04 愛憎ロマンス/賢者の石

あの日、名前は彼の心を深く傷つけてしまった。
ああ、だから、愛など、いらないというのに。泣くつもりはなかった。できれば、あんな姿を彼に見せたくはなかった。けれども、もう遅い。きっと彼は勘違いをしてしまっている。あれが、愛情の行為であることを。クィリナスはそれからも、何度も名前に肉体関係を強要した。彼の頭の中で、あの頼みは1回ぽっきりではなかったようだ。
表面上は平素を装っていたが、セブルス・スネイプは何かを感じ取っているようで何度も疑惑の目を向けてきた。直接は言ってこないが、目を見れば大体何を言いたいのか、わかってしまう。
クィリナスとの肉体関係が続いていたある日、名前はあまりの辛さに休職願いを出した。ここで、アルバスに悟られてしまった、という訳だ。別に、ワザとではない。アルバスに本当の事情は説明しなかったが、なんとなく、長年の勘というもので悟ってくれたようで何も言わず休職願いを受理してくれたのは、間違いなく彼の優しさである。しかし、彼は分かっていた。逃げていても、どうにもならない事を。
突如休職を出した名前に、クィリナスは慌てた。一体自分の何が悪かったのだろうか、と。彼はあの愛のささやきが、嘘だったとしても名前の真意であると、名前は自身を愛してくれている、と思い込むようにしていた。そこで愛の妙薬を使われなかったのは、不幸中の幸いでもある。

「さて、そろそろ時間だね……胃が痛むなぁ」

クィリナスが漏れ鍋に到着するのはあと4時間も後だが、早目に出て、ついでにほかの用事も済ませ、カフェで心を落ち着かせてから向かうのも悪くはないだろう。小麦色の革製トランクを取り出し、その中から小さめのトランクを引き抜く。そして、紺色のローブを羽織い、ホグワーツを後にする。こうしてホグワーツの外を出るのは、久方ぶりの事だ。あの子が活動をしていた時には、狙われるという理由から城から出ないようにしていた。しかし、あの悲劇が起こり、名前は城を飛び出した。その日以来の外出なのだ。
何十年ぶりの外だろうか。名前は紺色のローブを身に纏い、ダイアゴン横丁を緩やかに進む。ローブからのぞく銀色の髪がふわりと風に揺れ、頬を撫でる。魔法のかけられたメガネは、名前本来の瞳の色を隠してくれるので便利だ。それに、ある程度カモフラージュも出来る。

「おお、これはこれは…ナイトリーさん、お久しぶりです」
「オリバンダーさん、お久しぶりです」

オリバンダーの作り上げる杖は、魔法界でも随一の出来栄えだ。だから、ホグワーツに通う生徒の殆どはここで杖を買う。勿論、名前もかつてここで杖を買った身でもある。今日は何十年ぶりかの杖のメンテナンスをするためにやってきた。マグル学は特に魔法を使う学問ではないが、教師である以上不備のある杖で教室に立つ事は出来ない。名前は長年使い古したほんのりと褐色をした杖を取り出し、オリバンダーに差し出す。

「ダンブルドアから聞きましたよ、復職なさるそうで」
「はい…なので、メンテナンスをお願いします」
「そうだと思いましたよ、何しろ何十年もいらしてませんでしたからね…心配しておりましたよ」
「すみません…ご心配をおかけしたようで、私は相変わらずです」
「ほっほっほ、そのようですな、それに相変わらずのご容姿で」

変身術が得意なのですね、と微笑むオリバンダーに名前は苦笑する。そういえば、変身術で若い姿を保っているという設定だったっけ…と。

「1時間ほどで終わります、それまでお待ちください」
「わかりました、買い物もあるので、またあとで来ますね」
「はい、では行ってらっしゃい」

オリバンダーに別れを告げると、名前は次の目的地である書店へと向かう。新学期に使うための教科書の確認のためだ。

「おや、ナイトリーさん、いらっしゃい…教科書、悪いんだけれども倉庫の方へ行ってくれないかね、他の先生の教科書を取りそろえるので、ちょっと手が離せないんだよ」
「わかりました、お忙しい中すみません…」
「いや、此方こそなんだか申し訳ないね、おたくの魔法薬学の先生が珍しい本を指定してきたのでねぇ…これが、倉庫のカギです、この道を真っ直ぐに進んで、裏道に入り、右に曲がって100M程進んだのち、左に曲がれば倉庫につきますわい」

「あ…はい、わかりました、ではお借りしますね」

道を覚えられたか、少し不安だ。魔法を使えばなんとかなるかもしれないが、生憎今は杖をオリバンダーの所へ預けている。名前は記憶を頼りに道を進むことにしたが、中々目的の場所にたどり着かない。おまけに、道を間違えてしまったようでうっかり、恐ろしい路地に入ってしまった。

「しまった…ここはノクターン横丁じゃないか…」
「道に迷ったのですかな」
「はい…そのようで…おはずか……」

背後から声をかけられ、名前は振り向く。その瞬間、名前は呼吸の仕方を忘れたかのように息が荒くなるのを感じた。ドクン、ドクンと心臓が脈打つ。体が冷たくなり、じんわりと汗がにじむ。

