36 愛憎ロマンス/アズカバンの囚人

夏休みが始まりすっかり静まり返ったホグワーツのとある一室で、名前は驚きの声を上げる。届けられた手紙の内容があまりにも衝撃的だった為、思わずソファから転げ落ちる。その衝撃で腰を強く打ち付けたのか、鈍痛が走る。最近よく物とかにぶつかってケガをする機会が増えたような気がするが、やはり歳なのだろうか…。

「シリウス・ブラックが脱獄…!?」

それは、出先のアルバスから届けられた短い文章が殴り書きされているメモのような手紙ではあったが、それだけ慌てて手紙を出したという事は、きっとハリー関係に違いない。そう言えば、シリウス・ブラックと言えばハリーの父親、ジェームズ・ポッターと親しくしていた…筈なのだが、裏切った為にポッター家が襲撃されてしまった。実は、あの予言がされてからポッター家を守るため秘密の守番を立てた…が、それがシリウス・ブラックだった。しかし、アルバスも私も、彼が犯人だとは思っていない。何者かに騙されたに違いない…確証はないけれども。

「ごふっ…!」

近くの椅子に腰を下ろし紅茶を楽しんでいたリーマス・J・ルーピンの咽る声が聞こえてきた。何故彼がここにいるのかと言うと、現在、名前はトムに散々魔力を吸い尽くされたが為に魔法が一切使えない状態だった。いくらマグルでの生活が慣れているからとはいえ、魔法を使わなければどうにもならない問題もある。そこで、元教え子のリーマス・J・ルーピンに仕事を手伝ってもらうことにした、という訳だ。休みの間1週間に1回必ずリーマスは仕事を手伝いにやってきてくれるのでとても助かっている。
先ほどソファから転げ落ちた際にぶつけた腰をさすりながら立ち上がると、額に汗を滲ませたリーマスに向き直る。

「君は、何か知っているかい?」
「いいえ、何も…でも、どうして今になって…」
「…きっと、この事は大見出し記事になるだろうなぁ」
「何故ダンブルドア先生がこの事をいち早く…?」
「アルバスが魔法省に出向いていた時に事件が発覚したらしいよ、ファッジはさぞや慌てていることだろうね」
「成程、だから…」

それから翌日、名前の元に再びアルバスからの殴り書きの手紙が届けられた。今度はハリーが家出をしたらしく、ファッジがすぐさま漏れ鍋にいるハリーの元へ向かったようだ。それからすぐ、リーマスが正式にホグワーツの教員となる事が決まった。ハリーにもしもの事が無いように、という意味合いも込めてなのだろうが、セブルスが今まで見た事のない程不機嫌な様子だったので、アルバスと二人で苦笑を零してしまった。

美しい半月が闇夜に浮かぶある夏の夜、名前はアラゴグと話をするために1人禁じられた森深くまで来ていた。今年はルビウスも魔法生物学の教壇に立つことになり、新学期の支度に追われる彼に代わり、ここ最近ずっと体調の悪いアラゴグの見舞いにやってきた。

「…どうだい、体調は」

巨大な魔蜘蛛アラゴグは気怠そうに足を名前の元まで動かす。

「節々が痛くて敵わん」
「塗り薬を持ってきたよ…正直、効くかは分からないんだけど…」

ごめんね、と笑うとアラゴグはゆったりとした足取りで近くの木の根にもたれ掛かる。そして、名前は持ってきたクリームを彼のとげとげした関節に塗り込んでいく。時々呻き声が聞こえてきたが、暴れる事も無くアラゴグは大人しく名前にクリームを塗られていた。身体のサイズがサイズなので、2本目のクリームのふたを開けた頃、彼の呟きが耳に入ってきた。

「―――魔力を失っておる、辛くはないか」
「辛くはない、と言えば嘘にはなるけれども…」

すると、茂みからもぞもぞと湧いてきた子蜘蛛達が名前の足元に集まってきて、独特の鳴き声を出し始めた。足元から仄かな熱が広がっていくのを感じる。

「ありがとう、助かるよ」
「―――所詮、気休めでしかないが…」

魔蜘蛛同士は魔力を分け与える事が出来る。と言っても、こんなに小さな子蜘蛛達では名前に必要な魔力の10分の1も補えない。だが、彼らの気持ちが純粋にうれしかった。わらわらと集まっていた子蜘蛛たちの背を見送っているとアラゴグから肩をとんとん、と叩かれる。

