ダイアゴン横丁にやってきた名前は、漏れ鍋の店主に軽く挨拶をし、ぱたぱたとローブについたすすを掃う。
去年の反省からか、今年はばっちり変身してダイアゴン横丁に来たのであの子関係の人たちに遭遇したとしてもわからないだろう。この時はそう信じていた。
イーロップの梟百貨店を横切った頃、見慣れた人物を発見し思わず声をかけそうになってしまい、慌てて口をおさえる。
「…(ルビウス、そうか…ルビウスに頼めば…いや、ローブぐらい自分で買えなくてどうする…逃げてはだめだ、しっかりしなくては)」
これがいけなかった。考え事をして、つい足元ばかりを見て歩いていた為、誰かと肩がぶつかってしまった。ぶつかってしまったことに対して謝罪を述べようとしたが、ぶつかった人物がまさかの人物で、一瞬言葉を失ってしまった。どうしてこのタイミングで遭遇してしまったのだろうか。
「―――何か」
「い、いえ、失礼しました」
つい動揺してしまい、口ごもってしまった。今は別の姿なのだから、何を慌てる必要があるのだろう…と、ふと、変身していたことを思い出し、平素を繕うがその動揺が肉体の一部に現れてしまったようだ。立ち去ろうとするが、男に腕を掴まれ、裏路地へ連れ込まれてしまう。ああ、なんという失態だろうか。名前は心の中で己の運の無さにため息を漏らす。
「やはり貴方でしたか」
「…誰のことですか?貴方とは初めてお会いしましたが」
「小賢しい事を考え付いたものですな、私が誰であるのかをお忘れではないでしょうね」
「―――」
やはり、気が付いてしまったようだ。名前は降参し、変身を解く。すると、冷たい笑みを浮かべたルシウス・マルフォイと目が合い、小さく息を飲んだ。この子は昔から苦手だったが、大人になってさらに苦手意識が強くなったと思う。原因は、あの子のせいではあるが。
「一体何から隠れているつもりなのですかな」
「…隠れている訳ではないよ」
「去年―――の出来事は聞いている」
去年、という言葉に名前の瞳に動揺が走る。ホグワーツの理事であるルシウス・マルフォイがこの事を知らない筈がないのだ。最近、彼はアルバスを校長の座から降ろすべく様々な策を練っているらしく、名前の身にも何かが起こるかもしれない、とアルバスに忠告されたのはつい最近のこと。
「そこで…何を見た、名前・ナイトリー」
「―――何も、あれは魔法の暴走で、彼は」
「人ならざる者である貴方が彼を消したのではないですかな?それとも、校長が―――」
「それらは断じて違う」
「ならば、何故裏でこそこそと」
ぐい、と顎を持ち上げられ無理やり視線を合わされる。名前の赤い瞳が動揺で揺れ、逃げることを許さない壁の冷たさを背中に感じながら、この場をいかに逃れようかと必死に模索していた。
「ああ、言い忘れていたが、貴方の魔力を貰った者に変身術は効きませんぞ」
「…」
それも失念していた。君はうっかりしている所が多いので気を付けるように、ともアルバスから言われていたことも思い出し、内心頭を抱える。去年同じ時期に彼と遭遇し、魔力を奪われたのだった…どうしてそんな重要な事を失念していたのか。我ながら情けなく思う。
ねっとりとした舌が名前の少し人より短めな舌を絡めとり、じわりじわりと名前の魔力を奪っていく。彼が何故こんなことをするのか、考えなくともわかる事。彼はあの子に従順なしもべだった。従順故に、彼はあの子の事を恐れている。きっと不安なのだろう、あの子が復活したのではないかと。
だから、ルシウス・マルフォイは名前を監視している。
「……ふっ…ッ」
息が出来ず、酸欠による脱力なのか魔力を奪われていることに対しての脱力なのかはわからないが、視界がぼんやりとし、ずるずるとその場にへたり込む。しかし、ルシウスは名前を中々解放してはくれず、何度も角度を変え、魔力と気力を奪われ続けた。
「―――だめだ、ちからが、はいらない」
暫くして満足したのかルシウスが力なく裏路地に横たわる名前から離れどこかに姿を消していったが、名前は去年以上に魔力を吸われたのか、ぼんやりとした視界で建物の隙間から見える人々の足元を見つめる事しかできなかった。
