11 愛憎ロマンス/賢者の石

待ちに待った授業初日。初の授業は、三年生だ。他の教師の代理で他人に変身をして授業をした事は何度かあるが、この姿で授業を、しかもマグル学を教えるのは何十年ぶりだろう。

「早速、遅刻をしてくれたウィーズリーは授業の後、教室の掃除をするように、勿論、マグル式でね」

流石はウィーズリー。周りの生徒たちも、またか、といった表情で特に驚くこともなく授業が始まる。二人は小声でぶーたれていたが、名前はそれをあえて無視する。4つの寮で合計14名の生徒がこの授業を選択しているので出席確認はあっという間に終わる。

「それでは改めて、みなさん、今日からマグル学を学びますが、覚悟はできているかい」

その言葉に、眠たそうな表情のハッフルパフ生がびくりと肩をゆらす。

「大昔の、マグルの話をしてもつまらない、だから、私は今、旬なマグル情勢をみんなに伝えようと思う、そうだなぁ、まず、気になる事はあるかい?」

今までの授業とは少し違うそれに、眠たそうな生徒たちは途端に目を覚まし、興味津々に此方を見つめてくる。何名かの生徒が手を挙げ、名前は一番窓際に座っていた少年を名指しする。

「…その、ぼく、ゲームが気になります」

中々いいところをついてくる。すると、名前は杖を一振りし、棚からあるものを取り出しそれを生徒たちが良く見えるように宙に浮かせた。

「マグル界では常に新しいゲームが誕生しているんだ、でも、その為にブームが去り廃れてしまうゲームも少なくはない。…勿論これも列記とした授業だ、まずはこれを使ってみんなで遊んでみよう!」
「おおお!」

授業で、まさか遊べるとは。喜びの声を上げる双子のウィーズリーにつられ、他の生徒も嬉しそうに笑った。
名前が初日、彼らに教えたのはマグル界の子供たちの間で今最も流行っているカードゲームだった。カードには不思議な生き物が描かれており、絵の下にはそれぞれ異なる文字が描かれている。このカードゲームは、それぞれのカードにある指示で動き、相手の得点をすべて奪えば勝ちとなる遊びだ。魔法界の遊びとは異なり一切魔法を使わない。カードの中の絵は動かないし、持ち点は紙にメモを残しながらやらなければならない。一見、魔法使いや魔女にとっては動きが少なく面倒なゲームのように感じられるが、ルールをよく理解すると、それがいかに楽しいのかがわかる。種類も豊富で、コレクター魂を持つ者にとってはさらに奥の深い遊びとなるだろう。遊びながらも、名前はマグルたちがこうして限られた状況の中で次から次へと遊びを開発し、文化を築き上げていくことの出来る人たちであると、伝えることができたようでうれしかった。
それからも、名前は質問形式で生徒たちに次から次へと気になる話題を出させ、生徒たちの知りたいマグル界についてを教えた。その、今までにない面白おかしな授業方式に生徒たちは毎日の授業が楽しみになり、レポート提出率も100%、あの双子のウィーズリーですらしっかりと毎回課題を提出してくれた。この授業はホグワーツの中でも不思議な授業ではあったが、名前の授業が好評だったのでその内容はあっという間に広がり、来年からはマグル学を受講したい、と興味を持つ生徒が増えて何より。教師として、そんな生徒たちの反応がとても嬉しかった。
楽しみながら、学ぶ。これこそが、マグル学の神髄だ。名前は相変わらず双子のおかしな文法で書かれたレポートを採点しながら微笑む。この子らの家には、アーサー・ウィーズリーがいるので、マグルの用品に関して少々知識があったようだ。
夜、レポートの採点が終わった頃、コンコンとノック音の後、ミネルバが名前の自室へやってきた。片手には大量の手紙。その中には魔法省の名が含まれていた。

