25 愛憎ロマンス/秘密の部屋

ぐっしょりと汗で濡れたシャツを脱ぎ捨て、名前は風呂の中に沈む。今日も夢を見ていたような気がしたが、生憎夢の内容を覚えていない。だが、覚えていなくてよかったのかもしれない、とぐっしょりと濡れたシャツの事を思い出す。

「―――私は一体どうしてしまったのだろうか」

マダムからもらった風邪薬は特に効果も無く、相変わらず頭は痛いし寝つきも悪い。目の下の隈を隠す為、マグル式のマッサージを風呂の中でやりながらため息を吐く。
最近、”渇き”も酷くなったような気がする。風呂上り、いつものように赤い液体をごくりと飲み干すと、マグカップをコーヒーテーブルに置く。
今日の授業は午前だけなので、午後は久しぶりにルビウスの所へ行くとしよう。ロックケーキが焼けたから来てくれ、とルビウスから招待を受けていたことを思い出し、名前は午後の予定に×を書きこんだ。
午前中、双子のウィーズリー達の奇天烈なレポートを受け取った名前は、授業中”ボールペン”で遊ばないように、と小言を残し大広間へと向かっていった。席に着くなり、早速あの爽やかな笑顔でギルデロイがやってきた。噂によると、女子人気のある名前をギルデロイが勝手にライバル視しているのだとか…これは双子からの話なので、信ぴょう性はとても低かったが、なんとなく、意識されていることには気が付いている。それは歳が近いと勘違いしているのか、席が隣だからなのかは不明だが、名前を見つけるなりギルデロイは大げさに手を広げ、名前、元気かな、と声をかけてきた。

「やぁギルデロイ、君は相変わらず元気そうだね」

教師生活も慣れたかい、と続けると満面の笑みであぁ勿論!と返してきた。本当に悩み事も無さそうで幸せそうな性格をしていると思う。
軽くサンドウィッチをつまみ、リンゴを一つ掴むとそれをポケットにしまい、手短に昼食を終わらせた。何しろ、あの席にいると彼の自慢話を延々と聞かされるので、ほどほどに聞いたら退散したほうがいいに決まっている。

「ルビウス、いるかい」

ホグワーツのこの山小屋がルビウスの住居だ。森番として長年ここにいるルビウスだが、彼もまた20代頃から全く見た目が変わっていない。それは彼が半分巨人の血を引いているからだ。それ故に身体も大きく、小屋にある椅子も人ならば2.3人かけられる程巨大なもので、それを彼は1人で座っているのだ。

「良いところに来たな!丁度ケーキが焼けたところだ」
「また随分と大きなケーキを焼いたね」
「そうか?こんぐらいすぐなくなるだろうて」

巨大なそのケーキの名は、ルビウスお手製ロックケーキだ。その名の通りとても硬くてゆっくり食べなければ胃に収める事ができない。しかし、その時名前はロックケーキよりもとんでもない存在に気が付いてしまった。

「おや、名前とハグリッドじゃないですか、丁度いいところに」

何がちょうどいいところに、だ。こっちはわざわざ昼食をさっさと切り上げてきたというのに、元凶がこちらに出向いてくるとは。小屋の窓から二人の姿が見えたので、にこにこといつもの笑みを浮かべながら小屋の扉を開くギルデロイに2人は内心苦笑を漏らす。この人物が来ることは全く想定していなかったからだ。
彼は、例のごとく自分の著書の自慢を始め、これもう何十回目だろう、と内心ぼやきながら名前とルビウスは彼の華やかな経歴を延々と聞かされ続けた。20分は過ぎた頃だろうか、用事を思い出したようでようやくギルデロイは城へと戻っていくつもりのようだ。ああこの時をどれ程待ち望んだか。

「助けてほしい事があれば、いつでもわたしのところにいらっしゃい!わたしの著書を一冊進呈しましょう―――」
「大丈夫だよギルデロイ、君は私に同じ本をなぜか2冊ずつくれたからね、各1冊は既にルビウスに渡してあるよ」
「おお、手回しの早いようで、では、御暇しましょう!」

軽やかに去っていくギルデロイを、若干グロッキー気味に見送った。するとその時、近くの茂みからハリー、ロン、ハーマイオニーの3人が現れた。どうやらギルデロイが去るのを待っていた様子だ。彼らも…いや、彼も相当苦労しているようだ。3人を見つけると、先ほどまで不機嫌そうな表情を浮かべていたルビウスがぱっと明るさを取り戻す。

「いつ来るんか、いつ来るんかと待っとったぞ!さぁ入った入った」

ハリーを妙に意識している彼が戻ってくる危険性があるので、3人には足早に小屋に入ってもらった。

「ロン、君どうしたんだい」
「ぅぇ…ぜんぜい…じつは…おうぇっ」
「話は後で聞くから、とりあえず―――それは全部吐いちゃいなさい」

ナメクジを吐き続けるロンの背中を優しく撫でてやる。次から次へと出てくるナメクジを横目に、ハーマイオニーが事情を説明してくれた。例の事故で折れた杖を使い続けていたためにちゃんと魔法が発動せず、呪い返しを受けたらしい。

