38 愛憎ロマンス/アズカバンの囚人

新学期が始まる前―――シリウス・ブラックがまだ脱獄していない頃、名前は部屋を掃除していた時に自室の棚に立てかけてある写真立てが割れていたことに気が付いた。そういえば昨年は色々あってこの写真立てを直す暇がなかったっけ。

「魔法が使えないからな…直すのは当分先、か…」

トム・マールヴォロ・リドルの記憶によって名前は極限まで魔力を搾り取られたため、今まともに魔法を使う事が出来ない。マグル学を教えている立場なので、マグル式で仕事をこなせない訳ではない。だが、魔法界に慣れてしまうとマグル界が些か不便に感じることがある。せめてホグワーツにコンセントがあればよかったのだが、大昔から変わらぬ姿のこの古城にそんな文明の利器があるはずもなく。

なんとなく、それを手に取り中の写真を抜き出す。あまりにもぐしゃぐしゃになっていたため何の写真が飾られていたのかすっかり忘れていたが、久しぶりにその姿を目の当りにして名前は懐かしいんだか、懐かしくないんだか不思議な気持ちになった。

「…そういえば、よくこんな写真残ってたよな…」

この写真は、育て親であるエレナ・ナイトリーから貰った、今名前が持っている子供の時の唯一の写真だ。ホグワーツを卒業した年に彼女は亡くなってしまったが、彼女のお陰で名前はホグワーツに通う事が出来た。今の暮らしも、彼女が自分を育ててくれたおかげと言っても過言ではない。マグル学の教授になったのも、育て親のエレナがホグワーツで元々マグル学を教えていた事がきっかけだ。優しい目元が印象的な長い白髪の女性の隣に立っているのは11歳の自分。年の割には低い己の背を気にしていたような気もする。よく覚えていないが、エレナと一緒に暮らす前は孤児院にいた。なんだかとても嫌な記憶を掘り起こしそうな気がしたので、無意識のうちにその頃の話題はしないようにしていたし、思い出さないようにしていた。だが、今こうして少年の頃の写真を見つけてしまい、不意に思い出す。

今から遡ること100年程前、伝説の魔蜘蛛アラクネがまだ生きていた時代に、名前・ナイトリーは誕生した。”伝説”というのは、アラクネが大昔から存在していることから由来する。いつ頃誕生したのかは不明だが、少なくとも500年以上前から、その存在は確認されているらしい。しかし、消滅した今、もはやアラクネの事は教科書や本からでしか知り得る事は出来ない。
アラクネはそのほかの魔法生物同様”魔力”を持ち、それを自在に操る。高い知能と魔力を持つアクロマンチュラ同様、魔力が命の源だ。同じ魔蜘蛛でも、アクロマンチュラたちと異なる点がいくつかある。それは、アラクネの場合魔力がある限り生き続けることの出来る異例の魔法生物であること。それゆえに、その血肉を手に入れた者は不老不死の力を得られる…という迷信があったほどだ。実際はその迷信とは大きくかけ離れ、アラクネの血肉は人間にとっては特に恐ろしいものでしかなく、けして触れてはならないものだった。触れた者は魂が侵され、二度と人には戻れなくなってしまう。

場面は変わり、ハットをかぶった青年がとある山小屋を訪れていた。そこは針葉樹の生い茂る山の奥深く、獣が出るからとマグルたちは絶対に近寄らない土地だった。そんな山奥の、歩くだけで息が切れてしまいそうになる程の傾斜地に、不思議な形の小屋が立っている。そこが、去年ホグワーツを退職した彼女の家だ。

「先生、ご無沙汰しております」
「…アルバス、元気そうで何より。さ、中に入って」

彼女の名はエレナ・ナイトリー。30年間ホグワーツでマグル学の教員をしていた女性で、夫とは死別し、今は一人この山の中の家で暮らしている。
その、彼女の元へ教え子の一人がやってきた。彼の名は、アルバス・ダンブルドア。才名前る若き青年で、ハンサムな笑みが特徴の彼はホグワーツ始まって以来の秀才とも謳われる人物だ。数々の賞を在学中に取っているので、トロフィー室は彼の名が連なっている。

