08 愛憎ロマンス/賢者の石

最近、胸が苦しくなる。具体的に説明すると、それは胸やけの時のそれによく似ている。クィリナスの近くにいると、そう感じてしまう。戻ってきてから、彼は私を避けるようになったので滅多になることはなかったが。この胸やけの原因が一体何なのか、とりあえずマダム・ポンフリーに胃薬を貰ってはいるが、クィリナスから暫く離れていると治るのでなんだか不気味だ。

「マグル出身の子に、入学説明を、ですか」
「うむ、他の教員にも任せているが、君にもそれを頼みたい」
「わかりました」

マグルの家へ行くだけなら、あの子の元しもべとは遭遇しないだろう。名前の心配をよそに、アルバスは名前が訪問する家の地図を手渡した。

「ハーマイオニー・グレンジャー、ですか」
「あぁ、この子の家は事前の調べだと、ご両親が歯科医だそうじゃ」
「歯科医、ですか、懐かしいなぁ、魔法界じゃ歯を削る必要がありませんからね」

マグル界で生活をしていた時、何度か通っていたっけ。そういえば、歯科医の友人がいたが、結局彼は独身のまま生涯を閉じてしまった。戦争が、原因で。

「この子の家だけがまだでのう…頼んだよ」
「流石は医者の家庭ですね、いいところに住んでいる」
「ほう、住所でわかるのかね」
「はい、この地区は昔からそれなりに裕福な家庭ばかりでしたから…懐かしいなぁ」

グレンジャー家が住んでいる場所から少し離れたところに、かつて名前が住んでいた場所がある。今や面影もないその場所だが、通りの名前だけは残っている。名前がマグル界で生活をしていたとき世話になっていた店は既になくなっており、無機質な高層ビルが軒を連ねていた。

「そういえば、君はこの近くに住んでいたね」

と、アルバスは思い出したかのようにつづけた。

「あそこのコーヒーはあの辺でも有名だったと耳にしておるが、今もあるのかね?」
「いいえ、噂だとあそこは高層ビルが立ち並んでいると聞きましたよ」
「ほう…昔の面影も、無くなってしまったのか…それはちと、寂しいのう」
「それが、時の流れってやつなんですかね」

あまり、長生きはするものではない。口には出さなかったが、名前はもっと昔に死んでいれば、こんなに悲しみを抱えることも、孤独を感じる事もなかったのではないか、とも思っている。
昔の友は、みんな戦争で死んでしまった。生まれた時代が悪かったのかもしれない。今はこの国が平和でも、他の国ではまだ戦争が続いているところもある。戦争は何も生み出さないというのに、人間という生き物は同じ過ちを何度も繰り返す。そう感じるのは、自身が人ではないからかもしれない。あの頃から比べて、随分と客観的になってしまったものだ。あの頃の情熱は、もう失われてしまった。足掻くことも、諦めてしまった。

「どうも、はじめまして、私は名前・ナイトリーという者です、ホグワーツ魔法魔術学校から来ました」

グレンジャー家が全員そろっているであろう、夜に訪れると玄関から早速手紙を持った、栗毛色の少女が駆け寄ってくる。その名を聞き彼女の母の後ろでとても嬉しそうにはしゃいでいる。

「まぁまぁ、手紙は拝見しておりましたが、本当に魔法使いっていたんですね」
「でしょ、ママ!わたし、魔女なんだわ!」
「ともかく、中へどうぞ」
「では、失礼して」

同じ教員のセブルス・スネイプは突然部屋の中に現れることで有名だ。彼の登場はまさしく魔法使いそのもので。彼にあたってしまったマグル生まれの生徒は、さぞ驚くことだろう。それに、彼は相当不愛想なので相手方の反応など直接見なくとも想像など容易くできる。せめて、マグル生まれの家に対しては、マグル流に玄関から入る事が望ましいのだが、と名前は思う。登場の仕方は担当の教師がそれぞれ行うので、とやかく口出すつもりはないけれども。
リビングへ案内されると、そこには娘と同じくきらきらした瞳で待ってました、とばかりな表情を浮かべる男性が立っていた。この男性が、ハーマイオニー・グレンジャーの父なのだろう。親しみのある笑みで会釈すると、彼女の父親は魔法界について色々と質問をしてきた。丁寧にすべて説明を終えると、その説明に満足をしたのか今度は名前の事に関して質問をしてきた。

「一応、マグル学の教授を今年から勤めさせていただいております」
「先生でしたか!して、その学問は1年生から学べるので?」
「いいえ、マグル学は3年生からの選択科目となります、マグル出身の子は滅多に取りませんが、主に魔法界から見たマグル世界の事を学びます」
「まぁ素敵!ハーマイオニー、是非受講しなさいな」
「うん、とっても面白そうな科目ね」

部屋の中をちらりと見てなんとなくだが、この子は数占い学とかのほうが向いているような気がする。少し話をして、彼女が勉強熱心でとても賢い魔女であることを、名前はすぐに見抜くことができた。部屋に並べられた参考書はどれも使い古され、壁にはマグルの学校で優秀な成績を収めた者のみが授けられる表彰状が飾られていたからだ。

