貝殻の家に強い風がヒューヒューと打ち付ける。
もうすぐオリバンダーが安全な場所へ避難する時刻だ。だが、ハリーは先ほどクライヴから言われたその方法が、あまりにも衝撃的すぎて言葉を失っていた。
名前にはレーガン家のことをたくさん話したせいで、今はショック状態なので放っておいてほしいと言われた。でも、こんなことを名前に言えば、今度こそ名前が廃人になってしまうのではないかと思う。
ハリーですら言葉を失うその方法を他の騎士団員にも言うなと言われてしまった。
これは、最初で最後の約束だと彼は言った。だから、どんなことがあろうともこれだけは誰にも言えないだろう・・・ロンや、ハーマイオニーにすら。
他に方法はないのか、と問い詰めたが、これ以外ヴォルデモートの魂を完全に消滅させる方法はないのだという。あまりにも絶望的なその方法を、彼は笑って言うのだ。
親友を殺す――――それがどんな気持ちか、どんなに苦しいものかハリーには痛いほど分かっている。自分がロンたちを殺すことなんて、絶対にありえないだろうが、もしそんな状態になったら普通ではいられない。だが、クライヴは普通に、しかも笑って言うのだから。
彼がどんなに苦しい思いをしてその結果にたどり着いたか、それを思うだけで心が痛んだ。
周りの人たちはこんなにも必死になっているのだ、自分も、もっと頑張らなくては――――ハリーはさらに強い決意をした。
ハリーと話を終えたクライヴは、意識を手放すかのように眠りに就いた。長い間、こんなに熟睡した日はないだろうというくらい眠りを貪った。
『ちょっと、さっさと起きなさいってこのろくでなし』
『おい・・・人が熟睡してるからって夢に出てくるなよ・・・ペンダントで会話すりゃいいだろうが』
この空間はキリクが作ったもので、精神空間といってもいいだろう。
ペンダントを作る前に、よく会議をここでしたものだ。クライヴは頭をぽりぽりと掻きながらその空間にあるソファに腰をおろした。
その空間は、キリクの好みなのかロココ調で統一されており、甘い食べ物がテーブルに多く並べられていた。ピーナッツクリームがのっかているクラッカーを一つまみすると、キリクは小さな咳をし、クライヴの隣に腰をかけた。
『あの子に話したのね、レーガン家のことと、あたしが過去にやったことを』
『ああ・・・きれいさっぱりな。だけど、まだあいつは理解していない箇所があるようだったけどな。』
『まぁ仕方ないでしょ、この話ごたごたしすぎてるもの。』
そう言い、クライヴの肩に身をゆだねると、クライヴはそっとキリクの肩を抱く。
『・・・あんた、あたしと結婚したいってずっと言ってたわよね、あの頃が懐かしいわ』
『ははは、全部空振りだったけどな、今さら俺の魅力に気がついたか?』
『図に乗ったらクルーシオするわよ』
『そんなに魔力、残ってねぇくせして、強がっちゃって。そこもまぁ、お前の魅力なんだけどさ』
キリクは眉間にしわを寄せクライヴをにらむ。
『お前の・・・その特技って、もしかしてアレか?人の心に眠る奥底のそれを覗ける能力って・・・』
『・・・そうよ、ローズの血が色濃ければ濃いほど、その力は継承されやすい。相手の心の底なんて知りたくもないっての』
『それがお前の運命だったんだな・・・それにしても、ローズさんはそこまでしてもオリオンを救いたかったんだろうな』
『そりゃそうでしょ、お腹を痛めてまで生んだ命だよ。人は必ずしも、生まれた時から闇なんて宿しちゃいないのよ』
キリクの言葉には、ずっしりと来る何かがあった。
『あたしも、父親を殺してしばらくの間はずっと父親が死んで当然だと思ってた。でも、やっぱり親なのよね、あいつも。だから、割り切れない何かがずっと頭を付きまとうの。そうね、だから同じ感情を共有していた兄貴の元を片時も離れなかったのかもしれない…』
独りぼっちになったとき、それは大きくなってやってくるから―――と、キリクはつぶやく。
『どこでねじ曲がっちゃったんだろうね・・・あはは・・・母さんも、何故あんな男と―――って、何度も思ったわよ。だけれども、あいつがいなかったらあたしたちはこの世に生まれてもすらいなかった』