「実は…今とある件でこの山を調査しているのですが、ふと先生のお住まいがこちらにあることを思い出しまして」
「ほほ、相変わらず物覚えがいいわね…なにも無い場所だけれども、ゆっくりしていって頂戴」
「はい、お言葉に甘えて」

ともかく、彼は甘いものが大好きだ。特にマグル界の菓子に目がない。マグル学を教えていたエレナの個室は常にマグル界の物で溢れていたし、”食べ物”も当然そこにはあった。彼がマグル学を取ったのは間違いなく、マグル界のお菓子が要因の一つだろうとエレナはみている。

「先生のカスタードプディングがまた食べられるなんて幸せだなあ」
「よく来ていたものね…」

カスタードクリームに、バニラエッセンスの香りが漂うこの部屋は彼にとって楽園のような場所なのだろう。少年のように笑うアルバスの姿を見てエレナは微笑む。

「丁度焼き終わった頃に来るなんて…随分鼻がいいようね」
「あ、わかりました?」
「…ほほ、まぁいいでしょう、最近はあちこちを走り回っているらしいじゃない、この山なんかを調査だなんて…野生のセストラルでも探してるのかい?」
「いえ、セストラルではないのですが―――アラクネを」
「―――アラクネ、あの、大昔からいるバケモノかい?」

行方不明になった少年たちは何処へ―――と記された昨日の新聞を指さしながら、アルバスは静かに言葉を続ける。

「―――ここ数年、行方不明になった少年が多い―――私は、それは”アラクネ”の仕業なんじゃないかと思っているんです」

だが、アラクネなんて実際にいるのかすら怪しい伝説の魔法生物だ。
今回の新聞にもちらりと記事が掲載されていたが、この事件はとある悪い魔法使いが、服従の呪文をかけて子供を攫い、自分の”しもべ”を作っているのではないか…とも言われている。その中には少女は含まれず、少年しかターゲットにしない事からそういう嗜好を持った犯人ではないだろうか…とも噂されていたが、長年犯人を捕まえることはできず、行方不明になった少年たちも二度と戻ってくることは無かった。
今回の事件が仮にアルバスの言う通り、アラクネの仕業だとして、彼がそれを捕らえたとしたらアルバスの大手柄になるだろう。何しろアラクネなんていう伝説の魔法生物なんて、研究者たちからしたら喉から手が出る程欲しい存在だ。いろんな伝説がくっつき、もはや不確かなものとなっているアラクネがもし今回捕らえられれば、研究者たちは放っておかないだろう。似た魔蜘蛛名前クロマンチュラですら魔法薬の材料になるのだから、アラクネはもしかしたらとんでもない魔法薬を作り上げてくれるかもしれない―――。たとえ、それが禁忌の代物だとしても。それがこの世界での魔法生物に対する扱いだ。

「…本当にいるのかね?アラクネなんて…」
「―――一度だけ、アラクネかもしれない存在を見たことがあります」

それは、彼がとある”知人”と知り合ったときの事―――彼もまた”アラクネ”の事を探していると言っていた。その”知人”こそが時の人―――ゲラート・グリンデルバルドなのだが、まぁ、この話は追々するとして、当時、その”知人”グリンデルバルドは闇の魔力を持つ魔法生物を探していた。闇の魔力を持つ存在の中で、特に彼が気にしていたのは”アラクネ”―――彼女の魔力を注がれた人の子は、”別の生き物”…通称”魔蜘蛛(アラクネ)の子供”に変化を遂げる。そのことから、命を与える魔女とも呼ばれていたりもする。変化を遂げた対象は人間に戻ることはできないだけではなく、自我を失うらしい。ちなみに、何故魔女なのかというと、人の姿でいるときは女に化けているからだ。そんな、大昔から伝説の存在とされてきた”アラクネ”を捕まえるべく、彼はアラクネの事を調べに調べ―――ある考えにたどり着いたそうだ。

