41 愛憎ロマンス/アズカバンの囚人

戦火はロンドンも襲った。魔法使いたちは殆ど上手く逃げられたが、マグルたちが逃げられるはずもなく。ジョナサンは戦死し、その妻カトレアに、娘のマーガレットも亡くなってしまった。ホグワーツに通っている生徒たちの安全を第一に、教師たちは対応に追われた。名前は校長たちの厚意でしばらく休職することとなった。大切な人の死ーーーそれがどれほど辛いものか、アルバスにはよくわかっている。愛する者たちを失い、失意の中にある名前を癒せる方法は一つ。”時間”が心の傷を癒やしてくれるのを待つことだけ。

夜、荷物をまとめていると誰かが名前の私室の扉をノックする音が聞こえてきた。緊急事態につき、今年のクリスマス休暇は半分以上の子どもたちがホグワーツに残っていた。外よりもホグワーツのほうが絶対に安全だからだ。そんな子供の一人であるトム・リドルが扉の前に立ち、心配そうに声を上げる。

「先生、もうホグワーツを発たれるんですか?」
「ーーーあ、あぁ、そうだよトム」

こんな夜に、生徒が一人校内をうろうろしているなんて、本来であれば罰則ものだがこの時名前は頭がよく働いていなかったので、とりあえず彼を部屋に入れてあげることにした。空襲の被害にあった家族たちは、一度に手分けして探したほうが早いということで、ロンドンに居る家族や友人たちを探すために早朝集まることになっている。だが、いても立ってもいられない名前は真夜中にホグワーツを発つつもりでいた。彼の世話になっている孤児院は戦火を免れたようだが、たとえ彼がそれを望んでいなかったとしても、安全が確認されるまで孤児院に戻ることはできない。

「……先生、なんて言ったらいいかわからないんですが……気をつけて」
「ありがとう」

まだ外には危険が潜んでいる。いつ再び戦闘機が現れるかわからなかったからだ。危険な中、家族の捜索に向かうこととなっているので、つまりは命がけだ。彼は名前のことが心配で居ても立っても居られずここへやってきた。今まで己が感じたことのない感情がトムの胸に広がり、ジュクジュクとそれが脳を侵食していくのがわかる。どうして、どうしてこの人に対してこんなにも不安な気持ちになるのだろうか。彼にもまだわからなかったが、名前もまた、この時彼の内から芽生えつつある感情に気がついていなかった。

喪に服していた期間は、1年近くだったと思う。名前は翌年の9月から復帰し、今よりも躍起になって仕事に打ち込むようになった。仕事をしている間だけは、悲しみを忘れていられるからだ。家族を失った今、名前を突き動かしているのは”マグル学教授”という立場だけ。何かに没頭できることがなければ、もしかしたら今頃は廃人になっていたかもしれない。

時間が悲しみを少し癒してくれたかと思う。そう思えるようになったのは、1942年頃…トムが5年生を迎えた頃だ。あの頃より随分と背も伸び、変声期も終えた。立派な青年へと姿を変えたトムには、幾つかの悩みがあった。成績も優秀、人当たりもよく将来有望。そんな彼の瞳の奥底には”闇”が眠っていた。それに気がついていたのは当時、アルバス・ダンブルドアだけだ。

人間、誰しも闇のひとつやふたつ抱えているものだが、彼のは他の人の比にならないほど、凶暴で、凶悪な”闇”だった。生まれ育った環境が闇を育み、大人たちが隠していた真実を知ることで、内に抱える闇が更に大きくなっていった。だが、彼にはまだ光が見える。彼が光の道へ歩めるように、彼を見放さず、寄り添うことが正しい未来への道筋だった。しかし、アルバスは彼を見た時、ふと思ったのだ。もしかすると、彼は将来、危険で大きな野心を抱くかもしれない、と。なぜなら、トム・マールヴォロ・リドルがあまりにも昔の自分と重なって見えたからだ。生まれも育ちも自分とは異なる少年だが、内に潜む危険な素質を無意識のうちに感じ取っていたのだと思う。危険な素質を持っていようとも、ホグワーツに入学を認められた生徒の一人である以上、放っておくことはできない。

「なんだかいつもすまないね、手伝ってもらって」
「いえ、気にしないでください、先生はどんくさいから心配なんです」
「どんくさい…!?ひどいなぁ」

マグルの店から買い込んだ本や道具を運ぶために歩いていると、どこからともなくトムが現れ、名前の手伝いをしてくれる。人当たりが良く、ホグワーツ一の優等生である彼が、教師を手伝わないはずがない。周りの生徒達にも、教師たちにもそういうふうに見えていた。
その光景を、アルバスは階段の上から静かに見下ろしている。

立派な青年になった彼に対して、この時名前は少し特別な気持ちを秘めていた。そして、誰にも心を開かない彼が、唯一心を開いた相手……それこそが名前・ナイトリーという人だった。一見、生徒と教師が普通のやり取りをしているように見えたが、アルバスだけは見抜いていた。二人の内に秘められた想いを。かつて自分がそうであったように。アルバスにとって、あの当時感じた”恋”は素晴らしい劇薬のようなものだった。脳が麻痺していたに違いない、と一時否定はしていたが、時が流れれば流れるほどに、その感情は大きく膨れ上がっていく。しかし、アルバスのそれが爆発することはなかった。何故ならその感情は大きな悲しみによって蓋されているからだ。あのときの”恋”は過ちで、その過ちのせいで家族を失ってしまった。だから、アルバスはあの日以来、誰かをそういう意味で愛することはなくなった。そんな彼だからこそ、トムの行動にはよく注意を払っていた。