あれは、何だったのだろうか。魔力を奪われている時、何か紙のようなものを手に押し付けられていた。それが何であったのかはわからないが、どうしてあんなにまで魔力を吸い取る必要が彼にはあったのだろうか。次第に鮮明になってきた頭の中で、名前は急に喉の渇きを感じ、買い物そっちのけですぐさまホグワーツに戻っていった。城に戻るなり遭遇したのはかなり不機嫌なセブルス・スネイプ。ふらふらしていたため、彼の肩にぶつかってしまったようだ。今日は何かと人とぶつかる縁でもあるのだろうか、ダイアゴン横丁での出来事を思い出し、内心、何度目かのため息を漏らす。
「ごめんねセブルス」
「今までどちらにいらっしゃったのですかな」
「ああ、ダイアゴン横丁にちょっとね…あの、早速で申し訳ないんだけれども、アレの在庫あるかな」
「―――貴方の棚に入れておいた」
「あ、ありがとう」
セブルスの視線が、こんな時に何をしていたのか、と言っている気がした。ちくちくと痛い小言を言われ、最後に彼が名前を探していた理由を知らされ思わず驚きの声をあげる。
「ポッターが家で魔法を使ったそうだ」
「―――え?」
いくらジェームズ・ポッターの血を受け継いでいるとは言え、彼の父親でもこの年齢で魔法省から忠告を受けた事は無かったような気がする。意地悪なマグルの家にいるというし、彼が無意識のうちに魔法を使ってしまったとしても仕方のないような気もする…が、法律は法律。名前はゆったりと部屋のソファに腰を下ろし、赤い液体をちびちびと飲み始める。何にせよ、ヒトならざる者である自分が魔法省のやる事に口を出すことなんてできない。
「いいかね、名前」
「アルバス…?どうぞ」
物思いにふけていると、アルバスの声で現実に戻された。名前がアルバスの部屋を訪ねる事は多くとも、アルバスが名前の部屋を訪ねる事はあまりない。
「ふむ、相変わらずマグル好きじゃのう」
「あはは…あちらの棚にあるのは殆どアーサーから渡されたものですよ、なんでも、使い方がわからないから説明書が欲しいって…」
何でも屋さんではないが、アーサー・ウィーズリーは元教え子。教え子の頼みは中々断れない。何十年経とうとも、自分を慕ってくれる教え子は可愛いものだ。
「ほっほっほ、彼も相変わらずのようじゃ」
「アルバス、今日は一体?」
「ふむ…ハリーの事は、セブルスから聞いているかね?」
「えぇ、魔法を使ってしまったとか…でも、未成年が無意識に魔法を爆発させてしまう事は仕方のない事ではないですか」
「わしも君と同意見じゃよ、だから、わしはマファルダに手紙を出したところじゃ」
「流石アルバス」
マファルダ・ホップカークは魔法不適正使用取締局の男で、アルバスの元教え子の1人だ。どうやら、アルバスが彼に手紙をすぐさま出したお蔭でハリーが魔法省に出向かずとも済んだらしく、何度も言うが、流石はアルバス・ダンブルドアだ。
「ハリーの事はとりあえず一安心…でも、もしかして、他にも何かあるんじゃ…」
「君の勘は流石だ…ホグワーツの理事会が来週行われる事となった」
「理事会が…」
議題に出されるのは、間違いなくあの出来事。理事長でもある彼が探りを入れて来ていたので、嫌な予感がするなとは思っていた。名前は小さくため息を吐き、空になったグラスをテーブルにことん、と置く。
「理事会には、教師は必ず全員参加せねばならんのでな…手紙が届いたら、教えておくれ」
「え?えぇ…」
今までであれば、体調が悪い場合や、仕事の都合で休むことはできたが、恐らく、これは彼の仕業だろう。クィリナスの死の真相を暴くために…あの子が戻ってきたときの為に、備えるつもりでいるのだ。
「それと、君にこれを渡しておこう…今年も頼むよ」
「これは新入生のリスト…あぁ、いつものですね、任せてください」
にこりと笑うと、青い瞳を細めアルバスも微笑み返した。マグル学教師である名前は、ここの教師の中で一番マグルに理解がある。マグル出身の新入生にうまく説明し、入学の日を安心して迎えられるようにするのが名前の仕事の一つだ。純粋なマグル出身の子はそこまで多くは無いが、年々増えているような気はする。
「…明日からはまた忙しくなるな」
これから入学してくるであろう子供たちの事を思い浮かべながらリストを眺めていると、嫌な気分も吹き飛んでいくようだ。教師と言う職業は、まさに名前にとって天職と言えるだろう。
アルバスに手渡されたリストを皮のバッグに入れ、名前は明日の支度を始めた。