まず、アラクネは何故”人の姿に化ける”のかという事。変身の瞬間を見つけない限り、人の姿に化けているアラクネをアラクネだと識別する方法はほぼ無いに等しい。
しかし、アラクネだと判断する方法を彼は見出した。それは、身寄りのない魔法使いの子供をすき好んで攫っている事に気が付いたからだ。彼は実際に二人ほどアラクネによって連れ去られている姿を発見しているらしく、二人とも身寄りのない、愛に飢えた子供たちだった。アラクネは”誘惑の魔法”に似たような力を使う。すると、警戒される事無く子供たちを連れ去ることが出来るのだとか。さらに人の姿なので、人間のいる街でも自然に溶け込める。
これまでの歴史の中で、魔法使いの子供が行方不明になる事件はたびたび起きていたことだ。中には悪意名前る人間によっての犯行も含まれているが、その中でもいくつかの共通点を持つ失踪事件があった――――それは、孤児を狙ったもの。

「―――攫われている子供は、皆孤児院の少年ばかりです」

だから、今回の少年たちの失踪事件も”アラクネ”が関与しているものに違いないと確信している。幾つかの孤児院で魔力を持った少年が次々に行方不明になっているのだが、あまりにも数が多く、もしかしてアラクネは大量に魔力が必要で”餌”を集めているのではないだろうかとアルバスは考えていた。残酷なことに、孤児なので一人いなくなろうが殆どの大人たちは気にしない。しかし、あまりにも近年多くの魔力を持った孤児が行方不明になるので、流石に新聞に掲載されたという訳だ。

「アラクネかもしれない存在に”マーク”を付けたんです、そしたら…この山の近くにたどり着きました」
「まあ、そんな危険な魔法生物によく”マーク”なんて出来たわね」
「―――まぁ、色々とありまして」

アラクネらしき存在に追跡魔法をかけられたのは本当に偶然だった。だが、それを語るには彼にとっては忌々しくもあり、悲しい記憶を呼び起こすことになるのでアルバスはいつもの表情でさりげなくさらっと話題を差し替える。

「アラクネは間違いなくこの山のどこかにいます」
「―――魔法省はそれを?」
「一応友人たちに知らせてあります」

顔の広いアルバスは、著名人の知り合いも多く、勿論魔法省にも多くの知り合いが在籍している。彼が言うには、既に複数の友人たちがこちらに向かっているそうだ。

「なので、念のため警戒しておいてください」
「―――えぇ、わかったわ、教えてくれてありがとう」

町に降りたほうがいいかもしれない。そうアルバスに忠告されエレナは手短に身支度を始める。

「山を降りたところにある町で宿をとってあります、そこで暫く過ごしていただけますか?」
「えぇ、構わないよ、色々とすまないねえ」

小さなカギを手渡され、それをローブのポケットにしまう。そして、暫く雑談したのちアルバスは山の中に消えていった。どうやら友人たちがこちらの山に到着したようだ。日が暮れるまでには町に向かっていたほうがいいと言われていたので、アルバスが居なくなっても彼女はしばらく小屋に残っていた。
そして、いつの間にかに眠ってしまっていたようで目が覚めたらすっかり日も落ち、あたりは暗闇に包まれていた。この時既に高齢だったエレナには仕方のない事だ。