「まさかこんな場所で、貴方にお会いできるとは思ってもいませんでしたよ」

名前・ナイトリー。彼に名を呼ばれ、ぞくりと身震いをする。ああ、彼は昔から苦手だった。彼は昔から上手だった、私の追い詰め方を。彼の方がうんと年下なのに、どうしてこうも弱腰になってしまうのだろうか。名前はずる、ずると力を振り絞り後ずさる。元来た道を戻れば、明るい道に出られると考えたからだ。しかし、あっという間に壁に追い詰められ、至近距離で見つめあう形となってしまった。

「お久しぶりですな、ナイトリー教授」
「……ルシウス、君は、相変わらず、の、ようだね…」
「ナイトリー教授も、相変わらずのようで」

フードをおろされ、姿があらわとなる。髪に触れられたかと思えば、その手は名前のつけている魔法のめがねに向けられる。

「こんなもので誤魔化しているのですか?」
「……なんの、事かな」
「いえ…少々、貴方の事は耳にしておりますので、これでもホグワーツの理事の1人ですからな」
「……」
「アルバス・ダンブルドアはこの事実を我々理事にひた隠しにしているようだが…このままでは彼は、最悪、校長職を辞めざるを得ないでしょうねぇ」

なんと嫌な男だろうか。この子の事は噂で聞いていた。頭の良い、マルフォイ家の長男だと。また、この子はかつて、あの子のしもべでもあった。この場で杖が無いのが何とも悔しい。杖さえあれば、彼を吹っ飛ばしてやることができたというのに。
それに、まさか彼が自身の正体を知っているとは思ってもいなかった。いや、罐をかけているのかもしれない。名前は見つめあっている間、ずっとこのことを考えていた。この状況を、どう打開すればよいか、と。本当にルシウスが自身の正体に気が付いているのならば、何故今まで黙っていたのか。やり方が、まるであの子と同じだ。思い出される赤に、名前はぎりりと歯をかみしめる。
ふと、眼鏡を外され思いっきりそれを踏まれる。砕け散る音が空しく陰った道にこだました。どうしてこういう時に限って、誰もここを通らないのだ。名前は自身の不運さと、行いに悔やむ。杖を預けなければよかった。
髪をかき分け、耳元でささやかれる。

「貴方が隠れるようにして、マグル学を休職していたのは知っている、さて、貴方は誰が恐ろしくてホグワーツに身を潜ませていた?」
「―――君に、それを、言う、道理は、ない…」

いいから、離してくれ。情けない事に、言葉が震える。
吹っ飛ばしてやりたいのに、恐怖で体が動かない。過去のトラウマが蘇った為に。

「今すぐにでも、アルバス・ダンブルドアを校長の座から下ろす事はできるのですよ、名前」
「……卑怯者ッ」

と、次の瞬間ぬるりとしたものが口内に侵入してくる。歯を食いしばり、侵入を防ごうとするもののいつの間にかにローブの中のシャツを割って入ってきた冷たいその手で、弱い脇腹を直に撫でられるとあっけなく開いてしまう。そして、徐々に力が奪われていくのを感じた。ああ、こいつは、やはり、あの子から聞いているのだ、この身体の事を。私が、何であるのかを。ずるり、と足の力が抜けるが、ルシウスによって両腕を壁に押さえつけられ、そのまま深い口づけを受ける。両足の間に右足を入れられ、その右足でぐい、ぐいと名前のそれを挑発的に刺激をしながらも、深い口づけを続ける。目の前がクラクラする、息もできないような激しいそれに、倒れるのではないかとまで思った。

「では、御機嫌よう、近い将来、わたくしの屋敷へお越しになる事になるでしょう」
「――――ッ」

解放された時、自身の無力さが空しくて死にたくなった。さらに、ルシウスは自身の力を奪う方法を知っていた。あのクィリナスがそれを彼に伝えたとは思えない。クィリナスは私に虚しい言葉を求めてきたが、そんなことをする男ではない。だとしたら、他に考えられることは一つ、あの子が、この子の元主人であるあの子が吹き込んだ、と。

「…最悪、だ」

口づけられたそこをぐい、と拭うと乱れたローブを整え、名前はカフェへと走る。早くこの気持ち悪さを消したいからだ。その上悔しい事に、これまたご無沙汰振りだったおかげで素直なそこはすっかり立ち上がっているので、これも何とかしなくてはならない。ローブの下からそこを抑えるが、何とも恥ずかしい。この年になって、こんな屈辱を味わうなんて。

「散々だ…!」

弱みを、よりによってあのルシウス・マルフォイが知っていたなんて。ああ何という事か、大の男が情けない。これは、流石にアルバスにも伝えたほうが良いだろうか。いや、彼はこれから入学してくるであろうハリー・ポッターの為に動いているのだから、手を煩わせるわけにはいかない。己の問題は、己で解決しなくては。

「…もう、一人で出歩くのは…やめよう…」

外に出ると、ろくな事にならない。昔それを実感していたというのに、あの子が姿を消したから、と気を緩めすぎていたのかもしれない。

「散々だ……これから、クィリナスの所へ行かなくてはならないというのに」

あの時、生きたいと願ったばかりに、こんな事に。あの時、死んでいれば。しかし、過去をやり直す事は出来ない。過ぎてしまったものは、どうしようもならないのだ。
名前はとぼとぼ、と店を後にし、教科書と杖を受け取ると重たい足取りでクィリナスの待つ漏れ鍋へと向かった。