29 愛憎ロマンス/秘密の部屋

身体が重たい、まるで、高熱で魘された後のようだ。あの後、私はアルバスに答えを伝える事が出来なかった。いや…伝える勇気が無かった、と言った方が正しいだろう。こうして、罪は重なっていく…。名前は近くにあったコップに水を注ぎ、それを勢いよく飲み乾した。
それから1週間、魔法薬学の授業中に誰かが花火を鍋に入れ、生徒たちの肌がはれ上がった事件が起き、セブルスが恐ろしい程に不機嫌だったが、それすら気にならない程、名前は虚ろだった。授業中も、生徒たちの質問を聞き忘れてしまうことが起きたりと、授業に支障が現れ流石にアルバスも名前に暫く休むように促した。名前が虚ろな理由は、アルバスに問いかけられたあの質問が原因ではなく、魔力が著しく低下しているためだ。人外ゆえに聖マンゴで診てもらう訳にもいかず、名前は禁じられた森にいるケンタウロスのフィレンツェに相談へ向かっていった。ケンタウロスは、上半身が人のような姿で下半身が馬という魔法生物で、彼らは高潔さ故に人を見下した節がある。彼らの歴史を考えたら、人と距離を置くのは仕方のない事だったが、この禁じられた森の中で唯一、人に心を開いてくれているケンタウロスこそ、フィレンツェだ。

「やぁフィレンツェ」
「―――久しいな、魔蜘蛛の子」
「その呼び方もなんだか懐かしいね…最近君たちとは会っていなかったから」

去年は、例の件で禁じられた森で事件が起きたが、あれ以来は特に大きな事件は起きていない。静けさを取り戻した森の奥から、鳥の囀りが聞こえてくる。
フィレンツェは名前に視線を合わせ、少し考え事をしていたのか暫く黙っていたので、ケンタウロスの勘で秘密の部屋の件を考えているのだろう、という考えに至った。

「…どうしたんだいフィレンツェ」
「君はもうわかってはいるだろうけれども、ホグワーツで厄災が目覚めた」
「…あぁ、秘密の部屋の怪物の事だね」
「そのことを相談に来たのかね?……いいや、違う、もっと、別の事だ」

流石はケンタウロス、すべてお見通しのようだ。苦笑しながらも、名前はケンタウロスにある事を伝える。

「そのことに関わっているかはわからないんだが、私の魔力が著しく減っているんだ…ここ最近、もしかしたらずっとかもしれない」
「―――魔蜘蛛の子は、魔蜘蛛のエサ…故に魔力は膨大にある…魔蜘蛛に魔力を供給するための存在だからね…だけれども、それが減っているということは、誰かに奪われているという事ではないかな」

魔力を奪われている…一体、誰に。フィレンツェの言葉に戸惑う。

「…君から魔力を奪わなければならない存在なのだろう」
「私から魔力を奪わなければならない存在…」
「魔蜘蛛の子の魔力は、とても純粋な魔力で、癖がない…故にすぐに魔力が体に馴染みやすい、魔蛇はそれに含まれないが―――つまり、その者は、大量の魔力を、すぐ消費してしまうのではないか?」

だから、君は常に魔力が減っている為身体が気怠く、それが最近になって酷くなっているという事は―――。その先のフィレンツェの言葉は、名前の心に深く刺さった。罪の意識に、今すぐこの場から消えたくなる気持ちを抑え、深く深呼吸をする。

「……そうか、君がそういうのだから、そうなのかもしれない……」

正直、信じたくはない事ではあるが、フィレンツェの言葉には説得力がある。ならば、と名前は言葉を続けた。

「私は、ホグワーツを出たほうがいいのだろうか…」
「わからない、ただ、不吉な予感がする……50年以上前に感じた時と似ているような気がする」

君は、なるべくアルバス・ダンブルドアの元にいたほうがいいだろう。それがフィレンツェの意見だった。

「闇の気配が蠢いている、気を付けるんだ、魔蜘蛛の子よ」
「…肝に銘じておくよ、私もそんな気がしていたんだ」

去年の事といい、今年起きた秘密の部屋事件……。あの子の僕が、またはあの子自身が何らかの方法で暗躍しているのだろう。しかし、それを止める術が今はない。アルバスも下手な動きは出来ないだろうし…。

「せめて、魔力を奪わせない方法はないだろうか」

藁にも縋る思いでフィレンツェに問いかけたが、返ってきた答えは期待していたものではなかった。

「魔蜘蛛の子とは、魔力の供給源……だから、それは無理な話だ」
「…そうか…仕方のない事なんだね…だからこそ、私は今ホグワーツを離れたほうがいいような気がしてきたよ」
「それは難しい判断だ…アルバス・ダンブルドアに相談が難しいのであれば、この森の奥深くに身を潜めればいい…この森の奥深くには、君の仲間がいる」

フィレンツェの言っている仲間とは、アクロマンチュアのアラゴグの事だ。アラゴグは確かに名前に最も近い存在ではあるが、彼はかなりの老齢で世話になるのは気が引ける。アクロマンチュアの寿命を考えたら、アラゴグの寿命はもう間もなく…あと数年程だろう。

「長々と申し訳なかったねフィレンツェ、ありがとう」
「いいえ、どういたしまして」

丁寧にお辞儀をし、去っていくフィレンツェを見送りながら名前は重たい足取りで城へと戻っていった。こうなれば、もうアルバスに相談するほかないだろう。もしかしたら、秘密の部屋の怪物を大人しくさせる事ができるかもしれないし。
校長室を訪れると、そこには眉間にしわを寄せたセブルスと、短く唸るアルバスがいた。セブルスは名前を見るなり汚物でも見ているかのような表情を浮かべたが、アルバスが話し始めたのですぐにいつもの無表情に戻った。本当に彼からは憎まれているんだなぁ、と名前は内心苦笑を漏らす。