「さて―――戸締りをしたら、町に降りるかね…ん?」

扉を開けると、何かが足にぶつかったことに気が付く。こんなところに荷物を置いていったのは誰だい、まったく。ルーモスと明かりをつけると驚くことにそこには幼い少年が一人横たわっていた。瞳に生気がないこと意外は特になんの変哲もない少年だ。
そこに横たわる少年こそ、アラクネから逃れてきた名前・ナイトリーだった。もしや、と思いエレナはその少年を抱き上げ、安全な場所まで姿くらましをする。アルバスに用意してもらった宿はマグルが経営するペンションで、洒落たカーペットに暖炉名前る過ごしやすそうな一室だったが、今はその景色を楽しんでいる暇はない。
アルバスが言っていたことを思い出し、この少年が”アラクネ”関連の子供であることはすぐに分かった。だが、”アラクネ”関連の子供は―――もう人では無く、人権が無いと言っても過言ではない。生き残れたとしても、人狼のように肩身の狭い暮らしをすることになるだろう。ましてや、本に載っている情報によると、アラクネによって変化を遂げた者は二度と人に戻ることはできず、自我も失うという。聖マンゴは人間の病院…だから保護されたこの少年が向かう先は魔法省ということになる。彼をこのまま魔法省に引き渡せば、最悪なことに実験や研究に使われる可能性が高い。屋敷しもべ妖精のほうがまだ幸せに暮らせるというもの。

「―――困ったことになったわね…でも、お前を見捨てることはできないよ―――」

暗くてよくわからなかったが、明るいところでよく見れば、この少年―――大昔に亡くなったエレナの一人息子の幼いころに少し似ていた。親も無く、孤児院で愛を知らないまま暮らしていたこの少年がたどり着く結末を想像するだけで胸が張り裂けそうになる。そして、この時エレナはもう決めていた。彼を引き取ることを。
しかし、それにはかなりのリスクがある。本来であれば魔法省に引き渡す必要がある身柄を、無断で引き取るのだから。この子供が本当にアラクネの魔力を注がれた子供であれば、彼は正真正銘魔蜘蛛(アラクネ)の子供―――最後に魔法省によって保護された魔蜘蛛の子供は、記録が残っている限りだと200年ぐらい前の一人だけ。アラクネの資料に関しては殆どその子供から得た情報で、保護された時既に人としての感情は残っておらず、体内に籠っていた高圧の魔力が爆発してしまい当時の魔法省の役人を40人程道ずれにして死んでしまったそうだ。悲しいことにその後、その子供は研究の為、あちこちバラバラにされてしまったらしい。
だから、この子供ももしかしたら魔力を爆発させる可能性がある。魔蜘蛛の子供に限った話ではなく、魔法界にはまだコントロールできない魔力を爆発させる子供は少なくはない。200年ほど前40人を道ずれにして死んでしまった少年の事をこの時エレナは知らなかった。むしろ、研究者ではない限り知り得ない領域なので、当然と言えば同然だが、彼女はどれほど危険な行為か知らないまま、少年の介抱をつづけた。

「……い」
「―――話せるのかい?」

その少年の身体についた汚れを丁寧に魔法で落とし、タオルの上に寝かせると少年が小さな声を漏らした。身体名前ちこちには痛々しい程の青あざがあり、不思議な印が上半身を覆っていた。入れ墨のような不思議なその印は時々光を放っている。

「いた…い」
「どこが痛むんだい?」
「…あ、あたま…あたま…いたい…」

自我を失うと本には記されていたが、この少年は思いのほかしっかりと自我が残っていたと思う。瞳は相変わらず、何も映さない虚ろな瞳ではあったが、彼から言葉が出てきてエレナは少しほっとした。
冷たいタオルをあててやると、気持ちよさそうに目を細める。

「お前の名前は?」
「―――名前」

彼は力なく答える。

「…いつから捕まっていたんだい?」
「……何もわからない…孤児院にいたのは覚えてる…でも、そこから何も覚えてない…」

少年が嘘を言っているようには思えなかった。だから、本当に彼は憶えてないのだろう。しかし、もしかするとこの少年は先週攫われた子の一人ではないだろうか。ふと、新聞の記事を思い出す。長くアラクネの元にいればいる程自我が失われていくのではないだろうか。憶測にすぎないが、何となくエレナは思った。

