17 愛憎ロマンス/賢者の石

不幸というものは、続くものだ。行方不明だったトムの妻を探していたバートの妻が、ある悲しい知らせを持ちやってきた。

「3キロさきの下流で見つかったそうよ…」
「…なんということだい…」

名前がこの家に到着して、半日が過ぎたころだ。此方にやってきたはいいが、買い物に出てからなかなか戻ってこないトムの妻を心配し、バートの妻がロンドンへ戻り探しに向かってくれたのだ。トムの妻は、夫の死に耐え切れず川へ身投げしてしまい、命を落とした。頭を強く打ったため即死で、運ばれた彼女の亡骸は悲しそうに顔がゆがめられていた。

夫の死に、夫の友人の妻の死、バートの妻は精神をおかしくしてしまい、名前でもどうにもならない状況となってしまった為、彼女はそのまま病院へ搬送された。バートの家族にはまだ子供がいなかったものの、トムにはジョナサンという一人息子がいる。足腰も弱ってしまったバートの両親にジョナサンが必然と預けられることとなっていたが、名前はふと、扉の向こう側で棺に寄り添う幼いジョナサンの背を見つめた。

「…ジョナサン、何を、書いているんだい」
「…名前おじさん…あのね、父さんが大好きな、キドニーパイを書いているんだ」

ぼくは、まだ、お料理が出来ないから。と舌足らずに言う健気なその姿に名前は胸を打たれる。大の大人が、悲しんでいるというのに、この子は自分の父の為に、父の好物であるキドニーパイの絵を描き、それを父にあげるのだという。食べ物はもう食べられないから、という呟きに、名前はぎゅっと彼を抱きしめた。

「おじさん…泣いてるの?」
「…いいや、泣いていないよ、胸がいっぱいな、だけだよ」
「お腹、いっぱいなの?」
「…そうだね、これから、トムの為にキドニーパイを焼こうか、こう見えても、料理はそれなりに出来るから」
「…父さん、喜ぶよ…!」
「そうだね、バートにはアップルパイを焼いてやろう、彼は、キドニーパイがあまり好きではなかったから」

そう付け足すと、ジョナサンは無邪気に笑う。彼は、しっかりと理解しているのだろうか。父だけではなく、母も既にこの世にいない事を。父の死と母の死を知らせても、けして泣くことのなかったジョナサンが、何故だか名前はとても愛おしく感じた。

3人を埋葬する前日、バートの妻は気狂いしてしまい、心臓発作で亡くなった。翌日の午後、4人は並ぶようにして埋葬される。この日、他にも何人かが埋葬されていたが、それの殆どは先の戦争での殉職者だった。
泣き崩れるバートの母親の肩を、その夫が抱きしめる。名前の隣に立つジョナサンの右手には、父トムが身に纏っていた軍からの支給品である手袋が、ぎゅっと握りしめられていた。この時、ジョナサンは父の名が刻まれた墓を見つめながら、ある決意を胸に抱く。その決意が、これから先名前を悲しみのどん底へ突き落そうとは知る由もなかった。

「ジョナサンは、私が育てます」
「でも、名前は独身で、一人暮らしだろう?子供の面倒は、大変だよ」
「いえ、大丈夫です、店の上に住んでいますし、何かあれば駆けつけられますので…それに、ずっと一緒にいられるでしょう」

ロンドンへ帰宅する当日の早朝、名前のキャリーバッグにはジョナサンの荷物が既に詰め込まれた後だった。ジョナサンはまだ眠りの世界で、3階の屋根裏部屋にいる。リビングでは見送りの為バートの両親がいて、バートの母は名前の為に弁当を持たせてくれた。
足腰の弱いこの二人が、子供の面倒を見るのはとても大変なことだろうし、何よりあの時、幼いその姿で真っ直ぐと父の死を見つめていた時の、ジョナサンの瞳を見て思ったのだ。あぁ、この子を見守ろう、と。

「6時になったらジョナサンを起こしに行きます、8時にはここを発たなければなりませんからね」
「そうかい…だが、何かあったらすぐに言うんだよ」
「ははは、大丈夫ですよ、こう見えて家事も全部一人でやってきましたから」
「なら、いいけれども…それに、ずっとここにいてくれて構わないんだよ」
「ロンドンにはジョナサンの友達がいますから、突然の引っ越し…は、可哀相かな、と思いまして」
「…そう、でも、もしもの時は、逃げてくるんだよ」
「あの子は、私が守りますからご安心ください」