「それにしても、ホグワーツには随分とお若い先生がいらっしゃるのね」
「ははは…一応、かなり年は重ねているんですが、変身術を使って若く繕っているだけなんですよ」
「魔法って便利なんですねぇ、羨ましいわ…ハーマイオニー、勉強、がんばりなさいね」
「うん!ナイトリー先生はマグル学を教えていると仰っていましたが、そこまで詳しいのですから、もしかして、以前マグル界に住んでいらっしゃいましたか?」

中々鋭い子だ、と名前は微笑む。

「なかなか鋭いね、そうだよ、ちなみにここのすぐ近くにある、ペティ・ガーゴイル通りに住んでいたんだよ」
「まぁ!そこには行きつけのカフェがあるんです!先生、この後お時間ありますか?」

どうやら、ハーマイオニーは魔法界についてもっと聞きたいらしい。彼女は律儀にもメモを取るためにノートとボールペンを鞄に入れ、それから二人はペティ・ガーゴイル通りへ向かう事にした。
久方ぶりのそこは、悲しい事に面影が殆ど残されていなかったが、ほんのわずかではあるが昔からある建物があり、名前は懐かしさで胸がいっぱいになる。

「懐かしいなぁ…もう、何十年ぶりだろう」
「…失礼ですが、先生はおいくつなんですか?」
「それがね、自分でもよくわからないんだよ」
「え?」
「…年代で言えば、そうだね…20代の時に、ここにいた、まだ、戦時中だった時にね」
「戦時中って…大昔、ですよね」
「あぁ、そうなるね、自分が生まれた年をよく覚えていないんだ、まさかこんなに長生きするとは思ってもいなかったからね」
「でも、先生は年を重ねた分、いろんなことを目にしてきたのですよね」
「…そうだね、いろんなことを見てきたよ」

色んな事をみて、色々と学んだ。いろんな人と出会い、別れた。彼女は、今やっと人生のスタート地点に立ったばかり。彼女もこれからそれを学ぶことになるだろう。名前は隣で歩くハーマイオニーの横顔をちらりと見て、彼女の行く先を思う。
2人で歩いていると、突然老人に声をかけられる。

「ハーマイオニー、なんだい、そのハンサムさんは」
「ショーンおじさん、此方、ナイトリー先生、今年からお世話になる学校の先生なの」
「ほう!そりゃあええ、そんなハンサムな先生に勉強を教えて貰えるんだからな」
「もう、ショーンおじさんってば…ごめんなさい、ナイトリー先生…」
「あはは、いいよ、別に」

どうやら彼は彼女の知り合いのようだ。私の友人も、生きていればあのように杖をついていたのだろう。何しろ、顔にしわが出来る前にみんな死んでしまったので想像がつかない。ショーンという老人と別れ、二人はお目当てであるカフェへたどり着くと名前の頼みで奥の、ひっそりとした場所へ案内してもらった。

「何を頼む?私が奢るから、好きなものを食べて」
「え、でも…」
「子供は気にしないの」
「はい、では、お言葉に甘えて」

両親から一応食事代を貰っている彼女だが、子供に払わせるなんて大人としてどうだろうか。名前も丁度腹が空いていたのでハーマイオニーと同じくディナーセットを注文することにした。
本日のディナーセットの内容は、ヒレステーキとほうれん草のソテー、そしてにんじんのポタージュだった。前菜としてサラダが出され、それにフレンチドレッシングをかけ食べる。食べている間、無言になってしまうのは仕方のない事だ。それでも、ハーマイオニーは色々と話が聞きたいようで、此方が食べ終えるのをそわそわと伺っていた。

「この、変身術っていうのは、どういう事を学ぶのですか?」
「変身術はミネルバ・マクゴナガル教授が教えてくださるよ、ホグワーツの学問の中で、最も難しい科目でもあるから、がんばってね」

ちなみに、変身術のマクゴナガル教授は副校長で、アルバス・ダンブルドア校長は昔変身術を教えていたんだよ、と伝えるとスープが来たのも忘れ話に聞き入る。一言一言漏らさないようメモを取るその姿は、まさに希望に満ち溢れていた。
一通り、ホグワーツの教授がどんな人物で、何を教えているのか、どんな科目であるのか小ネタを挟みつつ説明していると、あっという間に時間が過ぎ去っていく。食事を終え、名前はワインを、ハーマイオニーは紅茶を飲んでいるとある話題が切り出される。

「失礼かもしれませんが、ナイトリー先生は独身、ですか?」
「っごほ」
「ご、ごめんなさい」

唐突な質問に、思わず飲んでいたワインを吹き出しそうになった。

「女の子だから、そういうのは気になるんだろうね、まぁ、独身、かな」

因みに、ダンブルドア校長も独身だよ、と付け加えると驚かれてしまった。
結局二人は閉店時間ぎりぎりまで話し込んでしまい、名前はハーマイオニーを自宅まで見送ると、姿くらましでホグワーツへ戻った。あの子は、なんとなくわかっていたのだろう。だから直接聞いてこなかったのだ。戦時中の話を。

「本当に、賢い子だな…」

名前は自室で独り言つ。