「どうしたんだい?塗り薬、足りなかった?」
「いや…塗り薬は十分だよ、ありがとう、わしが言いたいのは、お前さんのことだ」
「…私かい?」
「魔力を失っておる、魔蜘蛛の…わしらの心臓を動かしているのは魔力だ…それが尽きれば、いくら丈夫なわしらとて死ぬ」

成し遂げなくてはならない事があるのではないのか、というアラゴグの言葉が胸に突き刺さる。そう、彼の言う通り…成し遂げなければならない事がある、それを成し遂げたら…ようやく、死が許される。死ぬときは、すべてを終わらせてから。これは自分の魂に誓ったことだ。

「…もっと、しっかりしなくてはならないね、ありがとう、アラゴグ」

それから他愛のない話を交わし、城へと戻っていった。

「えぇ!?ディメンターをホグワーツの周りに!?あの人は一体何を考えているんだ!?」
「君の怒りはご尤もじゃよ」

夏休みも残りわずかとなった頃、アルバスも頭を抱える問題が発生した。それは、ホグワーツにいるハリーを狙ってシリウス・ブラックがここへやってくるかもしれない、という問題だ。真意は分からないが、いずれにせよシリウスはハリーと接触するつもりでいるのかもしれない。とても彼がハリーの命を狙う様には思えなかったが、こんな時期に脱獄をするなんて、きっと何か裏があるはず。
シリウスが無実だと信じているのはアルバスと名前だけだが、2人が無実だと言ったところで何も変わりはしない…魔法省としても、ハリーの命を守るため、またホグワーツに通う生徒たちを殺人鬼から守るためにホグワーツへディメンターを遣わした訳だが、ディメンターに生徒が襲われる心配は頭に入れていないのだろうか。シリウスよりも正直そちらの方が危険だと感じるのだが…。

「お役所の仕事は雑だね」
「まったくじゃよ」
「あれを遣わせば済む問題でもないというのに…今年は列車に乗っていたほうがいいですか?」
「いや、君はホグワーツでいつものように生徒たちを待っていてほしい」
「わかりました」

校長室を後にすると、名前は箱を片手にルビウスの小屋までやってきた。アルバスから預かっているお土産を手渡すためだ。

「ルビウス、一体どうしたんだい」
「あぁ、これか、うんにゃ…ちょっとな、こいつが食い荒らしちまった」
「ねぇ、もしかしてこの本って今年の教科書に指定した奴だよね?」
「おう!」
「―――おう!じゃないよルビウス…どうしてアルバスもOK出したんだろ…」

そこには、今年から魔法生物学の教科書に指定されている『怪物的な怪物の本』が食い荒らした哀れな本たちの残骸が散らかっていた。この本は開き方さえ知っていればちゃんとした本として読むことができるのだが、背中を撫でずに開こうとすればたちまち周りの本たちはこのように見るも無残な姿へと成り果ててしまう。正直、この本を教科書に指定するのはナンセンスだったが、ここの校長が許可を出してしまったので今更文句も言えない。ただ言える事は、この本で生徒がケガをしていなければいいな、という事だけ。

「はいこれ、アルバスからのお土産」
「おお、ありがとう、先生はどこへ行きなすったんだ?」
「アルバニアの森だよ、去年も色々とあっただろう…だから、念のためにね…さて、ハグリッド先生、新学期の準備はばっちりかな?」
「やめちょくれ、まだその呼び方に慣れてないんだから」

間もなく新学期が訪れる。みんなの驚く顔が今から楽しみだ。
その夜、久しぶりにあの子が夢に現れた。翌朝になると夢の内容もすっかり忘れてしまったが、起きてすぐに涙を流していることに気がつく。

「はは…泣いてる、情けないな、名前・ナイトリー」

朝日を背に、名前は目をこする。
さぁ、もうすぐで新学期、しっかりしなくては。

成し遂げなくてはならない事があるのではないか、アラゴグの言葉が頭に木霊する。