ぽつり、ぽつりとこぼれてくる言葉を、クライヴはただ黙って聞いていた。そもそも、彼女が自分たちのことをこうやって素直に話すことすら珍しい。それだけ、終りが近づいているということなのだろう。
『あたしのほうは準備できたよ、いつでも・・・できるわよ。あんたの、覚悟が決まっているのならば、ね』
『・・・覚悟なんて、とっくの昔にしてたさ――――』
『ははは、そうだったね・・・そもそも、あんたを殺さず、杖に封印していたのはやっぱり兄貴があんたのこと――――』
『おい、この先は絶対に言うなよ・・・!』
大切に思っていたからなんじゃない、制止の言葉も意味もなく、つぶやかれた言葉にクライヴは頭を抱える。
『だって、その後も兄貴、杖から兄貴を出して殺そうとなんて一度も考えてなかったようだし。やっぱり、あんたのこと、兄貴は大好きだったのよ。じゃなければ・・・・あの戦いの日、あんなにつらい表情、しないでしょ』
ぼろりとこぼれおちる何かが、何なのか考える余裕すらなかった。キリクはそんなクライヴの体をぎゅっと抱きしめた―――それは、まるで母のように・・・
『あんただって、兄貴のこと、まだ大切に思ってるんでしょ、あんた言ってたじゃない。俺たちは、家族だって――――』
もうまともな言葉すら口からでてこない。ぼろぼろとこぼれおちるそれは、クライヴの膝でぽたぽたとシミを作っていた。
『だからこそ・・・あんたが、終わらせて頂戴・・・・・この、憎しみの連鎖を――――』
キリクの呟きに、再びクライヴは嗚咽を漏らす。
あれから何時間が経ったのだろうか。名前はずきんずきんと痛む頭を抱え、そっと階段を下りた。
今ではリーマスが明るくなるような話題を発表していた。が、しかしその中に今の自分が入れる自信はなく、ただ、階段のところから彼らを見守ることにした。
ローズの願いはオリオンと直結しているような気がする。きっと、オリオンがこの呪いを解くカギなのだろう。
ハリーがヴォルデモートと対峙する際に必ずあの男はやってくるだろう。その時のために、自分がその場にいたほうがいいだろう。だが、今利き腕を失くした状態でハリーの足手まといにならない保障なんてなんにもなかった。
クライヴは最終的にオリオンと戦うことになるだろうし、その場に自分がいてはクライヴの足かせにもなるだろう。結局、自分は足かせ以外の何者でもないということだ。
だが、盾ぐらいにはなるだろう。でもまだ謎がある・・・スティンギーは何故、あのことを僕に言わなかったんだ?
そう考えていると、急いで帰ろうとするリーマスと目が合った。
「名前・・・久し振りだね、またずいぶんとやつれたね。どうにか逃げおおせたって聞いたけど・・・」
「あぁ・・・死んでもおかしくはなかった。だが、こうしてまだ、生きている」
「まだ、なんて言葉使ってはいけない。君にはハリーたちと一緒に未来を作ってもらわなくちゃ困るんだからね。そうだ、この戦いが終わって、卒業したら名前、君は魔法薬学の教授になるといい」
突然の未来の話に名前は口をあんぐりさせた。まさか、この先長くない自分に未来の話をしてこようとは・・・。
「はは、そうだな・・・わかった、リーマスがそれを望むならば、教授にでもなろう。」
リーマスは父上のことに関して何も聞いてこなかった。これは彼なりの優しさなのだろう。
「わたしに子供ができたんだ、男の子で、テディ・リーマス・ルーピン。ハリーが名付け親なんだ」
そういうリーマスはずいぶんと若く見えた。頬がほんのり赤く、実にうれしそうな表情だ。こんなにも嬉しそうな顔をするリーマスを見たのは、彼が子供の時以来だ」
「そうか・・・テディか、いい名だな」
こんなに明るい話題はいつぶりだろうか。今までずっと暗いニュースばかりだったので、久々に名前も笑ったような気がする。
人の誕生とは、こんなにも喜ばしいことなのか。何故だか涙がにじんでくる。
「テディ・・・リーマスのように、立派な魔法使いになるだろうな」
