37 愛憎ロマンス/アズカバンの囚人

珍しく苛立っている様子の名前は、ホグワーツの湖から睨みつける様にして空を見つめている。その先にはディメンター…吸魂鬼が3、4体こちらを遠目で窺っているかのように蠢いていた。その知らせを受けたのは今から1時間前。生徒たちを乗せたホグワーツ特急にディメンターたちが現れ、事もあろうか生徒を襲ったそうだ。その時は念のためにと列車に乗っていたリーマスのお蔭で生徒たちは無事で済んだが、これは由々しき事態だ。アルバスも殺気立ちながらファッジを呼びつけていた。きっと、彼がまだ若ければ今頃ディメンターたちをせん滅していたに違いない。

「―――まったく、困ったものだね」

いくら魔力がほとんどないとは言え、やはり天敵である魔蜘蛛は恐ろしいようでディメンターたちがこちらに近づいてくる様子はない。名前の後方には沢山エサがあるのに行けないもどかしさだけは伝わってくるが…。
月夜の下、名前の赤い瞳がギラリと光る。

ディメンターたちがホグワーツの周りに配備されたことによって名前は、このように定期的に夜の城を見回る事となった。魔蜘蛛としての力を解放しているこの時を生徒たちに見られてはいけない、という自分ルールも勿論課してある。この世代の子供たちは魔蜘蛛アラクネとそれの子供たちの話をあまり知らない筈なのでそこまで警戒することではないのだが、念には念を、という言葉があるように油断は許されない。油断といえば、油断大敵が口癖の彼は元気にしているだろうか、と名前は闇払いの知り合いの事を思い出す。

「新学期おめでとう、皆にいくつかお知らせがある…一つはとても深刻な問題じゃ、皆がご馳走でぼーっとなる前に片付けてしまうほうがよかろう」

新入生の組み分けが終わり、いつものようにアルバス・ダンブルドア名前いさつで新学期が始まる。今年も、彼名前いさつで新学期が迎えられてよかったと思う。生きていると、何が起こるかわからないからね。

「ホグワーツ特急での捜査があったから、皆も知っての通り、わが校はただいまアズカバンの吸魂鬼、つまりディメンターたちを受け入れておる…魔法省の御用でここに来ておるのじゃ―――吸魂鬼たちは学校への入口と言う入り口をかためておる。あの者達がここにいるかぎり、はっきり言うておくが、誰も許可なしで学校を離れてはならんぞ、吸魂鬼は悪戯や変装に引っかかるような代物ではないのでな…無論、透明マントでさえも無駄だから覚えておくように」

此度の件は生徒たちによく言っておく必要があるだろう、だからアルバスはあえて最初の挨拶にそれを語った。ついでに透明マントの件を話している時、一瞬ではあったがハリーを見てウィンクしていたような気もする。あれを持っているのは彼だけなので、必ず忠告しておいた方がいい。
監督生たちによく下級生たちを面倒みるように、と伝えた後新任の教師陣紹介に入っていった。リーマスはギルデロイの後任として闇の魔術に対する防衛術の担当に、ルビウスは魔法生物学の担当になったことが生徒たちに告げられる。すると一部から湧き立つような明るい声が聞こえてきた。間違いない、ハリーたちだ。

「それと、去年から体調を崩されていた名前・ナイトリー先生が完全復帰された、ナイトリー先生は変わらず今年もマグル学をご担当される」

名前の名前が挙がるなり、女子生徒のきゃぁ、という黄色い声が広間に響いた。よく見ればスリザリンからも声が上がっており、皆年頃の女の子らしい表情になっている。ただでさえいけ好かない名前の他にもう1人いけ好かない奴がホグワーツの、しかも同じ教師として、同僚として共に過ごさなければならないという不満が溜まっているというのに、黄色い声を受けきゃっきゃと女子生徒たちにもてはやされる名前・ナイトリーという男が心の底から憎いとセブルスは感じた。あの男の上に隕石でも落ちてくれば、とさえ思う。名前の名前が挙がるなり親の仇かのように殺意のようなものが込められた視線を向けてくるセブルスに、思わず名前は苦笑を漏らす。

授業初日、名前はアルバスから手渡されたマグル学を受講する生徒たちの名前が記載されているリストを眺めながら頭をぽりぽりと掻いた。なんだか、男女比が去年よりもおかしい気がする。明らかに女子生徒が増えている…男女比は去年までは男子生徒よりちょっと女子が多い程度だったのだが……。
朝食をとる為に広間へ向かった時、偶然ハリーたちと出くわし早速3人は駆け寄ってきた。

「先生!聞いてくださいよ!僕たち本当は先生の授業取りたかったのに定員オーバーで取れなかったんです!」
「ははは…早い者勝ちだから…私の授業は教室もあまり広くはないし、私も歳だからね」

