どうしてこんな自分に惹かれたのか。それは、自身がこの世では唯一の、魔蜘蛛(アラクネ)の子供だからと名前は考えている。どの魔力にも染まらない、純粋な魔力の塊。そして、それは皮肉なことにアラクネの”愛の魔法”によって創り出された存在。愛を知らない孤児だった名前は、運よく当時連れ去られたばかりだったので、アラクネの愛の魔法の影響をそれほど受けていなかった。子供になったばかりの名前には、まだ魔力を”供給”する枠割が与えられていなかった。これも運がよかった。しかし、彼が覚えている記憶は連れ去られる直前の一部と、助けられた以降の記憶だけ。だからかつて自分がどの孤児院にいたのか、本当の両親のことも、一切わからない。名前にとって、エレナ・ナイトリーに助けられたその日が誕生日だった。
魔法使いの子としてホグワーツに通い、成績優秀に育った名前は育て親である彼女から受けた助言を無視して、魔法界を離れ、マグルの世界で生きることを選んだ。それは親友の1人がマグルだったからかもしれない。孤児だった名前にとって、血の繋がりなど関係ない。心の繋がりこそが”家族”の証だと信じている。マグルの戦争で散っていった親友、トムの残した一人息子ジョナサンと暫く暮らし、彼は”家族”の愛を感じながら過ごしていた。とても幸せに満ちた日々を送っていたと思う。ジョナサンを立派に育て上げ、さらに彼の妻カトレアと、その間にできた1人娘…名前にとっての孫とも言えるマーガレット達を遠くから見守りながら余生を過ごす予定だった。
しかし、時は第二次世界大戦中―――本当の父親と同じく、戦争で命を散らした彼と再会した頃には骨となっていた。自分よりもうんと若い、未来ある青年がこんな結末を迎えないといけないなんて。そして残酷なことに、その年の12月25日、ロンドンの大空襲によりカトレアとマーガレットが亡くなってしまった。本当にかわいそうだった。カトレアなんて当時まだ22歳で、マーガレットに至ってはたったの3歳だ。3歳になったばかりで、お祝いに巨大なバルーンの中に沢山のくまを仕込んだ事がとても懐かしい。あの日が最後となってしまうなんて。あんなに泣きはらした日はあっただろうか。せめて、あの時、あの家に保護呪文をかけていれば。あの時、オルゴレ村に戻らず、ロンドンにいてやれば助けられたかもしれないのに。これが名前の背負う後悔のひとつだ。酷い時は毎晩のように夢に出てきた最愛の家族たちだが、何十年と経ち、次第に夢に出てくることはなくなった。それでも、心の傷が癒えることは無い。死を許されたその時、ようやく安らぎが訪れるのだ。
時を遡ること、1938年―――マグル界はとても殺伐としていた。血で血を洗う争いが各地で起き、今にも世界的な大戦が勃発しようとしていた。そんな時代に、名前はホグワーツのマグル学教授に就任した。前任のパトリシア・グレアムが今年の7月に病死したためである。パトリシアは名前がホグワーツに通っていた時代からここでマグル学を教えていた。この科目がホグワーツの教育カリキュラムとして正式に加わったのは、1870年から。それまでは”研究科目”として存在していたらしく、比較的最近出来た科目なのだ。実は、名前の育て親、エレナ・ナイトリーこそがホグワーツでマグル学の元教授であり最初に教鞭を取った人物だったりもする。ナイトリーは純血の家系だが、エレナの死別した夫はマグルだった。一般的に結婚をした女性は夫方の姓を名乗るのだが、魔法界で仕事をしていたので今更変える必要もないと思い、特に変えなかったそうだ。
新しいローブに身を包み、緊張した面持ちで列車に乗り込む。魔法界から離れてもう20年以上は経つ名前にとって、この列車はとても懐かしいものだった。パトリシアの病状が去年から思わしくなく、新しいマグル学の教授を募集することとなった。だが、マグル学という比較的新しい科目を教えるだけの知識を持つ魔女や魔法使いを集めることはとても至難の業で、名前・ナイトリーに白羽の矢が立ったという訳だ。ナイトリー家の跡取りである名前ならば、ふさわしいだろう。ホグワーツの理事たちもすぐ彼を招集するよう、当時ホグワーツの副校長だったアルバスに書面を届けさせた。勿論、彼をマグル学の教授に推薦したのはアルバスだ。息子ジョナサンが新しい家族に囲まれて幸せに暮らしている今、名前が断る理由もなかった。立派に育て上げたのだから、今度は自分が世話になった学校で多くの子供たちの面倒を見るのもいいかもしれない、と。
「…あの、すいません、ここ、いいですか?」
「―――あぁ、構わないよ」
生徒の1人が同じコンパートメントに入ってきた。ネクタイの色からして新入生であることは間違いないだろう。何を隠そう、彼こそがトム・マールヴォロ・リドルだ。これからの人生で彼とは切っても切れない関係になろうとは。列車が出発しても、このコンパートメントにやってくるのは車内販売の女性だけだった。外を眺めて思い出に浸っていると、ふと、目の前の少年と目が合う。
