23 愛憎ロマンス/秘密の部屋

最近、妙な夢を見るようになった。しかし、夢なので朝目覚めると夢の記憶が一切なかった。あるのは、妙な気怠さだけ。やはり、年なのだろうか。明日は例の理事会、早く眠らなくてはならないというのに。あの夢をまた見るのではないだろうか、という妙な胸騒ぎと理事会の事が不安で中々寝つけられずにいた名前は、読書をして時間を潰すことにした。もうこの際諦めて朝まで起きていよう。

「おや、これは―――」

本棚を漁っていると、懐かしいものが落ちてきた。これは名前がホグワーツの教員になったばかりの頃に教科書として使っていたマグル世界の時事ネタが記された本だ。当時のマグル界はとても荒れていて、死というものがすぐそばにいた。
あの戦争さえ無ければ親友たちが死ぬことも無かった。息子夫婦も、孫娘も幸せに暮らせたはずだ。あの時、アルバスが教員としてホグワーツにやってこないか、と誘ってくれなければ自分はどうなっていただろうか。名前はボロボロの背表紙を撫でながら、深く息を吐く。

時は遡る事、約50年前。イギリスの片田舎で、パチパチと薪が燃えるのを虚ろな瞳で眺める男が一人いた。今とあまり見た目の変わらない名前は、やつれた表情で切り株に腰を下ろしている。
ジョナサンは親友トムの一人息子であり、彼が戦死してからというもの実の息子のように可愛がり、育ててきた。彼の死が知らされたのは3ヵ月前の事、クリスマスの夜だった。ロンドンでは大空襲があり多くの犠牲者が出ていた。当時田舎に引っ越していた名前は大空襲の知らせを受け慌ててロンドンに向かったが、駆けつけた頃には既に遅く、ジョナサンの妻と幼い一人娘の二人は帰らぬ人となってしまった。あれ程絶望に打ちひしがれた日は無かっただろう。田舎に引っ越さず、あの二人の傍にいてやればよかった。そうすれば、助けられたに違いない。トム達の死に続き、息子であるジョナサンも戦争で、さらにはジョナサンの妻と一人娘も…名前の精神がおかしくならない筈はなかった。
まさに絶望の淵にいる名前に、食事を摂る事も、何かをする気力もなく、隣の家の庭で燃えている火を眺めていた。
赤い炎から蘇るのは、全てを焼き尽くしたあの炎。あれから幾度も空襲を受け、ロンドンに住んでいた魔女や魔法使いたちはマグルの戦争に巻き込まれないよう、殆ど安全な土地に逃げてしまったらしい。

こんな状態で、教職を続けられるのだろうか。こんな顔を、生徒たちに見せられるのだろうか。そんな名前の身を案じて、アルバスとディペットからの手紙が届いた翌日から名前は暫く休職することとなった。
戦地から戻ってきたジョナサンと、その家族を弔う為に。

「―――先生、体調は大丈夫でしょうか」

新学期を迎えたホグワーツに戻ってきた名前は、分厚い本を片手にやってきた緑色のネクタイの少年に向き直り、微笑む。

「あぁ、長い間不在でごめんね…ようやく色々と落ち着いたから、また今年からよろしくね」

この少年こそ、未来の…ヴォルデモート卿。邪気の無い笑みを浮かべ、心の底から教師を慕っているように見せているこの少年の名は、トム・マールヴォロ・リドル。当時、名前は彼がこれから恐ろしい出来事を起こしてしまうとは知らず、勉強熱心で真面目な生徒だと信じて疑わなかった。ただ、アルバスだけは薄々勘付いていたようではあるが。

「空襲で…その、先生も色々と大変だったようだから、とても心配でした」
「ありがとうトム…たっぷりと休む時間を頂けたから、もう大丈夫だよ」

この少年は赤ん坊の頃にマグルの孤児院の入口に捨てられていたらしく、彼の家は孤児院になる。あと数年経てばホグワーツも卒業し、一人前の魔法使いとなる。そうなれば、1人で自由に暮らすことができるだろう。彼にとっては、あともう少しの辛抱だった。

純真な生徒を演じていた彼に、見事に踊らされた日々だったと今でも思う。あの子が豹変してしまったのはいつ頃だろうか…。名前は手元の教科書を棚に戻すと、再び深く息を吐いた。

「あれから…もうどれ程の年月が過ぎたのやら…年は取りたくないものだなぁ」

見た目は相変わらず28歳程にしか見えない名前ではあるが、実年齢は100歳近くになる。魔法界の人々の中には、魔法で見た目の若さを保つ者も少なくはないが、名前は例外だ。古の魔蜘蛛、アラクネによって人ならざる者にされてしまった名前にとって、生の時間は途方もなく長く、強い孤独感に苛まれながら過ごさなければならないもの。その特殊性ゆえに自殺など出来る筈もなく。
歳を重ねて、感傷に浸る時間も増えたような気がする。

「昼寝でもしようかな…」

あと少しでホグワーツに生徒たちの活気あふれる声が戻ってくる。のんびりとできる日々も残りわずか…新学期が始まってしまえば、昼寝をする余裕も無くなるだろう。ソファにごろりと横になると、あっという間に夢の世界へと沈んでいった。

