32 愛憎ロマンス/秘密の部屋

先生、どうか泣かないで。
その声を聞き、自分が泣いていることに気が付いた。

リドルに己の正体がバレてしまったあの日から、1年が過ぎた頃、亡くなった女子生徒の親がダンブルドアに会いに来ていた。1年が過ぎても彼女の両親は深い悲しみの中におり、彼女の写真を眺めては抑えきれない嗚咽を漏らしている。無理もない、大切な一人娘が亡くなったのだから。そんな光景を見ていて、ふと、会いたくても会えない、今はもういない大切な家族の事を思い出した。戦死したジョンの事や、空襲で亡くなったカトレアとマーガレットの事を…そして、気が付けば人気のない庭の片隅で胸からこみ上げてくる感情を抑えきれず、涙を流していた。自分と、最愛の家族を失った彼らを重ねていたようだ。

「目にゴミが入ってしまったみたいだね」
「…先生が、悲しんでいるようにみえたので」
「―――そう、見えた?」
「はい」

彼には正体がバレてしまったが、彼はこの事を誰かに漏らさないという約束をしてくれた。しかし、それと同時に彼の気持ちに嫌でも気が付いてしまった訳だが…。
それから会うたびに気まずさを感じてしまい、最近は彼を無意識のうちに避けてしまっていたような気もする。こうして、面と向かって会話をするのは久しぶりの事だった。
気が付けば目の前にいて、トムの冷たい指先が名前の目元に触れる。少し驚いてしまったが、それ以上にトムの指先を受け入れている自分に驚かされた。

「すみません、先生…でも、悲しんでいる先生を、放っておけなくて」
「―――君には隠し事が出来ないな、今回の事もそうだけれども…少し、昔を思い出してしまってね、なんだか恥ずかしいな」

気が付けば、古い友人たちは次々と亡くなっていて。時代が時代だった為に、若くして亡くなった友も少なくはない。だが、居なくなってしまったのは古い友人たちだけではない。血の繋がりは無かったとしても、名前にとってはかけがえのない家族たちも、今はもういない。名前を1人、残して。しかし、彼らを追いかける事も出来ない…それは、既に自分は人間ではなかったからだ。
幼き頃に魔蜘蛛アラクネに攫われ、彼女の呪いを受けた為に魔蜘蛛の子になってしまった。魔蜘蛛は魔法生物の中でも特殊な生き物で、その中のアラクネと呼ばれた魔蜘蛛に関しては、大昔から本に記されている危険な魔法生物の1人だ。アラクネは人の子を攫い、呪いをかけ、己の魔力の糧とする魔蜘蛛で、それに呪いをかけられた人の子は、魔蜘蛛の子と呼ばれ、二度と人里に帰ることは無い。何故ならば、その一生を魔蜘蛛に必要な膨大な魔力を補うためのエサとして過ごすからだ。一度手に入れたエサは、二度と手放す事がない…というよりも、巣から逃げる以前に、巣から逃げられないようにとそれ以前の記憶を消され、尚且つ虚ろな状態にさせられるのでその場から逃げる事はまず無い。
名前の場合は、偶然が重なり育ての親に発見されただけ。本当の親の記憶など、魔蜘蛛の子になった瞬間すべて失われた。それは、強力な呪いなのでどんな手段を使っても記憶が蘇ることはない。
それから色々とあり、ホグワーツに通うようになった頃マグル界の友人たちと出会った。

「先生、僕がホグワーツの教師になりたい、って言ったら驚かれますか?」
「…少し以外だったかな、君だったら、魔法省の官僚にでもなるのかと思っていたよ」

彼は成績優秀で、人当たりもよい。何一つ欠点の無いように見えるトムだが、それを見抜いていたのはこの時代、ダンブルドアだけだった。名前が彼の裏の顔を知るのはこれもよりも先の事となる。

「では、私はこれで、まだ冷えるから気を付けるんだよ」
「まって先生」

ぐい、と不意に腕を引かれ、鼻がくっつきそうな距離でトムに見つめられる。突然の事に頭の処理が追い付かず、驚きのあまり目をきょろきょろとさせていると、柔らかな唇が触れる。とても、優しい口づけに名前は思わず反応が出来ず、トムからの口づけを黙って受けていた。しかし、ふと我に返り慌ててトムを引き剥し、よろけながら大理石の柱に身体をもたれかけさせる。

「―――トム、なんてことを、こんなところで」
「……もうすぐで、僕も卒業です、だから」
「―――」

彼が、名前によからぬ感情を抱いていることは分かっている。思いを告げられた時、きちんと答えていれば…とは思うが、あの時は答える余裕も無かった。
誰かを愛するなんて、もうできない。人間であれば、誰かを愛し、受け止めていたのかもしれない。しかし…人と寿命の違う自分が、誰かを愛するなんて…もう二度と、愛する者の死を見たくはなかった。失う事が恐ろしくて、好意を向けられても逃げていたというのに。
親友と同じ名前を持つトムに、どこか特別な感情を抱いていたのは、後から気が付いた事だ。それに気づかなければ、彼に想いを告げられても断っていたと思う。名前はうまく言葉を頭の中でまとめることができず、困ったように俯く。