3年生の授業選択は学期末、そして昨日最終選択が行われている。つまり、学期末の時点で定員オーバーになってしまったのでハリーたちはマグル学を選択することができなかった、という訳だ。ちなみに、ハーマイオニーは彼らとは違いいち早く動いたようでマグル学の席をばっちりと獲得している。

「フレッドたちから聞いてたんです、先生の授業は面白いって」
「それは光栄だな、でも彼らに伝えておいてくれ、妙な言い回しでレポートの長さをかさ増ししないように、と」
「あいつららしいや」
「ロン、貴方も人の事言えないんじゃないかしら」
「う、うるさいぞハーマイオニー」

じゃあまたね、と3人とは一旦別れ席に着く。席に着くなり殺気のようなものを感じたがそれはセブルスが少し離れた席に座っているリーマスへと向けたものだった。

「先生、元気になってよかった」
「やあリジー、元気だったかい」

もうすぐ朝食の時間だというのに、お年頃の女の子たちは若い(と言っても、見た目だけだが)先生に夢中で黄色い声を上げている。横から冷たい視線を感じながらも、名前は笑顔で女子生徒たちと会話を続けた。

新学期は始まって暫く過ぎた頃、ルビウスの授業で早速けが人が出たという知らせを受けた。3年生にヒッポグリフは早いような…というより、どうして最初に彼らを選んだのか。ヒッポグリフと言えば誇り高き生き物だ…無暗に近づけば命を落としかねないし、ケガをしたのはマルフォイ家の長男と聞いていたので大方彼の態度が悪かったのだろう。しかし、彼の父親はこういうチャンスを逃すはずが無い…きっと、何だかんだと言ってきてアルバスを陥れようとするに決まっている。

「ルビウス、あれ程気を付けるんだよって言っていたというのに」
「―――面目ねぇ……ほんと…」
「あれぐらいの怪我で済んだからまだよかったけれども」
「…あぁ、ほんとだ…俺が悪いんだァ全部」
「……次はこういう事が無いように、気を付けるんだよ」
「…うん」

きっと誰も注意をしないだろうから、ここでちゃんと彼には伝えておかなければ。それは彼の身を守る事にもつながるだろうから。
ルビウスにお叱りの言葉を伝え終えると、足早に自身の部屋に戻っていった。最近は血の渇きが強く、今までは1週間に1回血を飲めば済んだこの渇きだが、近頃は魔力をほとんど失っているためか、血を飲む頻度が確実に増えている。これでは、まるでヴァンパイアのようだ。ヴァンパイアといえば、一人知り合いにヴァンパイアがいたが、彼は今何をしているのかアルバスでさえも知らない。
遡ること今から80年ほど前、世界は第一次世界大戦を控え、冷え切っていた。明日にでも戦争が始まるかもしれない、そんな空気に包まれたロンドンで、魔法使いたちはもしもの為にと安全な場所へすぐにでも逃げられるよう当時はテントがよく売れたものだ。

「やあ名前、君、血を断って長いらしいじゃないか」
「―――ジール、頼むからちゃんと玄関から入ってきてくれ、ついでにきちんと手順を踏んでね」

この時、名前はホグワーツを卒業したばかりで、コーヒー屋で就職したばかりの若造だった。世界のことなど知らず、これからロンドンがどうなるとも知らず、ただ明日のことばかりを考え暮らしていた。就職先のテナントの上がちょうどアパートになっていて、名前はそこで少ない荷物とともに暮らしていた。
先日からオーナーが実家に帰っているため、明後日まで店は休み。なので名前は長閑な午後をまったりと過ごしていたわけだったが…突如現れた客人によって、長閑な午後は終わりを告げる。

「ジール、君、よく昼間に来れるね…」
「ああもちろん、日焼け止めは塗っているさ、じゃなくてだな…最近新鮮な血にありつけていないだろうなぁと思ってこうして新鮮な血を持ってきた俺に対しての礼の言葉はないのかい?」

彼はヴァンパイア。年齢は名前よりも100歳ばかり年上のヴァンパイアで、ヴァンパイアの中では若いほうだ。流れるような金髪に、金色の瞳、色白の肌にしなやかな筋肉…と、彼を見てうっとりとしない女性はいないだろう、と思わせるほど彼の容姿は整っている。しかし、女癖が悪く、男癖も悪かった…つまり、彼はバイである。