そして、新学期早々、衝撃のニュースがホグワーツを激震させる。
怒りで肩を震わすセブルスを横目に、名前は当事者たちの身を按じた。どうやら、ハリーとロンがアーサーの改造車を使ってホグワーツまでやってきたらしく、その光景を複数のマグルに見られてしまったようだ。目撃してしまったマグルたちの記憶は無事消されているので特に問題は無いが、あの車の事は…一体アーサーはどう誤魔化すつもりでいるんだろうか。ともあれ、彼らが無事にホグワーツにたどり着けた事は不幸中の幸いだ。

「あ、ミネルバ…さっきセブルスが肩を震わせながら入口へ向かっていったよ」
「…ポッターたちのことですね、何となく予想はついています」

深いため息を吐きながらセブルスが向かっていった方向へ走り去っていくミネルバを見送り、名前は一足早く大広間へ向かっていった。きっと、セブルスに今頃大きな雷を落とされている頃だろう。名前は右隣の空席を見つめ、小さなため息を吐く。ああ、今年から食事の席…席替えするってアルバスが言ってたっけ…隣は…噂の彼か。そして左隣は魔法生物学のシルバヌス・ケトルバーン教授で、彼も昔から名前を知る教授の1人だ。ただ、彼の場合、教授着任期間中、62回も謹慎を命じられていた名物教授でもある。

「なんだか疲れた顔をしているね」
「あぁ、そう見えます?やっぱり歳かなぁ」
「ハハハ、確かに歳には敵わないよねえ、実は私、来年以降は余生を楽しむため退職する予定なんだよ」
「え!?」

あまりにも突然言われたので、名前は思わず驚きの声を上げてしまった。そこまで大きな声ではなかったが、その声に反応したのか、奥に座っている占い学のシビル・トレローニー教授がこちらをあの大きな眼鏡からのぞき込んでいる。

「ここだけの秘密だからね、アルバスにしかまだ話してないんだよこの件」
「あ…そうでしたか…わかりました、でも、寂しくなりますね…」

それから、アルバスが戻ってくるまでケトルバーン教授と他愛のない話をしながら時間を過ごした。ふと、生徒たちが持っていた預言者新聞の大見出し記事のタイトルが目に入り、急にアーサー・ウィーズリーの事が心配になった。そういえば、どうするんだろう、あの車は。話に聞く限りだと、ハリーたちを乗せたフォード・アングリアは暴れ柳につっこみ、2人を吹き飛ばすと森の中へと消えてしまったらしい。そうこう不安に思っているうちに、毎年恒例の組み分けの儀式が始まってしまった。残念なことに、今年はウィーズリー家の末っ子が組み分けされるというのに、兄のロンはそれを見る事が出来ないようだ。
組み分けの儀式などが一通り終わると、食事を始める前の生徒たちに朗らかな声で今年の注意事項と、そして防衛術の新しい教授の紹介が始まった。いや、始まってしまった。扉から颯爽とマントを揺らし現れた彼こそ、今年色々とやらかすであろう防衛術の新教授…

「皆さんはじめましてかな?わたしの事をご存知の方は多いと思いますが…では改めまして、ギルデロイ・ロックハートです。今年より防衛術を皆様に教えることになりました、以後、よろしく」

ぱちん、と女性のハートを射抜くかのようにウィンクをしてみせるギルデロイに、女子生徒たちはうっとりとした表情を浮かべている。ここで自己紹介が終わるのかと思いきや、長々と自らの経歴を勝手に話し始めるので一時はどうなるかと思ったが、アルバスが機転を利かせてくれたおかげでなんとか話は短縮。これでようやく食事にあり付ける、と、安心した矢先。

「どうも、先生はじめまして」
「どうぞよろしく、マグル学の名前・ナイトリーです」

そういえば、この男、隣の席だったっけ。とりあえず、無難に笑みを浮かべ、自己紹介を済ませるが、ギルデロイはどうしても自分の武勇伝を誰かに語りたいようで、聞いてもいないのに延々と武勇伝を語り始めた。これには少し離れた席にいるミネルバも少し呆れたようで、ちらりと目が合えばお互い同じ表情をしていた。

「――――それでね、聞いてます名前?」
「ああギルデロイ、すまないね、ちょっとぼーっとしてしまったようだ」

この男、どうやら私のことを自分と同い年ぐらいと思っているようで、その世代の話ばかりをしてきた。まぁ、いずれは彼も私がうんと年上であることを知るはずだろうし、ここは適当に受け流しておこう。
そう決めた名前は、延々と彼の自慢話を聞き流しながら、大広間に途中やってきたロンとハリーに短く視線をおくる。と、同時にたいそう不機嫌に席へ腰をどかりと下ろしたセブルスが視界に入った。どうやら、無事お説教も終わったようで、ハリーたちもようやく食事にありつける様だ。

「ハリーがやってきたようですね…噂には聞いていますが、空飛ぶ車でホグワーツに来たとか―――随分と目立ちたがり屋のようですね」
「目立ちたくて目立ってる訳じゃないと思いますけど、まぁ…注目を浴びてしまう事は仕方のない事だと思いますよ」
「おや、もしかしてハリー贔屓かな」
「あはは、どうしてそうなるんです」

早速ハリーの事に食いついた彼だが、この日よりも前にハリーと接触したことがあるようで、ハリーが新学期の買い物に来た際に自分のサイン会に駆けつけてきたとかなんとか…多分、偶然だろうがそこでハリーは彼の著書をすべてサイン入りで手に入れたようだ。まああの本の量を考えたら、教材費が浮いてハリーにはラッキーだったに違いない。中身は別として。