「わたしはそんなに立派じゃないよ・・・でも、うれしいよ、ありがとう」
なぜ自分が泣いているのかもわからなかった。ただ、とてもうれしかったのだ。
「ははは、名前、顔がぐしゃぐしゃだよ」
そういうリーマスも涙を流していた。
二人は泣き、笑い合った。こうしていると、昔を思い出すようでなんだかまた涙がこぼれ落ちそうになる。
「わたしらの子供がホグワーツへ通うときは、よろしく頼んだよ」
「…なんだ、僕は教授決定なのか」
「期待しているからね、未来の魔法薬学教授」
「がんばって期待に応えるとしよう。だが、僕はスパルタだぞ」
「はははっ、だろうね」
楽しい時間とはあっという間に流れるものだ。そして、別れの時はやってきた。今度はいつ会えるだろうか、名前はそういうと、リーマスはいずれまた会えるさ、と笑いながらいう。
いつまでもこうして笑っていられたらよかったのに。消えたリーマスの場所を名前はしばらくじっと見つめていた。
「…僕も、生きれる、のだろうか……」
誰も名前のつぶやきに気づくこともなく、時は過ぎて行った。ハリー達はロン、ハーマイオニーを連れて旅立ってしまった。
名前はクライヴと二人、まだこの家にいた。
クライヴは、オリオンに居場所を探られる恐れがあるので滅多に魔法を使うことはなかった。その代わりに、スティンギーとドビーが二人の面倒を見てくれていた。
夕食のとき、名前はあのことをスティンギーに聞くことにした。
「スティンギー・・・お前は、過去にキリク・M・リドルのところにいたな?」
「…坊ちゃま?どうかしたのでしょうか、私めはずっとレーガン家の屋敷僕でございます。」
クライヴはその質問をした名前を見て、二人の屋敷僕をしばらく外へ追いやった。
二人だけとなった今では、静かに暖炉の音がぱちぱちと響き渡る。
「…あのな、言い忘れてたんだが、スティンギーはキリクによって記憶を消去されているんだ。だから、自分が屋敷からこっそり抜け出してキリクたちの面倒を見ていた事は二度と思い出すことはないんだよ」
「何故、記憶を・・・?」
「…スティンギーはもともとレーガン家の屋敷僕だ、この意味がわかるな?もしレーガン家の者がスティンギーが時々いなくなる理由を探って、本人に理由を聞きだしたら、スティンギーはすべてを主人に話さなければならなくなる。スティンギーは屋敷僕、レーガン家の者は主人…」
「だが、キリクもレーガンの血を…」
「名前にレーガンは付いていない」
だから、キリクはスティンギーの記憶を消したのか。だから、先ほど彼に話をしても、何のことやら理解していなかったのだ。
「あと気になる事がある・・・その、人の心の奥底に眠るものが覗ける能力に関してなんだが・・・」
「それは、お前が一番分かっているはずだ。たとえば、どんな悪党でも、そのものが普段考えるとは到底思えない事が、頭に入ってきたことはなかったか?」
クライヴにそう言われてみると、思い当たる節はいくつもあった。ベラトリックス・レストレンジがいい例だ。
彼女は確かに、シリウスに杖を向けていた時悲鳴をあげていた。
きっと、気のせいだったのだろう。そう考えていたが、もしかすると、人の心の奥底に眠るものとはそういうことなのだろうか。
「…キリクの場合、その力が大きく働きすぎた。だから、自分の周りの人間の心の底まで聞こえていたんだ。だから、あいつは地獄だ、とよく呟いていたんだ。名前にその能力が移ったら、名前も同じ苦しみを味わうだろう、そう考えていたんだが、思いのほかそんなに大きな力は発揮しなかったようだな」
たしかに、聞きたくもない人の心の声なんかが四六時中、しかも不特定多数の声が聞こえていたらまさに悪夢だ。ノイローゼになってもおかしくはない。
レーガン家はつくづく厄介な血筋なのだな、と思う。
「さてと、そろそろ俺たちも動くとするか。俺と一緒に行動していたほうが、お前が安全だからな。それに、あいつもお前には手を出せまい」
