35 愛憎ロマンス/秘密の部屋

アルバスの話では、私は死にかけていたようだ。瀕死の私を発見したのは、ハリーたちの無事を確認した後らしく、もしやと思い私の部屋に駆けつけて来てくれたらしい。彼の話によると、私の身体にはアラクネの印が浮かび上がっていたようで、そこで何が起きたのか、すぐに察したようだ。
未だに魔力が戻らず気怠い身体ではあるが、あの子によって掛けられた呪いもあの子の分身の消滅によって解かれた。頭の中は随分とクリアになり、伝えたかったこともようやく伝える事が出来た。

「―――名前、身体はもう大丈夫かね」
「アルバス、ありがとう…お蔭様で」
「無理をするでない、名前、君が…どんな目に合わされたのか、わかっておる……酷い事をされたの…」

怒りに満ちた青い瞳がゆらゆらと揺らめく。そんな様子のアルバスに、名前は申し訳なさそうに首を垂れる。

「…ハリーたちが無事で、本当に良かった」

想像はしたくないが、もし、ハリーたちが助からなかったら…。彼を守って死んでいった彼のご両親や仲間たちに顔向けができない。この命をもっても、償いきれない。
名前が倒れてすぐあの子はジニー・ウィーズリーを操り廊下にメッセージを残させたようだ。それが発見されてからミネルバが生徒たちをすぐに安全な場所へ移動した…までは良かった。ハリーがジニーを助けるためにロンと、そしてなぜかギルデロイを連れて秘密の部屋に乗り込んだようだ。そこで色々とあってギルデロイは記憶を失い、ハリーはバジリスクとの死闘の末、トム・マールヴォロ・リドルの記憶とバジリスクに勝つことができた。トム・マールヴォロ・リドルの日記をジニーが手にし、その日記に魔力を注いでしまったが為にジニーは身体を乗っ取られていた…という訳だ。去年から起きていた秘密の部屋騒動は、ジニー・ウィーズリーがトム・マールヴォロ・リドルによって操られ引き起こされていた。しかし、大本を辿れば…。

「ルシウスが、日記を、か…」
「彼には即刻、理事を降りて頂いたよ、これで死者が出ようものならば彼をアズカバンにぶち込んでおったじゃろう」

珍しく物騒な物言いのアルバスに苦笑する。
ルシウス・マルフォイがあの子の日記をダイアゴン横丁でジニーの荷物に紛れ込ませ、事が起こるのを見物していた、という訳だが、彼はあの子を復活させるつもりでいたのだろうか?いいや、こうなるとまでは想像していなかっただろう…彼の目的は、アルバス・ダンブルドアの失脚だけ。自分の息子も学校に通っているというのに、なんと非道な親だろうか。それとも、自分の息子は純血だから安全だとでも思っていたのだろうか。だとしたら、とんだ思い上がりだ。バジリスクは主以外のいう事を聞かない…もし、あの子がホグワーツの生徒を皆殺しにしろ、とバジリスクに命じればそれを何のためらいもなく遂行していたに違いない。

「…当分、マグルと同じ生活ですね」
「だが、君は日ごろから彼らと同じような生活をしているじゃろう?あまり変わりないのではないかな」
「はは、そうでした」

何しろ、今回ばかりは魔力を致死量ぎりぎりまで搾り取られた。お蔭様でここ2年ぐらいは魔法を使えない、と言われてしまった。生命を維持する最低限度の魔力だけ残しておく…あの子にはしてやられた、という訳だ。これは、私に動き回るな、というあの子の意志なのかもしれない。私を生かしておきたい理由…それは魔力をいち早く手に入れるエサだから。アラクネと同じだ、あの子も…私をエサとしか考えていない。
昔からそうだった、あの子は、そういう性格だった。勝手に勘違いをしていたのは私だけだ。悲しげに顔を俯かせる名前の肩にやさしく手を置くアルバスと視線がぶつかる。

「今年の休暇は何もせず、ゆっくりと過ごすといいじゃろう」

それは、9月に新学期を迎える新1年生の家庭訪問のことを指している。去年も名前はマグル生まれの子の家庭にホグワーツの説明をするために足を運んでいたが、今年は事情が事情なのでミネルバと他の教師たちが行ってくれるそうだ。
今回の事で、アルバスは名前がどのような苦痛を味わってきたのか全て悟ったようで、それらに関して話をしてくることは無かった。これも彼なりの優しさだろう。

「すみません…」
「君がいるお蔭で特定の魔法生物がホグワーツに近寄らぬ、実質、君がホグワーツを守ってくれておるのじゃよ」
「…」

人間にも同じ事が言えるのだが、世の中には、良い魔法生物もいれば邪悪な魔法生物も存在する。邪悪な魔法生物の中でも、それぞれに天敵が存在する。例えば魔蜘蛛の天敵はバジリスクであることのように、魔蜘蛛が天敵の魔法生物が存在する。彼らの名は吸魂鬼(ディメンター)…アズカバンにいる囚人たちの看守で、顔の真ん中にぽっかりと空いた口があり、そこから人間の幸福な記憶などを吸い取り、最終的にはその魂をも喰らい尽くすとても恐ろしい魔法生物だ。基本的に彼らは餌場でもあるアズカバン周辺に生息しているが、極稀に縄張りから離れ…人を襲う事件が起きている。
アズカバンにいれば、定期的にエサ(幸福な記憶など)を手に入れる事ができるので、魔法省と彼らは同盟関係にあると言っても過言ではないのだが、やはり、吸魂鬼は吸魂鬼なのだろう。
ちなみに、魔蜘蛛の血が彼らの弱点で、その血に触れると身体が見る見るうちに蒸発し、消えてしまうのだとか。だから、ホグワーツには魔蜘蛛の子である名前がいるお蔭か、今まで一度も吸魂鬼が森などに現れた事が無い。

「さて、わしはそろそろ帰るとしよう、君はゆっくりと休みなさい」
「寝すぎて、腰から根が生えそうですよ」
「ほっほっほ、ではまたな」

一人きりになった部屋で、名前は小さくため息を漏らす。今年こそはアルバスに迷惑をかけないよう努めなければ。
今年は終業式も見る事ができなかった。その頃はまだ意識が戻っておらず、ホグワーツの塔の奥で眠り続けていたからだ。聖マンゴは人間の行く病院であり、魔法生物がいける病院などない。ましてや名前は元人間とは言えども、悪名高きアラクネの力を注がれた悪しき存在。

「もう…そろそろ夏、か」

冬が来たかと思えば春になり、気が付けば夏になり…とあっという間に一年が過ぎ去っていく。名前にとってそれはほんの一瞬の出来事だ。今度こそ死ぬだろうと思ったのに、死ななかった……まだ、私は許されないのだろう。
穢れた魂で天に昇る事は出来ないという事なのだろうか。

あの子と私、案外似た者同士なのかもしれない。
自嘲気味に名前は笑う。
こうして、また時が過ぎ去っていく。名前を、一人残して。