「…先生も、同じ目の色をしているんですね」
「―――!」
言われてみれば、そうかもしれない。名前の場合、アラクネの魔力による副作用のようなものだが、感情が高ぶると今よりも深紅になるそうだ。念のため、眼鏡をかけて色をごまかしたほうがいいかもしれないな、とこの時思った。
「魔法界じゃいろんな瞳の色をした人がいるよ、赤い瞳なんて別に珍しくないさ」
「…そうなんですね」
再び、沈黙が続く。子供の相手は子育てで慣れていたが、ちょっと気難しそうな少年だな、と感じた。
「えっと…ホグワーツの話でもしようか、君は新入生だよね?」
「―――はい」
何も映していない少年の瞳が、少し見開かれる。
「ホグワーツには4つの寮があるだろう?新学期になると1年生をそれぞれの寮に組み分けする、組み分けの儀式が行われるんだ。勇猛果敢なグリフィンドール、忍耐強く誠実なハッフルパフ、知識の探求に努力を惜しまないレイブンクロー、必ず成し遂げるスリザリン…私が入学した当初、組み分け帽子が歌っていた内容だよ…毎年変わるから、今年はどんな歌か楽しみだな」
ちなみに、名前はハッフルパフだった。平凡な生徒が選ばれる寮だと見られがちだが、実はとても優秀な卒業生も多い。かの有名なニュートン・アルテミス・フィド・”ニュート”・スキャマンダーもとい、ニュートもそうだ。彼は名前の4つ下の後輩だったりもする。そして、彼は名前の”体質”を知る数少ない友人の一人で、魔法界を離れていた間も時折手紙で連絡は取り合っていた。ありとあらゆる魔法生物に興味名前る彼が、名前に興味を持たないはずはないのだが、彼はちゃんと、名前を対等な存在として、友として、”人”としてみてくれた。
「毎年誰がその歌を決めているんですか」
「組み分け帽子自身が決めるのさ、ああ、組み分けの儀式は帽子をかぶるだけだよ、試験とかそういうのは無い」
何となく彼がマグルの所で暮らしていた子供なのだろうと察していた。だから魔法族の子供なら親に教えてもらう知識もあえて伝えることにした。彼の瞳の色から、警戒心が少し薄れたような気もする。
「ああ、申し遅れてごめん、私は今年からマグル学を教えることになった名前・ナイトリー。マグル学は3年生からの選択科目だから、まだ先だけどね」
そういえば自己紹介をしていなかった。名前が名前を名乗ると、少年からも小さな声が帰ってきた。
「トム・リドルです…」
その名を聞き、はっとする。トムと言えば、第一次世界大戦の時若くして亡くなった、ジョナサンの本当の父であり、名前の親友の1人だ。
トムはホグワーツの勉強科目が気になるようで、色々と質問してきた。多くの質問に答えているうちに列車はホグワーツ城へと到着する。一年生はここから別のルートで城まで向かう事になっているので、トムと別れるとセストラルが引く馬車に乗り込んだ。教員は教員用の馬車が用意され、生徒よりも早く到着するようになっている。彼と話をしたおかげで少し緊張がほどけたのか、ホームを歩いていた時よりも足取りが軽くなったような気がする。
「君たちとも久しぶりだね」
「―――」
セストラルは、死を身近に感じたことがある者だけがその姿を捕らえることができる。名前の場合、魔蜘蛛の子供だから元々彼らの姿は見えていた。2年生の時はその姿を見て驚いたものだ。名前の馬車を引くセストラルが優しくいななく。
「アルバス、久しぶりですね」
「おお名前、よく来てくれた」
あの頃よりも少し老け込んでしまったが、瞳の輝きだけは若いころの無邪気さを残したまま名前ルバスが城の入り口まで出迎えてきてくれた。
名前にとって命の恩人であり、魔法の師匠だ。難しい変身術も特別にマンツーマンで教えてくれたのですぐに覚えることが出来た。お陰様で名前もホグワーツ在学中は優秀な成績を残している。そんな名前でも、不得意な科目はある…魔法薬学だ。こればかりはどうしようもなかった。今や天国にいる育て親ですらも、名前の作り上げる魔法薬の出来栄えにはお手上げだったとか。何故教科書通りに調合しても、効果の一切ない、ただのまずい液体になり果てるのか、未だに謎だ。
「君の部屋は…わかってるね、エレナも昔使っていた部屋だよ」
「母さんも使っていた部屋か…楽しみだなあ」
「それと、パトリシアからも色々と預かっている、君にと言っていた」
「先生が…わかりました、色々とありがとうございます」
パトリシア・グレアムは名前が在学中、マグル学を教えていた教授だ。パトリシアの前はエレナ・ナイトリー、つまり、名前はホグワーツでマグル学が正式に教育カリキュラムに加わってから3人目の教授という事になる。在学中、彼は勿論マグル学を選択していたが、記憶に残っている限りでは教室にはあまり人数が居なかったと思う。そのことから不人気の科目であることが伺えた。もしかして今も不人気なのだろうか。純血思想が色濃く残るイギリスの魔法界で、マグル学とは魔法使いから見たマグルについてを学ぶ科目の訳だが、自分が受け持つからには、魔法使いから見たマグルだけではなく、マグル界側としてマグルがどんな人たちであるのかを正しく伝えようと心に決めている。