何故ならば、自然な状態で瀕死にならなければ魔法の効力は無くなってしまうからだ、と以前説明された。だが、オリオンだけには気をつけなくてはならなかった。
「ハリー達が今頃、アレを破壊しに行ってる頃だ。最終決戦まで間近だ・・・ゆっくり体を休めろよ、っつっても、毎日ろくに眠れてないんだろうな」
呪いが早まったおかげで、最近の悪夢は悪夢を極めてきた。眠っている間、まるで自分が地獄にいるような錯覚に陥る。だが、体を休めない限り、あいつらの思うつぼという訳だ。それはクライヴにも言えたことで、彼も日に日に悪夢が酷くなっているようだ。
果たしてこんな状態の二人がどうやって彼らに立ち向かうというのだろうか。名前は頭を抱えた。
薄明かりの部屋で、ヴォルデモートは怒りで声を震わせていた。
小鬼は主人の怒りを買ってしまったことを怖れ、がちがちと歯を鳴らした。
オリオンはその横で、どの小鬼を見せしめに殺そうかと選んでいた。
だが、どれを殺しても同じようなものだ。この心を満たしてはくれない。オリオンはつまらなさそうにヴォルデモートと小鬼のやり取りを見やった。
きっと、分霊箱のことをあいつらに言ったのもクライヴに違いない。沸き立つ感情を抑えながら、周りの死喰い人を眺める。
「卿、きっとすべてを話したのはクライヴしか考えられません。クライヴがダンブルドアに話した、そして、ポッターに教えた。あいつはあの日以来、ずっと姿を隠している。これで道理がつきます」
「―――クライヴか、俺様の情けで殺さずにいたものを…今度ばかりは、許さぬぞ……」
地を這うような声で叫ぶ。周りのものはばらばらと音をたてて崩れてゆく。陶器が割れ、オリオンの頬をかすめる。
久方ぶりに見る自分の血に、オリオンは笑みを深める。
「卿、ならばこうしてはいられません、向かいましょう」
「もはやお前しか忠実な部下はおらぬようだな、だが、これは俺様一人が片付ける。お前はクライヴを探し出して殺せ!」
ニワトコの杖が緑色の閃光を放ち、小鬼たちを次々になぎ倒していった。ヴォルデモートが去った部屋には、多くの屍が転がっていた。その中で、オリオンは不敵な笑みを浮かべ、杖を取り出し屍を燃やしていった。
「…クライヴ…許さないよ……僕は、お前を……」
今度こそ、何百とも続いてきた恨みを晴らしてみせる・・・そして、母上と再び・・・
僕を理解してくれるのはあの人だけだ、あの人がいればそれでいい、あの人が僕のすべてなんだ。
ガンガンとオリオンの声が頭をこだまする。名前はあまりの頭痛に地面でうずくまってしまった。
「オリオンの声が聞こえたか・・・お前とオリオンは強く結び付いている、ハリーとあいつのようにな」
クライヴはそっと名前の肩をなでた。
あまりの頭痛に胃液を吐いてしまった。憎しみという負の感情が次々に名前の頭の中へ注ぎこまれる。
「うっ・・・ぐっ・・・・・はぁっ・・・・」
「少し休まないとやばいな、あの森で身を潜めよう」
「駄目だ・・・止まっては・・・!僕なら、平気だ・・・・!」
「これのどこが平気だって言うんだよ!平気じゃないぞ、これは。オリオンの魂がお前に悪影響を及ぼしているのは確かだ!こんな状態じゃ、まともに歩くことすらできないぞ!」
「でも…でも…早く、大切な人たちを――――助けに行かないと・・・・僕は、もう二度と、大切な人を失いたく、無いんだっ…!」
ぼろぼろと泣き腫らす名前にクライヴは小さくため息を吐いた。
「ほんと、お前頑固だよ。わかった、じゃぁ俺の背中におぶれよ」
クライヴの背で、名前はオリオンの心の中をのぞくことができた。
母を返せ、人生を返せ――――愛して、ほしい・・・・
彼もまた孤独な人間なのだ。孤独は闇を生む。人とは、一人では生きていけない存在だ。自分もオリオンのような環境下に置かれていたら、彼のように狂ってしまっていたに違いない。
自分には最愛の家族や、友がいる。昔は一人で家にいたことを酷く孤独だと感じていたが、それは本当の孤独ではなかったのだ。
自分がいかに愛されているか、自分がいかに甘やかされて育っていたかが痛いほどわかる。だから、もう二度と泣き言は言うまい。