「どこかに引っ越さないとだね」

再び眠りについた名前を横目に、エレナは呟く。この宿から居なくなったら、勘のいいアルバスなら気づいてしまうだろうか。
今夜動くと怪しまれてしまうので、荷物の中から小さなトランクを取り出し、少年をその中に一時的に隠す。熟睡していたので、当分目覚めないだろう。

それから1週間後、エレナはオルゴレ村という田舎に新居を構えた。正式な手順を踏んで、一人の少年を養子に迎えた。孤児院の人に頼み込んで、名前を一時的に村の孤児院に置き、エレナが引き取ったという訳だ。そこまでしなければ魔法省に怪しまれる恐れがあったからなのだが、これを助言したのはなんとアルバスだった。やはり彼を騙すことは出来ず、結局名前の存在は彼に知られてしまった。名前の存在を黙っていてくれるかわりに、アルバスはエレナに、あるお願いをした。それは名前に魔力のコントロール方法を教えるということ。魔蜘蛛の子供が魔力を爆発させたら、過去の記録にあるように多くの人間が犠牲になる。そうなってしまっては彼を助けた意味も、エレナの気持ちも無駄になってしまう。

「魔力のコントロールが上手だね」
「ありがとうございます」

虚ろな瞳をしていた名前だが、エレナに保護されて1年が過ぎた頃には年頃の少年らしく、元気な姿を見せるようになった。時々この家にやってくるアルバスとは友達のように仲良くしている。ここに来ればマグルのお菓子もたくさん食べられるので、1か月に1回の頻度で彼はよくこの家を訪れるようになっていた。

「先生、変わりありませんか?」
「ふふ、何ともないよ…色々と手をまわしてくれてありがとうね」
「いえ、彼の残された人生を思えば当たり前のことです」

人間としての尊厳を失い、魔法生物として管理されるなど地獄に決まっている。ならば、”孤児”として戸籍を登録し、彼に”名前・ナイトリー”という居場所を与えた。アルバスがなぜここまで手をまわしてくれたのか…それは数年前の出来事が大きくかかわってくる。悲しい出来事が起きて、彼の人生は一変した。だからこそ、彼は”良き人”でありたかった。今できる”良きこと”は、目の前にいるこの悲劇の少年の手助けになること。そうすることによって、”自分の罪”が何となく軽くなるような気がしたからだ。

人の何倍も生きてきたアラクネの寿命こそが膨大な魔力の貯蓄によるものだった事が今回改めてわかった。ちなみにアラクネの心臓は現在魔法省の神秘部で大切に保管されている。何故他のパーツが無いのかというと、心臓以外全て蒸発してしまった為だ。アラクネの魔力を注がれた者は、魔蜘蛛の子供と呼ばれているが、さらに彼らもかなり長生きをしていた事が今回判明した。
親であるアラクネが魔力により長い時を生き永らえていた事と同じく、魔蜘蛛の子供たちにも魔力を有すれば有するだけ長生きしていたようだ。
しかし、攫ってきた全ての子供たちがアラクネの魔力に適合する訳ではなく、失敗した子供も多く居たようだ。彼女の根城の地下には大量の人骨が積み重ねられていた。魔力に適合しなかった子供たちの血肉は彼女によって食べられたのかもしれない。アルバスたちが突入したとき、確認できた魔蜘蛛の子供は名前を除いて4人しかいなかった。その4人の資料を確かめると行方不明になった少年たちであることが判明し、驚くことに一番年上の子は200年程前行方不明になった少年だった。見た目が変わる事無く、永遠に少年の姿のままで発見された魔蜘蛛の子供たちだが、今となってはアラクネの死と共に灰になり、消滅していった。そう、彼以外は―――。