空襲で、街が焼かれるかもしれない。魔法を使わない、と決めていたが、有事の際は仕方がないだろう。この子のためだ。
それから、名前とジョナサンの二人暮らしが始まった。ジョナサンの事は、元々面倒を見ていたこともあってよくわかっていた。父トムと同じくキドニーパイが好きなことも、そしてウィンバリー社のチョコレートが好きなことも。
男二人の生活は、大変ではあったが毎日がとても充実していた。買い出しへ行くとき、ジョナサンはいつも名前の手に引っ付いて歩いていたのもあり、近所の人たちからは可愛い息子さんですね、とよく言われていたものだ。ジョナサンも名前の事を父さん、と呼ぶようになったが、はじめはむず痒くて照れ臭かった。何故父と呼ぶようになったのか、周りがそう言うから気にして言うようになったのかと思っていたが、ジョナサンにとって名前は二人目の父だ、と彼が成人した日、うち明かしてくれた。自分には、二人も父がいてとても幸せだと語った、成長したジョナサンの姿を今でも鮮明に覚えている。
ジョナサンは18の時、名前と共に住んでいたアパートを出て、店から離れたところで一人暮らしを始めた。噂では耳にしていたが、彼には気になる女性がいるようで、近々プロポーズをするとか。どうして直接教えてくれなかったのかは、恐らく彼が私をびっくりさせたかったからだろう、と思った。トムとよく似ている。彼は、いつも私を驚かせてくれたから。そして、案の定結婚を決めた日に、お付き合いをしている女性がいると紹介をしてくれた。フランス人の、カトレアという女性だ。なんでも、カトレアとジョナサンは旅行中出会ったようで、一目ぼれというやつらしい。この日は、まるで自分の事のように喜んだ事を、よく覚えている。
そして月日は流れ、周りの友人たちが年を重ね、年相応の見た目になっている頃、名前だけはジョナサンを引き取った時と全く変わらない様子でいた。流石に、最近では老いない事を不審がる人も増え、店が火事で全焼してからは名前が元住んでいたオルゴレ村に引っ越してしまった。このままではジョナサン達一家にも迷惑がかかると考えたからだ。店主が亡くなった後、受け継いだ店ではあったが不幸な事に隣の家の日が燃え移り、なくなってしまった。この辺では珍しく木造の建物だったので、火はあっという間に燃え広がり、あの時は危うく自分もそのまま燃えてしまうところだった。

もう、何歳になったのか…自分の年齢がよくわからなくなる。名前は庭の池に写る自分の顔を見てひとりため息を漏らす。そういえば、あのジョナサンがもうすぐで26と言っていたが、もうそんなに時が流れてしまったのか。最近彼から送られてきた夫婦で写っている写真を見て思ったのは、彼の父であるトムと瓜二つであることだ。目元は母によく似てとても優しげだった。読書用に作ったロッキングチェアに腰を下ろし、ぼーっと新聞を眺める。今日も、物騒なニュースばかり。それに比べたら、魔法界はまだ平和なのかも。と2つの世界の新聞を見比べながらコーヒーを啜る。

「父さん、久しぶり」
「ジョナサン!」

突然庭に現れた、大きく成長したジョナサンに驚きロッキングチェアから落っこちそうになる。

「おっと、ごめんよ父さん、驚かすつもりはなかったんだ」
「もっと普通に登場する事は出来ないのかいジョナサン」
「ははは、だって、こっちのほうがサプライズ性が高いだろう?」
「やれやれ…お蔭でコーヒーがこぼれちゃったよ」
「新しい豆を買ってきたんだ、後で飲もう」
「お、いいね」

ジョナサンが名前をぎゅっと抱きしめてきたので、名前もそっとジョナサンを抱き返し、彼を居間に案内した。もう、名前の背をとうに越したジョナサンが並ぶと、どこからどう見ても兄弟のようにしか見えない。

「父さん、話さなきゃいけない事があるんだ」

そう言い、鞄の中から1枚の紙を名前に手渡す。紙に印刷された文字を見て、名前は心臓が止まりそうになる。その横顔を、ジョナサンは悲しげに微笑んで見つめていた。

ごとん、と思いっきり列車が揺れ思わず窓ガラスに後頭部を強打してしまった。思わず飛び跳ねるようにして目覚めると、目の前に年の若い女性が座っており、此方を見てクスクスと笑いをこらえている様子。ああ恥ずかしい、と名前は帽子を深く被り、顔をうつむかせる。
長い列車の旅も終わり、名前は土産の詰まった紙袋とトランクを持ち列車を下車する。列車が出発する間際、名前の恥ずかしいあれを見ていた女性と目が合う。手を振っていたので此方も振り返し、笑顔で別れると白い息を吐きながら、山奥にある墓地へと地道に歩き始めた。

「―――キドニーパイ、ごめんよ、今回ちょっとうまく焼けなかったんだ」

アップルパイは抜群の出来、なんだけど。と、苦笑を漏らしながら切り分けたそれを墓に添える。グラスにワインを注ぐと、それをそれぞれ4つの墓に置く。一つ目はバートの両親の墓、二つ目はバートとその妻の墓、三つ目はトムとその妻の墓、そして四つ目は……。

「……もう、君らが亡くなってから、随分と時が経つのにね…」

私だけが、時から置き去りにされているかのようで。ぽつりとつぶやいた言葉は、風にかき消される。帽子を脱ぎ、墓の前で敬礼する。

「今のところ平和だ、いつまでも、この平和が続くよう祈るよ」

二度と、戦争が起きないよう。もう誰かを失って苦しい思いをするのは懲り懲りだ。墓参りが終わり、ロンドンに戻ってきたのは午後10時過ぎ。ホグワーツの夕食ももう終わった頃だろう。列車の中で予め食事をしていたので、今日はこのままシャワーを浴びて眠れそうだ。姿現しでホグワーツの近くまで行くと、待機していたセストラルにロンドンで買ってきた生肉を放り投げ、ホグワーツ城まで運んでもらった。
クリスマスは名前にとって、親友たちの眠る地へ向かう大切な日でもあるのだ。いつか、あの隣で自分の眠れたら、と名前は思う。