「おや、ミネルバ、どうしましたか」
「忙しいところ悪いですね、この手紙の返事をお願いしたくて」
「…魔法省も気が気ではないんでしょうね」

何が、とは言わなかったが。賢者の石、命を与える石。それは魔法界が生んだ宝とも言える。歴史に名を残すその石が、今何者かによって狙われようとしている。その石の所有権は、石を作り出したニコラス・フラメル氏にある。ニコラス・フラメル夫妻はもう500年以上も生きており、現在する魔法使いや魔女の中では最も高齢な人物だ。

「ところで、ポッターが今年からグリフィンドールのシーカーになりますよ」
「え?1年生から選手に選ばれたって事かい?」

唐突な話題の切り替えと、その内容に驚き、名前は手に持っていたコーヒーをローブに少しこぼしてしまった。興奮さめやらぬミネルバ曰く、飛行術の授業中、悪戯で何かを城めがけて投げられ、それをハリーが見事キャッチしたそうだ。しかも箒に生まれて初めて乗ったにも関わらず、だ。近年グリフィンドールは負け続きだったので、素晴らしい逸材の発見にミネルバは珍しく嬉しそうに小躍りしている。こんなに嬉しそうなミネルバを見たのは、何年振りだろう。
ちなみに、箒はハリーにプレゼントする為既に手配をしているそうだ。流石はミネルバ、やることがすべて早い。100年ぶりの最年少選手登場に、セブルスはどんな反応をしているのだろう、と思わず苦笑する。彼は、ポッターたちとは仲がよろしくなかったようなので、ジェームズの面影を強く残したハリーをみて何か思う節があったに違いない。

ミネルバの選手獲得自慢の話から暫くして、名前の授業でもその話題が持ち上がった。

「先生聞いていますか、100年ぶりに我が寮から1年生のシーカーが出たと!」
「あぁ聞いているよ、何しろ初日にマクゴナガル教授が直接、私の部屋までそれを伝えにやってきたからね」

ここだけの話、彼女はかなり今年期待をしているようだよ、と伝えると湧き上がるグリフィンドール生。しかし、今はクィディッチの話をする日ではない。名前は授業をはじめるよ、と生徒たちを窘め3年生にとって、今学期で最も重要なテーマを黒板に書きだす。

「マグル界と我々魔法界の繋がりについて、授業をしようと思う。ちなみに、これは試験にも出すから、気を引き締めてね」
「えー、先生、今日は話電について話をするんじゃなかったんですか?」
「それはひとまず置いておいて、こっちが先。それに正しくは電話、だよMs.ベントリー」

自分の言っていた単語が間違えていたようで、恥ずかしそうに俯かせるレイブンクローの女子生徒に周りの生徒たちはくすくすと笑う。

「―――マグル界なくして、我々の世界は無い、と言っても過言ではない」

重々しく始まったその授業に、生徒たちは聞き入る。

「同じ星にいるのに、違う文化を歩む魔法族とマグルだけれども、元は同じ人間、元々は同じ場所で同じく生活をしていたのに、いつしか世界は区切られてしまった。それはお互いを守るためでもあったのだけれども、結局は違う種族だから、という概念がもたらしたもの…つまり、人種問題だね。同じマグルの間でも起きる問題だから、不思議だね」

次々と語られる、それらの問題に生徒たちはただ黙って耳を傾ける。試験に出す、と先に伝えておいたのもあり話の合間、カリカリと生徒たちの慌ただしく動かされる羽ペンの音が教室に響いた。今日の授業は珍しく生徒たちの笑い声も無く静かに終わったが、少し重たすぎる話をしてしまったような気がする。だが、彼らはもう13歳なのだ。もうじき、そう、あっという間に大人になってしまう。これを知らないで大人になったのと、知って大人になったのではかなり生き方に違いが出てくるだろう。互いを知り、受け入れる事で世界は成り立つ。名前が伝えたかったのは、同じ星に生きる者同士、結局は魔法族もマグルもないんだよ、ということだった。
それに、この分野について興味を持った生徒は翌年もマグル学を選択する事となる。学年を重ねるごとにテーマは重くなってしまうが、子供たちの心に何か響けば、と名前は思う。長年生きてきたからこそ、自分にしかできない事がある。それが、この授業なのだ。