ちなみに、アラクネの魔力を浴びると精神がおかしくなるのは本当のようで、今回戦いに参加した魔法省の神秘部に所属するアルバスの友人たち二人もおかしな言動をするようになってしまい、今聖マンゴに入院している。アラクネ討伐に向かった魔法使い達の6人中2人が亡くなり、4人が今聖マンゴで治療中だ。魔蜘蛛の子供にされた訳ではないので、彼らよりはひどくはない症状だが、たった15分対峙しただけで精神が毒されてしまった。いつ退院できるか定かではないが、それほどまでに魔法生物との戦いで間違いなく一番危険な戦いだったとアルバスは改めて思う。今回彼女を倒すことが出来たのは、アラクネと残された魔蜘蛛の子供たちの魔力(寿命)が残りわずかだったおかげだろう。だから最近アラクネは必死に新たな魔蜘蛛の子供を作ろうとしていたのだ。アラクネの根城の地下には最近行方不明になった少年の亡骸が転がっていたが、実は彼は名前と同じ頃に攫われた少年の一人だった。名前は運よくアラクネの魔力に適合し、生き永らえた訳だがそこが謎である。どうして、名前はアラクネの暗示から逃れ、森を彷徨っていたのか。その答えをアルバスは数十年後、ホグワーツの禁じられた森で知ることとなる。

「魔法の才能があるんだね、君は」
「そう、なんですか?」
「あぁ、でなければ一度教えただけの魔法をすぐには使えないさ」

魔力のコントロールが上手で、おまけに魔力も魔蜘蛛の子供故か膨大に秘めている。だから一度教えた魔法も感覚だけですぐに使えるようになってしまう。その魔力が今の所爆発しないのは彼が魔力のコントロールに優れているほかないだろう。アラクネに攫われていなかったら、きっと将来は立派な魔法戦士になれたに違いない。
名前が魔法を使っている姿を見て、アルバスは確信する。彼がホグワーツに通えば、きっと優秀な成績を残すだろう、と。アルバスは才能名前る者を愛している。彼の友人たちは皆そうだ、才能に愛された魔女や魔法使い達ばかり。アルバスの才能ある者を見分ける目は確かだ。

「じゃぁ、またね」
「はい!」
「また遊びにおいで」

二人に別れを告げると、アルバスはぱちと音を立てて姿くらましをした。午後は友人たちの見舞いに向かう約束をしていたからだ。彼らにも、名前の存在は話していない。彼の事を話す相手は慎重に決めねばならないだろう。彼が自分の身を自分で守れる大人になるまでは。

時は流れ、名前が11歳になった時ホグワーツから一通の手紙が届けられた。それを見た時、エレナは心の底からほっとしたようだ。他の人と同じくホグワーツに通う事が出来る。しかし、魔蜘蛛の特徴でもある血を飲む習慣だけは止めることが出来ない。彼がいかに普通の人として暮らすかは、多少工夫が必要になる。それは、エレナの元に来て1年と少しが過ぎた頃、喉の渇きで苦しみ始めたことが事の発端だ。魔蜘蛛(アラクネ)の子供が何を食事にしていたかはわからないが、生き物の血肉を食べることをアクロマンチュラの件でアルバスは知っていたので、もしやと思い、試しに幾つかの動物の血を名前に差し出してみた。すると、彼は羊の血を美味しいと言い飲むようになった。それから定期的に羊の血を飲むようになると、飢えで苦しむことは無くなった。ただ、羊の血をそのままの状態で保管はできないので、羊の血とニガヨモギなどで調合される、特別な魔法薬を飲むことにした。それは魔蜘蛛用というよりは、ヴァンパイア用に昔から存在する”血液もどき”と呼ばれるものだ。これを調合するには特別な資格が必要なので(そもそもこれを取り扱うのはヴァンパイア相手に商売をする魔女や魔法使いだけなので魔法省にて調合資格の登録が必要なのだ)その資格を持つアルバスの友人が調合をしてくれている。もし、ホグワーツで名前が”血液もどき”を飲んでいることが生徒たちにバレてしまったら、ヴァンパイアがホグワーツに来たと勘違いされ、ひと騒動起きてしまう。それを考慮し、薬を飲まなければならないという設定でホグワーツに通う事となった。
現校長のフィニアス・ナイジェラス・ブラックと副校長であるアーマンド・ディペットだけには事情を説明してある。彼らに頼み込んだのは元教員であるエレナと優秀な卒業生アルバスなので、名前が安全な存在であることはお墨付きだ。

