07 愛憎ロマンス/賢者の石

夢を見た。今となっては、もう会えぬ人となってしまった大切な親友たちと過ごした日々を。
ホグワーツを卒業し、18歳の名前はロンドンにあるペティ・ガーゴイル通りにあるペティというコーヒー屋に就職した。魔法も素晴らしいが、名前にとってマグルの世界はとても興味の惹かれるもであり、魔法を使わなくともいろんな事が出来るマグルに、憧れていたのだ。コーヒー屋のペティ、という名前は店主の名からとったそうだ。コーヒーが好きすぎるあまりにオーナー自らが各地へ足を運び、こだわりの豆を揃えていたのもあり、地元の住人でその店を知らない者はいない。午前9時から午後5時までの営業ではあったが、常に客足は絶えないこの通りで最も有名な店の一つでもある。中でも一番人気は、ペティ・ガーゴイルと名付けられたこの店のオリジナルブレンドで、予約でないと買えなかったのもあり、地元住人がよく贈りものとして家族などに送っていたそうだ。

「名前!お前、まだ結婚していないのか」
「お見合い写真でも持ってこようか?」

閉店時間である午後5時、名前はいつものように閉店作業に追われていた。扉に閉店の看板が掛けられているというのに、といつものように現れた親友たちに苦笑する。

「バート、トム、閉店の看板見えなかった?」
「おっと、重要なところはスルーか?」

細身のトムに、筋肉質で大柄なバート。彼ら二人は名前が18歳の時ここに越してから知り合いとなり、今では大親友だ。二人は軍人ではあったが、同じ軍人でもこうも体格差があると少し面白い。

「はいはい、どうせ一生独身ですよ」
「ったく、ハンサムさんな癖に浮いた話の一つも無しとは」

24歳を迎えた名前の周りには結婚をし、家庭を持つ友人たちが多くいた。その中でもこの二人は18の頃、付き合いをしていた女性と既に結婚をしている。彼らのいう通り、名前はハンサムな部類だ。中性的、とまではいかないがどこか不思議な雰囲気があり、それに惹かれる女性も少なくはなかった。名前はグラスの水滴を布巾で拭きながら、レジの向こう側に用意された椅子に腰かける二人に視線を向ける。

「あの時さっさとイリアと結婚しちまえばよかったんだよ」
「あぁ、イリアとお前だったらものすごい美形な子供が生まれる事、間違いなしだぜ」
「…君ら、それ、ワザと言ってるんでしょ」
「あはは、ばれた?」
「…その冗談は止してくれ、まだ頬がずきずきと痛むよ」
「そりゃあ、そうだよなぁ、驚くよなぁ、イリアは確かに恐ろしいほどに美人で、完璧な女だ、そんな女に男が振り向かない訳がない!」
「ははは、あれからもう3年が経つってのに、まだ頬が痛いとは、そりゃぁ物凄く妬まれてたんだな」

名前の友人達でこの時、結婚をしていないのはイリアというフランス人とイギリス人のハーフである女性だけ。異性の友人の中では一番仲が良かったので、一時はそのイリアと名前は付き合っているのではないかと噂まで流れたが、その噂のお蔭で名前は自分よりも年下の少女に頬っぺたを引っぱたかれるという苦い経験をしている。あの時は少女を泣かせてしまったことに対する申し訳なさと、勝手な噂を流した友人にほんの少し憤りを感じた。その噂を流したのも、今目の前にいるバートという男。彼は人の色恋沙汰に口を突っ込むのが大好きなのだ。その場のノリで勝手な噂を流されてしまった挙句、その発言に対して責任を持たない。まったく、とんでもない男だ。と名前は思うが、何だかんだで憎めない奴でもある。

「もう3年かぁ…早いなぁ」
「何しみじみしてるんだ、まるでおじいさんだな」
「あはは…なんでだろうね、時の流れがあっという間で、もったいない気がするよ」
「なら女の1人や2人、作ればいいだろうが」
「……うーん、誰かを、そういう意味で好きになったことが無いからなあ」
「おお、どうやら家族の素晴らしさを知らないまま爺さんになっちまうつもりでいるらしい」
「本当にもったいないなぁ、名前は」
「ははは…」

この時は、時の流れがあっという間で。すべての時間が輝いて、とても美しかった。
女性を愛することも無くホグワーツを卒業し、そのままマグル界にて就職した名前の時間の使い方は、趣味の雑貨集めと仕事である。虚しい生き方だ、と友人たちは言うが名前にとって、この時をとても楽しく感じていたのだ。普通に、平凡に生きることが、名前にとって何よりの幸せだったからだ。勿論、何度か女性にそういう意味で求められた事があるが、人ではない自分が人である彼女たちと穏やかな家庭を築ける自信が無かったのですべてお断りしていた。自身が人でないことは、この親友たちにも知らせていない。魔法界の一部の人間だけが知る名前の最も大きな秘密だから。それに、名前は人として生きたかったから、マグル界へやってきた。名前にとって、そういった過去は不必要なのだ。