名前はある意味純粋な魔法生物なので、そういった心配は無い。だが、彼の正体が頭のいい魔法使いにでも知られればまず悪用されかねないことをわかっていた。ましてやトムは若い頃名前ルバスによく似ていて、大きな野心を抱いている。これは、これはとても危険だ。アルバスはさり気なく、わからないように二人を遠ざけた。ごく自然な生徒と教師で居られるように。

しかし、孤児院で育ち、全てを失った名前と、孤児院で育ち愛に飢えたトムが重なり合うのは致し方のないことだ。名前が、愛に飢えたトムに対して情がわかないはずがなかった。気づいた頃には、もう取り返しのつかないところまで来てしまっていて、芽生えてしまった感情を摘むには、彼に直接忠告する他手段はなかった。彼がこのまま卒業して大人になれば、もしかしたら恐ろしい存在になるかもしれない。アルバスの勘がそう警告している。

だが、もしこのまま道を外れずに、彼が光の道に進んだら?
そうするためには、名前の存在が必要不可欠だ。それでも、道を踏み外して…最悪なことが起きたとき、その”繋がり”が鍵になりそうな気がしていた。かつての、自分たちのように。ならば、名前は手放さず、ホグワーツに身を留めてもらおう。忠告もせず、事の成り行きを見守ろう。どんな結末になろうとも、勝利を手に入れられるように。彼はアルバスにとっての”正義”を体現する鍵なのだから。

アルバスは名前のことを実の弟のように、大切に思っている。それでも、自分以外の人を”モノ”のように感じてしまう事は、アルバスの恐ろしい点であり、利点でもあった。目的を達成させるために手段を厭わないーーーこれこそが、彼の内に潜む、真の”アルバス・ダンブルドア”だった。古くから付き合い名前る一部の彼の友人たちはそのことに気がついているが、皆完璧な人間などいないことをよくわかっていた。一見完璧な魔法使いに見えるアルバス・ダンブルドアだが、そんな人間じみたところがあるからこそ友人たちは彼に惹かれるのかもしれない。

二人が廊下へ消えようとしていた時、ふと、トムとアルバスは目があったような気がした。ふむ、なるほど。彼はもしかしたら自分以上かもしれない。かわいい弟のことを思い、アルバスは一人ため息を漏らす。

「これはこっちですね」
「ありがとう、でもちょっと模様替えする予定だから、そっちの棚に頼めるかい?」
「わかりました」

マグル学の教室に入り、運んでいた荷物をそれぞれ棚にしまう。隣の部屋に移動しようとした時、棚の角に思いっきり頭をぶつけてしまい、名前は小さな悲鳴を上げた。

「あいたっ!」
「だから言ったじゃないですか、こんなに棚から飛び出してるんだから、こっちに入れたほうが安全ですって」
「うーむ…君の忠告を無視してしまって申し訳ない…」
「先生、腫れてます」

去年だったら名前が屈まなければ届かなかったその額も、同じ目線の高さとなり、トムの少しひんやりとした指先が名前の額に触れる。鼻息がぶつかりそうな距離で、トムはささやく。

「名前先生は結構抜けてるから、いつも心配です」

はいこれどうぞ、とポケットから取り出した絆創膏を額にぺたりと貼ってくれた。彼に憧れる女子生徒ならば今頃失神していたに違いない。正直、名前ですら少しドキリとしてしまった程、トムはとてもハンサムな色男へと成長している。

だが、これがいけない感情という奴であることはよくわかっていた。名前はアラクネによって魔蜘蛛の子供になったため、生きている限り体内に魔力は貯蓄され続け、無限に魔力をため続けることができる。その副作用からか、肉体の年齢は老いることなく、若々しい姿で保たれている。しかし、その肉体が、人間としての営みを阻む。魔力を供給する方法、それは性行為であり、性的な意図を含んだキスでも同様だ。だから、名前はそういう感情を誰かに打ち明けることも、相手に伝えることもない。永遠に胸の内に秘めておくつもりだった。そういう行為に至らないために。

なのに、目の前にいるこの青年はいとも簡単に名前が築き上げた壁をぶち破り、心を奪った。最愛の人たちを失い、心に空いた穴を埋めてくれたのは、トムだ。彼と一緒になれたら、どれほど幸せだろうか。彼に触れられている場所から、甘い痺れが走る。

「その、トム…」
「……先生は隙だらけだから」

ギリギリのところで理性が働き、トムのそばから離れる。彼の腕が名残惜しそうに空を漂う。

「っわ、忘れ物を思い出した、ちょっとでかけてくるね」

危なかったと思う。完全に自分は身を委ねていた。彼で満たされたくてたまらなかった。だが、理性がそれを押し留めてくれた。部屋を飛び出し、名前は森へ向かう。禁じられた森の奥は生徒の立ち入りが禁止されているので、いくらトムでもここまでおいかけてくる事は無いだろう。深く深呼吸をして気持ちを落ち着かせようとするが、胸の鼓動がうるさくてなかなか落ち着くことができない。

「そうか、私は、彼のことがーーー」

やはり、この気持ちに嘘はなかった。トムを愛してしまった。生徒なのに…ましてや、自分は人でもない。人を好きになるということが、こんなにも苦しいことだとは思わなかった。