夜、名前は珍しくクィリナスの部屋に来ていた。最近の彼の様子が、あまりにもおかしかったからだ。相変わらず何かに怯えた様子のクィリナスだが、日増しに顔色も悪くなっているような気がする。名前がクィリナスの部屋に来ると、すれ違い様にセブルスと出会った。セブルスは名前を見つけるなりいつもの不機嫌そうな表情を浮かべ、無言で通り過ぎる。彼が私を嫌いな理由、なんとなくは察しているつもりだが、それにしても見事なまでの露骨なる態度、大人としてどうだろうか。
部屋に入ると机の上にはぎっしりと生徒たちが提出したであろうレポートが山積みとなっていた。防衛術は必須科目なので、その分教師もかなり忙しいのだ。久方ぶりに訪ねるクィリナスの部屋には殆ど家具が置かれておらず、まるで引っ越してきたばかりのような状況だ。一体、前まであった本棚などはどこにやってしまったのだろうか。部屋に目を向けていると、ふとクィリナスと視線がぶつかる。

「クィリナス、模様替えかい?」
「は、はい、そ、そんな、ところ、です」
「忙しいのに頑張るね」
「ちょっと、気分、転換、したく、なりまして」
「それはいいことだ…そうだ、昨日コーヒー豆を取り寄せたんだ、どうだい?」
「ぜ、ぜひ、い、いただき、ます」

コーヒーは人の心を落ち着かせてくれる。紅茶も好きではあるが、ずっと紅茶ばかり飲んでいると飽きてしまう。それに、名前にとってコーヒーはとても思い入れのある飲み物だ。一人でコーヒーを飲んでいると、マグル界で生活していた時の事を思い出してしまう。悲しい、悲しい別れの数々を。

「こ、この、コーヒーは、な、なんという、ブレンド、ですか」
「これは、私の、世話になった人から教えて貰ったブレンドなんだ、これのブレンドの仕方を知っているのは、もう私だけになってしまったけれどもね」
「そ、そうでしたか…とても、やさしくて、香ばしい香りが、します」

ペティ・ガーゴイル。名前がかつて働いていた店の一番人気のブレンドで、今や手に入れる事の出来ない幻の一品。名前はマグル界に詳しかったので、裏ルートで豆を特別入手し、自室の奥にある名前にとっての秘密の部屋で豆を挽いてきたのだ。
最近、ひどく具合の悪そうなクィリナスの為に。過去、彼の過ちにより名前は苦しい状況に立たされたが、それでも名前は突然変わってしまったクィリナスが心配でならなかった。

「…貴方に、ふ、触れても…いいですか」

コーヒーを飲みながら世間話をしていると、あっという間に夜も更け。話をしていると、幾分クィリナスの表情も明るくなり、血色も少し良くなったような気がした。時間も時間だったので、帰ろうと名前が扉に手をかけた時、突然クィリナスはぽつりと漏らした。あまりにも唐突だったので、名前は驚いたように目を見開くと、次の瞬間冷たい手が名前の頬を撫でた。あの時とは違う、やさしい手つきだ。それに、クィリナスは、なんだか、思い詰めているようで。何が原因か、はあえて聞かないでおくが。長く生きていると、皮肉にも逃げる事が上手くなるのだ。名前は、今までこうやって生きてきた。長く生きれば生きるほど、傷は深くなる。その傷に触れたくないが為に、あえて聞かないでおくのだ。

「クィリナス…?」
「……す、すみません、突然…では、おやすみ、なさい、名前」

名を呼ぶと、我に返ったのかぱっと手を放す。クィリナスの触れた頬が、ほんの少し冷たかった。