「イリアとジェシカは元気にしてるのかな」
「ん?なんだ二人に会ってないのか?」
「うん、あの日以来ね…やっぱり、避けられてるのかな」

じとり、と名前はバートに視線を向ける。あんなデマを流してくれたお蔭で、避けられちゃってるんだけれども、と。

「まーだ根に持ってるのかよ名前」
「当たり前だろう、君のお蔭で、修羅場になってしまったのだから」
「まぁそうだよね、バートの口先ってどうしてこうもぺらぺらとそんな事が出てくるんだろうねぇ」
「おい、トム、お前俺の味方じゃないのかよ!」
「僕はいつでも名前の味方さ」

ここに来て、初めて言葉を交わしたのはトムだった。道に迷った名前を親切に案内してくれた上に、ここでの暮らし方を知らない名前に多くの事を教えてくれた恩人でもあり、ここで生きる事を決めたきっかけでもある。

「おいバート、またお前は閉店後にずかずかと店内に入ってきたのか!?」
「おお、おやっさん、久しぶりだなぁ」
「何が久しぶりだ、昨日も来てただろうが」
「そうだったか?」
「ここはたまり場じゃねぇんだぞ」
「だから閉店後に来てるんだろ?名前が中々酒場に来ないからよ」

店の2階から降りてきた老人は、この店のオーナーであり名前の雇主、イーサン・ペティだ。イーサンは30年前離婚をして以来独身で、まさに趣味に生きる男そのもの。二人は店主がこうだから、名前もこうなるのではないかと少し心配しているのだ。幸せな家庭を持っている2人は、是非ともこの幸せを両親を知らない名前に味わってもらいたかったのだが、名前自身に今のところその気がないので、半ばあきらめ気味である。それでも、会うたびにまだ結婚をしていないのかと声をかけるのは、ジョークが半分、本音が半分と言ったところだ。バートたちに飲もうと酒屋へ何度か誘われ行くことはあったが、何度目かのある日、連れられた先はなんとお見合いパーティー会場だったのだ。ハンサムな名前は女性たちに散々連れまわされた挙句、家まで押しかけられるという散々な目に遭ってからというもの二人の酒屋へ行こう、はすべて断っていた。名前を誘って飲むなら3人の自宅で、というのが決まりとなっている。

「行くわけないだろう」
「これは僕らが悪いからなぁ…でも、あの時、名前面白かったなぁ、池に放り投げられたエサみたいだったね」
「ああ、あの会場で間違いなく名前は一番人気だったな」
「はぁ…こっちはかなりつらかったけどね…」
「悪かったよ名前」

2人の気持ちは分からなくもない。二人の家族を見ていると、家族っていいなぁと憧れるときも確かにある。だが、自分は人間ではないのだ。見た目はこうでも、根本的な生き方が違う。人間の血を毎日飲んでいます、なんて言ったら…絶縁されてしまうだろうな。親友たちに語れない秘密が、年を重ねるごとに増えていくような気がする。

「あ、そういやイリアの話に戻るけど、あいつとはついこの間あったばかりなんだ、ジェシカとは相変わらず、ラブラブだったぜ」
「そう…幸せそうで何よりだよ、ジェシカはまだ私の事が嫌いなのだろうか」
「あー、うーん…今は、どうだろうね、まぁ、彼女にとって名前は恋敵だし…」
「二人とも、ものすんげぇ美人なのに、同性愛者なんだよなぁ…」
「世の中の男に、入る隙、なしってところだね」

おちゃめに笑うトムに、二人もつられて笑う。名前が頬を引っぱたかれた事件の真相はこうだ。イリアに想いを寄せていた少女ジェシカは、両親の反対を押しのけ家を飛び出した。ジェシカは何度も、何度もイリアの働く店に通い詰め、何年か過ぎ、そしてついに想いを実らせることができたのだ。世間にどう思われようとも、イリアへの愛を貫き通し、また自分自身を心の底から愛してくれるジェシカに、イリアは深い愛情を感じたそうだ。
そんな中、バートによって流された嘘により、ジェシカは怒りの鉄槌を名前へ下したという訳だ。

「…また妙な噂流したら、許さないからね」
「あはは、わかってるって」

…本当に、わかっているんだろうか。それでも、まぁ…この二人が、ずっと元気でいてくれれば、それでいい。談笑する二人を横目に、名前は小さく微笑む。
すべてがやさしくて、温かい、そんな時間だった。