「さて、そろそろ行こうか」
「はい、よろしくお願いいたします」
「ははは、それはこちらのセリフだよ」
大広間につくと、生徒たちが既にちらほらと席に腰を下ろしていた。一部の席から、あの人だれだろう、という囁きが耳に入る。
「この席に座るのか…感慨深いものがあるなぁ」
一番端の席に座ると、隣の席にいる人物に会釈する。彼は若き頃のフィリウス・フリットウィック先生…ハリーたちが在学中の今も呪文学を担当している人物だ。ゴブリンの血を引いてるので、ゴブリンを思わせる小柄な体格をしている。名前にも言えたことだが、魔力のコントロールが人よりも上手で、杖を使わなくとも魔法を使えることが出来る。彼も恐らく普通の人の何倍も生きるだろう。その証拠に、今も昔もあまり見た目が変わっていない。
「やあ、君が新しいマグル学の教授だね」
「初めまして、名前・ナイトリーです」
この時フィリウスは言わなかったが、名前が人ではないことを薄々感じていたらしい。それを知らされたのは、ハリーが秘密の部屋を開けて2年が過ぎた時だ。
校長の話名前と、手短めに名前は生徒たちに自己紹介をした。その際、なんとなくトムと目があっているような気がした。もしかしてマグル学にとても興味があるのかもしれない。単純にそう考えていた。そして、気がつけばあっという間に月日が流れ、マグル学の教員となってもうすぐで2年目を迎えようとしていた。試験も終わり、生徒たちはまもなく自分の成績と向き合うこととなるだろう。こんな時期に勉強するかなり真面目な生徒の一人、トムは今日もここで教科書と羊皮紙を広げ、羽ペンをカリカリと言わせていた。
「トム、君はどうしていつもここで勉強をするんだい?」
「……先生ならわかってるでしょう」
「あはは……君も大変だね」
ここにいるのは、かつて周りを警戒しすぎて怯えていた少年トム・リドルだが、それが嘘のような変化を遂げた。勉強もできて、周りに気遣いもできる。友達は多く、どの寮の生徒とも分け隔てなく接する。おまけに彼はとてもハンサムだ。背もほかの同い年の子供より高く、すらっと長い手足に神秘的な瞳。子供なのに、どこか大人びて見える。これで優しいのだから人気者で当然だ。
ここはマグル学の教室の隣りにある、ちょっとした小部屋だ。歴代のマグル学教授達が集めていた、マグル界の本がたくさん並べられている、プチ図書館とでも言おうか。そのプチ図書館の館長である現マグル学教授の名前が許可すればこの部屋を使うことができる。しかし、本来ならばマグル学を選択している生徒に自習用に貸し出す部屋だったのだが、トムはまだ1年生。マグル学を選択できるのは再来年からだ。なぜ彼がここを使って勉強しているのか……それは彼が人気者ゆえ仕方のないことだった。ちなみに、この部屋のことは風のうわさで聞いたらしい。
「最近しつこくて……ここでしか、静かに勉強できないんです」
人気者も大変だね。そう言うと、少し彼に睨まれたような気がした。
「いえいえ、先生ほどではありません」
「トム、その話は」
「大丈夫です、僕と、先生だけの秘密ですから」
「う、うん…」
こ名前たりから、彼が”どういう人”であるのかを、ほんの少しでも気がついていれば後に複雑な関係にならなかったのかもしれない。
彼が知っている秘密の一つ…それは名前がマグル学の教授になって半年が過ぎた頃、6年生の女子生徒に告白されたことだ。トムは偶然その場に居合わせてしまっただけなのだが、ちょっと修羅場なところをよりによって彼に見られてしまったというわけだ。色々とあって、彼女から事情を聞くと好きだった男性に名前がとても似ているらしく、日に日に好きだった男性への思いが、名前に重なり告白に至ったそうだ。しかし、在学中の生徒と教師が恋愛沙汰なんて、そんな禁忌犯せるはずがない。ましてや、名前にとっては自分の娘みたいな年齢の子供に告白されているのだ。名前の頭は常に冷静だったし、女子生徒も無事なだめることができた。修羅場というのは、彼女が好きだった男性への思いを叫んでいるときだ。かわいそうに、その男性は流行病で亡くなってしまったらしい。もちろん女子生徒がいなくなったあと、きちんとトムには事情を説明した。そして、このことは彼女のために胸にしまっておいてほしいということも伝えてある。
多分これは、彼のちょっとした仕返しなのだろう。名前は少し反省し、彼が静かに勉強できるよう部屋を後にした。
それから月日が流れ、世界は再び大きな戦火に飲まれていくーーー後に第二次世界大戦と呼ばれる、人類史上最大で、最悪な戦争が始まってしまった。