「僕も、もう大人です」
「―――」
「先生は、何を恐れているんですか?」
「……君の人生を、台無しにはしたくないんだよ」

君には、希望に満ちた未来が待っているのだから。自分とは違う生き方をして…幸せに暮らすべきだ、と。しかし、トムは名前の手を取り、ゆっくりと、優しく囁く。

「先生が、何であろうとも、僕にとっては特別な人です」
「―――」

この子の期待には応えられない。なぜなら、自分は人ならざる者だから。名前はそっとトムの手を引き離し、短くごめんよ、と呟きその場を立ち去った。後に残されたトムの赤い瞳が、不穏な色を宿しているとは知らず……。
名前は逃げるかのように、それから暫くトムとは出会わないよう慎重に動くようになった。彼は卒業しても暫くホグワーツの教師になりたいとダンブルドアに頼み込んでいたようだが、結局ダイアゴン横丁のどこかで仕事をしているとホラスが教えてくれた。
それから名前は暫く平穏な日々を過ごす事になる…あの日を迎えるまでは。

「―――え、50年前の事かい?」
「はい、その、先生は昔からホグワーツにいらっしゃるので、ご存知なのかと…」

朝になり、すっかり夢の内容も忘れてしまった名前は、ルビウスに頼まれた除草剤を運ぶ為に裏庭へ向かおうとしていた最中、突然ハリー達に呼び止められた。一体どうしたんだい、と問いかけると思いもよらぬ答えが返ってきたので思わず言葉に悩んでしまう。
彼らは頭の良い生徒たちなので、下手な事は言えない。ましてやこの事をハリーが聞いてくるとは…。

「…50年前、1人の生徒が亡くなった…だが、それから騒動はぱったりと無くなったよ、今年まではね」
「秘密の部屋の怪物の正体をご存知ですか?」
「それがわからないんだ、未だに…」
「秘密の部屋を空けたのは?」
「―――それもわからないんだ」

ただ…アルバスが唯一疑っていた人物がいた。言葉を続けようとしたとき、突然貧血の時のような脱力感を感じた。この感覚は……覚えている、ああそうか、そういうことか。倒れないよう柱にもたれかかり、深呼吸をする。ハリーたちは突然どうしたのだろうか、と不安げに見つめている。

「先生、大丈夫ですか?」
「ああごめんね、まだ本調子じゃないようだ…君たち、その件に首を突っ込まないほうがいい、あまりにも危険だから」

私からは、そうとしか言えない。真剣な表情で3人を見つめながら、名前は呟く。名前が立ち去り、取り残された3人は目線を合わせる。

「リドルの日記に、先生がいたんだ、今と変わらない姿だったけど」
「でも、先生は教えて下さらなかったわね…50年前の事」

ハリーが何者かによって持ち込まれたリドルの日記を手に入れた事など知る由もない名前は、3人と別れた後裏庭にいるルビウスの元に向かっていった。
暫く何の騒ぎも起きない平穏な日々を生徒たちは迎えていたが、それの終わりが訪れた。それは、なんとあのハーマイオニーが石となって発見されたためだ。クィディッチの試合で城内には殆ど生徒は残っていなかったが、ハーマイオニーは図書館から出ようとしていたのか、図書館出てすぐの廊下で倒れている彼女をマダムが発見したらしい。
夜になり、名前はアルバスからあることを伝える為に校長室へ向かった。校長室に入るなり、眉間にしわを寄せた彼と目が合う。

「アルバス、話は聞きました…」
「おお名前、いいところへ来てくれた…その、実はファッジが来ておってのう…わしは彼の相手をせねばならんのだ、間もなくルシウス・マルフォイもやってくるじゃろう…一足早く、ハグリッドに伝えておいてくれんかね」
「魔法省が動いた、という事ですかね…まさか、50年前の事でルビウスが…?」
「…その通りじゃよ、ルシウスが強硬手段に出たようだ」

50年前、アラゴグをホグワーツに連れ込んだルビウスが秘密の部屋騒動の犯人として退学処分となったあの日の事は、今でも鮮明に覚えている。

「ルビウスはどこかへ連れて行かれてしまうのでしょうか」
「…おそらくは…」
「助けられないのでしょうか」
「まだそれは難しい…じゃが、犯人のしっぽを掴みさえすれば、それも叶うじゃろう」

だから、わしとしても早く犯人を見つけるべく動こうとしておるのだが…。こうして、ルシウス・マルフォイが強硬手段に出てしまった以上は、動きづらくなるだろう。

「―――アルバス、まだ確信していないけれども、ルシウスが何らかの手であの子の魔力が込められた何らかの品を持ち運んだとしたら?」
「…それは、何故そう思ったのかね」
「このタイミングで現れるなんて…きっと、ルシウスはアルバスをホグワーツから追い出したいのでしょう、あの子は…ここ最近、私とよく出くわします、何か企んでいても不思議ではないでしょう」
「…ふむ、それはあり得る話じゃの…だが、証拠品が手に入らねば」
「……その品を手にしている生徒がいたとしたら、きっと、身体にも何か異変があるはず…例えば、私のように記憶をいじられたり、犯人絡みの話になると意識を失いそうになったり…言動に制限があるのかもしれない」

だから、操られている生徒はそれを教師に告げる事もできないのではないだろうか。真っ直ぐとアルバスの青い瞳を見つめながら続ける。

「―――ルシウスに探りを入れてみます」
「…頼んでいいかね、とても危険な仕事ではあるが…」
「今まで何も役立てなかったのですから、これぐらいはやらせてください」

まずは、ルビウスに事を伝えておきます。そう言い残し、名前は校長室を立ち去った。アルバスがファッジの足止めをしている間に説明しておかなくては。