「―――セブルス、報告してくれてありがとう、恐らく、奴の力がハリーに入り込んでおるのじゃろう…わしの予想した通りじゃよ…ところで名前、体調は大丈夫なのかね?」

セブルスとアルバスがハリーの事で何かを話していたようだが、その件はまた後程聞くことにしよう。名前を相変わらず冷たく睨みつけているセブルスをスルーし、名前はフィレンツェと話した内容をアルバスに伝えた。

「…今までの体調不良は魔力が著しく減っている為で、恐らく、私の魔力は、秘密の部屋の怪物の栄養になっているのかもしれません」
「―――では、即刻ホグワーツを出て行っていただければ済むのでは?」
「まあ待つのじゃセブルス、君もわかっておろう、名前の存在は…奴にとってはのどから手が出る程欲しがる存在なのだから、ホグワーツの外で暮らすには危険すぎる」

あの暗黒の時代、名前は身を隠すのに必死だった。不死鳥の騎士団たちのサポートをしてはいたが、表には出ない、という約束のもと行っていた。しかし、それもある者の裏切りによって不死鳥の騎士団の仲間たちはおろか、名前の身に危険が迫った事があり…。足手まといである認識はあったが、自分という存在のせいで仲間が片足を不自由にさせなくてはならなくなってしまった事を名前は一生忘れられない。
何しろ、あの秘密を握ったあの子は、私をあの手この手で捕えようとしたが、不死鳥の騎士団の仲間たちのお蔭で最悪の事態は起きずに済んでいる。しかしそれは、現時点での話であり、これから再び同じ悲劇が繰り返されない、とは言い切れないのだ。

「あの男が今どこにおるのか定かではないが、念には念を…ということで、名前にはホグワーツに籠ってもらうしかない」
「しかし校長、ケンタウロスの話が事実であれば、ナイトリーがここに居ることによって生徒たちはさらなる危険に瀕します、わたしは、ナイトリーはホグワーツの敷地から離れるべきかと考えますが」
「うむ…君の気持はわかるよ、セブルス、だが、今はこうするほかないのだ、わかっておくれ」

名前だって、生徒たちが危険に瀕するぐらいならホグワーツの敷地を出て生徒たちを守りたい。しかし、ホグワーツの敷地を離れるとアルバスの魔法が解け、あの男に居場所がばれてしまう危険性がある。今、最も名前の魔力を欲しているのは間違いなくあの男―――アルバスはそれをよく理解していた。だからこそ、セブルスを説得し、名前をホグワーツへ留まらせることにした訳だ。

「仮に怪物がいたとして…その怪物は一体どんな者なのでしょうか」
「悔しいことに、それがわからん…スリザリンの継承者…という言葉が、ヒントなのではないかね…もしかしたら、巨大な蛇なのかもしれん」
「―――そんな…」

まさか、バジリスクではないかのう。アルバスのその呟きに、名前は突然具合が悪くなったかのように、力なくソファに身を沈めた。

「名前、君が体調をものすごく崩すのは、怪物騒動が起きた時…しかしバジリスクは君の天敵のような存在、そんなバジリスクが君から魔力をわざわざ奪うとは思えぬ…」

その通りだと思う。バジリスクという天敵の名前にビクビクしながらも、名前ははっきりと答える。

「魔蛇類は、私から魔力を奪えません、その…バジリスク以外なのではないでしょうか?」
「ならば、何だと考えているのですかね、ナイトリー」
「…うーん…セブルスはどう考えているんだい?」

軽はずみに意見しておいて、何も考えておらんとは…。なんとなく、セブルスの心の声が聞こえてきたような気がした。

「―――確かにバジリスクはその瞳を見たものを殺す…50年以上前、1人の生徒が死んだのもそれならば説明が付く、しかし、あの猫も、グリフィンドールの1年生も石化しただけ―――だが、もし、直接バジリスクの瞳を見ていないとしたら、バジリスクである可能性は高いでしょうな」

何しろ、スリザリンの象徴であるサラザール・スリザリンはパーセルマウスだったのだから…と、そこで名前はある事に気が付いた。

「まさか、スリザリンの継承者がバジリスクを操っている…?」
「その継承者についてじゃよ…今ホグワーツに在籍している生徒では考え付かぬのだ、もちろん先生方もじゃよ……ただ、わしはあの時のことを思い出し、とある憶測にたどり着いた」

トム・マールヴォロ・リドルこそが50年以上前に秘密の部屋を解き放ち、生徒を殺した犯人なのではないか、と。その言葉に、名前はガツン、と頭を殴られたような衝撃が走った。私は…そう、そのことに何となく気が付いていた、どうして今まで忘れていたのか。瞳を見開き、呼吸も忘れアルバスを見つめる。

「あの男が…何らかの手段を使って、ホグワーツに影武者を忍び込ませたのではないだろうかね」
「ならば校長、その影武者は闇の帝王の腹心…という事でしょうか」
「うむ…この件に関してはまだ考えなければならぬことが多すぎる、今日はここでお開きにし、また話すとしよう…」

もっと、頭がすっきりしている日にね。お茶目に笑うアルバスを見て、名前はようやく緊張の糸がほぐれたような気がした。校長室を去る間際、セブルスの冷たい視線を感じたのは言うまでもない。