者”じゃないから、なんでもではないわ…傷とかだったら治せるけれども…どうしたの?どこか痛いの?」
すると、少年は自身が“珀鉛病”に罹っていることを名前に告げた。しかし、病名を聞いてもあまりピンと来ていない彼女。その表情を見て、ローはゆっくりと、フレバンスで起こった悲劇を語り始める。それは、名前の想像を絶する話だった。
フレバンス王国は珀鉛という鉱物を使った産業で栄えていた。しかし、実はそれが地上に出ると毒素を発生させる物質で、政府や王族はそれを分っていて人々に珀鉛を発掘させ続けた。巨万の富に目がくらみ、最悪の事態を招いた。その毒は時間をかけて人々の体の中に蓄積し、毒が回って皮膚や髪が真っ白になった時には既に遅く―――。
ある日を境にフレバンスの人々は珀鉛病を発症して次々と死んでいってしまったらしい。
外へ逃げようとしたフレバンスの民に対して、周辺国は病気が感染して自国に蔓延するのを恐れ、国境に亡命してきたものを次々と殺していった。どこへ逃げる術もなくしたフレバンスの民は、王族と政府に助けを請うた。しかし、政府が手を貸してくれたのは、王族を逃がす事だけ……最も助けるべき国民は見捨てられ、ついに彼らは武器を取る。しかし―――国境に面している国々はそれを見逃さなかった。連合軍に攻め込まれ、先の悲劇が起こった…という訳だ。彼から語られる真実に、言葉を失う。
どうして、どうして政府は助けてくれないのか。どうして王族が我先にと逃げるのか。ああやはり、どの世界でも汚れているものは汚れている。特にこちらの世界政府は信用ならない―――やはり、ルフィたちの仲間でよかったと改めて感じた。
さらに、珀鉛秒には治療薬も無いらしいので、それに罹ってしまった人の待つ未来は死しかない。そんな残酷な運命を、今彼は歩んでいるのか―――。
目を閉じると、銃弾の音と、人々の叫び声が聞こえてきたような気がした。