「さあ、写真を撮るよ」

さらに時は流れ、季節は夏。今年の9月からホグワーツに通う事となった名前の為に、思い出として記念写真を撮影することとなった。カメラの向こう側でアルバスが微笑む。名前と知り合ってかれこれ4年になる。自分を純粋に慕ってくれる弟分は可愛いものだ。彼には魔法の才能がある。ホグワーツに通えばいろんな人たちと出会うことになるだろう。頼もしい友人たちに囲まれて、何事もなくホグワーツを卒業できれば、将来は安泰だ。ただし、魔蜘蛛の子供なのでもしかしたら周りの子供たちよりも長い間幼い姿のままかもしれない。そうなれば暮らしにくくなるし、人であることを疑われてしまう。そんなときの為にアルバスは名前に変身術を教えた。本来ならば上級生が習う領域ではあったが、名前はすぐにマスターしてしまった。もし、年を重ねてずっと自分が幼いままだったら変身術を使いなさい、と名前は助言を受けている。しかし、アルバスの心配も杞憂に終わり、彼は他の生徒たちと変わらぬ見た目でホグワーツを卒業し、マグルの世界に出て暫くしてから見た目の老いが止まった。おおよそ20代後半の見た目のまま、名前は何十年と過ごすこととなる。

「現像できたら持ってくるね、じゃあ先生、名前、また」
「ほほ、頑張りなさいね」
「いってらっしゃい!」

来年、ホグワーツで変身術を教えることとなったアルバスはそれの準備のため、今年に入ってから慌ただしく動き回っている。姿くらましをした彼の背中を見送ると、エレナは一通の手紙をしたため始める。送り先はエレナの元教え子であり、今現在ホグワーツのマグル学を教えているパトリシア・グレアム。エレナの後任であるパトリシアは元ハッフルパフ寮出身で、首席で卒業した優秀な人物だ。現校長のフィニアスとは同級生であり、在学中二人はよく成績を競い合っていたらしい。

「シェリア、おいで」
「ホッホー」

窓辺で待機していた梟のシェリアにかきあげた手紙を持たせると、おやつを2つまみ程与える。それを満足そうに食べ、優雅に空を飛んでいくその姿を見守る。

「名前、いいかい、約束しておくれ」
「はい」

隣で同じくシェリアのいなくなった先を見つめている名前に声をかける。

「ホグワーツでは、”特技”を披露してはならないよ」
「…はい」

窓辺にちょこんと佇んでいるかわいらしいハエトリグモを指さしながらエレナは続ける。

「そして…もし、人では無いと疑われてしまったら、自分は人であると貫き通すのよ」

名前の特技…それは、意思を持った魔法生物や蜘蛛と会話ができる事。ホグワーツの敷地内には高い知能に、人語を話す魔法生物も生息している。恐らく彼らに近づくと人では無いことがバレてしまうので、極力関わらないようにと忠告され、名前は小さく頷く。

「―――では、ダイアゴン横丁へ行ってくるから、家でお留守番しているのよ」
「はい、いってらっしゃい」

漏れ鍋へ向かったエレナを見送ると、ふと視線を感じ振り返る。するとそこには先ほどのハエトリグモがこちらを見つめていた。彼が言っている言葉が頭の中で響く。テレパシーのようなもので会話をしているのだ。

「…そうなんだよ、もうすぐで遠い場所に行くんだ、だから暫く君とも会えないよ」

次はクリスマス休暇に帰ってくるからね。あ、でも君は冬眠中かもしれない。そういうと、窓辺のハエトリグモが少しがっかりしたような表情を浮かべていた。