「会いたかったよ名前」
「私は君に会いたくなかった」

魔蜘蛛なので、血を吸われたところでヴァンパイアである彼の食事には成りえなかったが、魔力だけは奪うことができる。ホグワーツ在学中も、近所にいた彼は度々名前のもとに表れては、血を分け与えてくれていた。彼とは違い、名前は人間の血があまり好きではない。とてもまずく、飲めたものではないのだが、ヴァンパイアの彼にとっては美酒なのだろう。飲むたびに女性が失神するような、恍惚とした表情をする。
そもそも、名前と彼が出会ったのは偶然彼がこちらに引っ越してきて、あいさつ回りの時に知り合っただけではあるが、今もこうして交友(向こうが勝手にこう思っている)が続いているのは…きっと腐れ縁というやつだろう。
あまり誰かを嫌いになったりすることはない名前ではあったが、彼だけは、なんというか若干苦手だった。会うたびに無理やり魔力を奪われるのだから嫌われても仕方のないこと。魔力を奪う代わりに、彼は対価として血液を持ってくる。彼がこうして名前から魔力を奪うときは、彼の体の調子が悪い時といつもきまっている。魔蜘蛛の魔力はヴァンパイアにとって特効薬みたいなものだ。体内の魔力バランスを整えるためだとかなんとか…だから、同じ魔蜘蛛であるアクロマンチュラと生活をしているヴァンパイアは少なくはない。もちろん、彼らには頭のいい生き物なので、ペットという待遇は受け付けない。同じ血を飲む仲間として、お互いの欠点を補う同志として共に暮らしている。ただ、そ名前クロマンチュラも年々数が減っており、原因は人間が増えすぎたせいだとも…。

「魅力的な体つきだ」

ヴァンパイアの動きの素早さは、どの魔法生物をも凌駕する。窓辺に座っていたかと思いきや、目の前に現れ、手慣れた動作で名前名前ごをクイ、と持ち上げるその姿は人をたぶらかす魔性のそれ。頬にジールの端正な唇が近づいてくるのを感じながら、うんざりとした表情で名前はため息を吐く。

「魔力を奪うならさっさとしてくれないかな、私も忙しい」
「奪うだなんて人聞きの悪い…ちゃんと等価交換しているだろう?ほら、血を持ってきたよ、今や貴重な健康体の血だ……」

血が入った袋をぼん、と無造作にテーブルに置き人をだます詐欺師のような笑みを浮かべながら近寄ってくる。

「リビングの椅子でぼーっとしていたのだから、さぞお忙しいことだろうね」
「人間の血は飲まない、私は、マグルの世界で生きると決めたんだ」
「そんなつれないことを言うなよ、血飲み仲間だろう?」

名前の首元にねっとりと這う舌が蠢く。

「今日は我慢してやる、今後はほかの魔蜘蛛をあたってくれ」
「クク、ただの魔蜘蛛じゃつまらないだろぉ?君みたいに人のような肉体を持つ魔蜘蛛なんてレアなんだから…ほかの男に乗り移るなんてもったいない」

ヴァンパイアは、血を吸うときに性的快楽を感じるようで性欲の強さでも有名だ。ヴァンパイアのほとんどは容姿端麗…なので、自ら身体を差し出す人間もいるのだとか。だが、名前は魔蜘蛛…それに、彼に無理やり付き合わされているといっても過言ではない。昔は世話になっていたが、今はそれの必要もない―――だが、彼は人の話に耳を傾けてくれるような普通のヴァンパイアではなかった。

「―――やめてくれ、本当に、これ以上事を進めるなら私は君にもう二度と魔力を与えない」
「大丈夫、ちょっとだけさ」
「―――ジール」
「…わかったよ、君に嫌われたくないしね」

やれやれ、といった様子でつぶやくジールにほんの少し苛立ちを感じながらも、名前は彼に身をゆだねる。

「っ」
「相変わらず面白い反応をするね」

冷たく、ざらりとした舌が名前の舌の根をくすぐり、そして絡めとる。セックスをするときのような舌使いに自然と腰が浮く。が、魔力を吸うだけでは飽き足らず、人の尻まで揉んでくるとは。そっちに持っていこうとしている見え透いた下心にあきれてものが言えない。

「俺も本当に調子が悪いから今日はここまで…はぁー生き返った」

飲みかけの紅茶で口の中をよくゆすいでると、悲しいねぇ、と心のこもっていない声が聞こえてきた。

「名前のこと、ほかのヴァンパイア連中には教えてないんだぜ?」
「私は君たちのために存在している訳じゃない」
「だが、俺たちは共存関係にある…利害が完全に一致している、お互いをよく理解している…だから、何百年と我々の関係は続いているわけで」
「用事も済んだだろう、早く帰ってくれないかな」
「…つれないなぁ、名前」

じゃぁ、ここに血液パック置いていくからね、と人たらしの笑みを浮かべ去っていく男の背を、憎らし気に見送った。こんなやり取りが何度があったのち、彼は消息を絶った。多分、戦時中は人間の血がまずくなる時期だから、戦争が終わって落ち着いた頃に目覚めるつもりでいるのだろう。できたら、もう二度と会いたくない。
あの男の何がそこまで嫌いなのかは、もうわかっていること…人間ではないことに、嫌悪している自分を認めてしまうのが嫌だから、あの男が嫌いだった。
この体になってもう何十年とたつが、心のどこかでは人間だったころの自分に戻りたいと感じてしまうのは、心が弱いせいなのか…歳のせいなのか。人ならざる不老者だけが抱える、少し複雑な問題だ。