「それでも、どうしてスリザリン生に魔法なんかを…」
「マルフォイの奴、ハーマイオニーの事、穢れた血って言ったんだ」
「―――なんと」

すこし落ち着いたのか、ロンが二人の代わりに答えた。
なんということだろう、そんな言葉を吐き捨てるなんて。マグル差別や人外差別は今の魔法界に深く根付いている遺恨でもある。

「馬鹿げているね、マグル差別なんて…ハリーとハーマイオニーはこの言葉の意味を知らないようだね、これはマグル生まれを侮辱する最悪の言葉だ…こういう連中、いなくならないんだよね、なかなか…」
「そんな言葉だったんですね…酷いわ…」
「魔法使いの中には、例えばマルフォイ一族みたいに、みんなが純血って呼ぶものだから、自分たちが誰よりも偉いと思っている連中がいるんだ」

吐いた疲れで青い顔色のロンが吐き捨てるように言う。マルフォイという名には、名前もあまりいい思い出が無い。息子のドラコ・マルフォイがどんな生徒かはハリーたちから耳にしているのでなんとなく想像はついているが、彼には申し訳ないができる事ならあまり関わりたくないものだ。正しくは、彼の父親に、だが。

「もちろん、そういう連中以外は、そんなことまったく関係ないって知ってるよ…ネビル・ロングボトムを見てごらんよ、あいつは純血だけど、鍋を逆さまに火にかけたりしかねないぜ」
「それに、俺たちのハーマイオニーが使えねぇ呪文は、いままでにひとっつもなかったぞ」

ロンとルビウスが一生懸命にハーマイオニーを慰めている。ルビウスがあまりにも誇らしげにハーマイオニーを褒めるものだから、彼女は恥ずかしそうに頬を紅潮させた。

「ひとのことをそんな風に罵るなんて、むかつくよ」
「いつの時代もそういう人はいなくならないね、悲しい事に」

私たちの世代の時なんて、もっと露骨だったからね。と静かに呟くと3人が名前の瞳をじっと見上げていることに気が付く。

「…そういえば、先生って以前戦前生まれっておっしゃってましたよね?」
「相変わらず物覚えがいいね、そうだよ、戦前生まれさ」

この辺はあまりおしゃべりしないほうがよさそうだろう。ハーマイオニーは頭もよく、下手をすれば名前が人外であることに気が付いてしまうかもしれないからだ。

「すっげぇ」
「全然見えないや」
「ははは…魔法で若作りしてるからね…アルバスだってそうだよ」

これ以上この話を長くするのは危険なので、名前はハリーがサイン入りの写真を配っているという噂について言及した。

「君も苦労するね、彼には」

それからルビウスは何故彼が防衛術の教師になったんだと文句を垂れ、先ほどの出来事に関しても愚痴を零す。

「防衛術の教授ってのは中々穴が埋まらねぇからな、偶然その穴にあいつが来たってだけさ、ああいつまでおるんだろうなあいつは」
「ルビウス…そのぐらいにしておきなよ、さて、諸君、私は城に戻るけれども、午後の授業遅れないようにね」

椅子から立ち上がると、4人に手を振りルビウスの小屋を後にした。その夜、名前はぼんやりとした意識の中、何かの気配を感じていた。久しぶりにホットワインを飲みすぎてしまい、ふらふらの足取りである名前はソファに力なく横たわっている。

「―――なんだろ…おばけでもいるのかな…」

ひんやりとした何かが名前の頬に触れているのだが、目の前には何もいない。ただ、妙な気配を感じるだけで…。酔っぱらっている為か、その冷たさが心地よくぼんやりとしていると机の上に山積みになっていた生徒たちのレポートの山が突如崩れ、床に書類やら何やらが散らばり落ちてしまった。

「うーん…積み過ぎたかな…」

杖でひょいとすればレポート達は元の位置に戻っていったが、途中、緑色の封筒に入れられた金の刻印入りの手紙の存在に気が付く。そのマークはホグワーツ理事会のマークで、名前を現実に呼び戻すのに十分な威力を発揮した。仕方なくそれを拾い上げると、大きなため息を吐く。

「…そういえば理事会の出欠席…返事しないといけないんだった……はぁ」

理事会の日程は今年の11月中旬。出欠席の手紙が送られてくるが、これは強制参加しなければならない用事なので、別に返事をしなくても何ら変わりないのだが、形式的にきちんと返事をする必要があった。
ルシウス・マルフォイから痛い部分をちくちくと指摘されるに決まっている。昨年の、クィリナスの件を掘り起こすつもりだろう。

「クィリナス、か…」

久しぶりに、その名前を呟いたような気がする。去年までは同僚だったあの男は、名前に儚い想いを抱き、死んでいった。灰にされ、彼の遺骨は跡形もなく消えたあのクィリナスの最後の表情を思い出し、ぎゅっと奥歯をかみしめる。
彼は結局、あの子に力を与える為に働かされていた。闇の誘惑に堕ち、あの子へ力を与える為に身体を貪られ、存分に魔力を奪われた。が…あの行為にクィリナスの感情が無かったわけではなかった。だからこそ辛かった。ただの使命だけで犯されているのであれば、どれだけ楽だっただろうか。
想いを寄せられても、名前はそれに答える事ができない。もはや、手の施しようがない程に事態は悪化してしまい、彼は死んでいった。