01 愛憎ロマンス/賢者の石

今、まさにその時が訪れた。何だかんだで…今まで生きていて、楽しかったと思う。悲しい事は、勿論多くあったが。彼の入学により、これからどうなるのか。あの子は、まだ死んでいない。そうアルバスに言われたあの晩、私は体中の水分がカラカラに干上がるのを感じた。すべて、彼が終わらせたものばかりだと信じていたから。

「今年から、マグル学を教える事になった名前・ナイトリーです。マグル学は3年生からの選択科目だけれども、ホグワーツ一ユニークな授業だから、興味のある者は是非受けてみてね。」

何十年たっても、この光景は変わらないな。名前は自身に向けられた好奇心に満ち溢れる、きらきらした純粋な瞳を眺め、微笑む。
その中には、彼の姿もある。あの子は、これからどんな道を歩んでいくのか。別に贔屓をしている訳ではない、ただ、あの子に置かれた状況があまりにも、辛く、悲しいものだから。あの時、ああしていれば、こうしていれば、こんなことにはならなかったのかもしれない。すべての元凶と深くかかわりのある己だからこそ、もう二度と、失わせないと覚悟する。

…と、言うのは所詮夢で。
朝起きた時、名前は何とも言い難い目覚めに顔を顰める。ふらふらとした足取りで、自室に備えられてある洗面台に向かい、歯を磨く。鏡は嫌いだったので、この洗面台には鏡が取り付けられていない。勿論、この部屋の中には鏡という鏡は一つもなかった。

「あぁ…アルバスに、ハリーが入学してくることを聞いたからかなぁ…なんて夢だ…」

夢の中の自分は、常にきらきらしていて、勇敢で、けして後悔のない男だった。だが、現実の自分はそれとは正反対の、長年の因縁から自分可愛さの為に逃げてきただけの卑怯者。

「喉がカラカラだ…」

と、専用のケースから赤い液体の入った袋を取り出しそこにストローを刺す。ちゅう、と音を立てて吸われるその赤い液体の正体を知る者は、このホグワーツではアルバス・ダンブルドア、ミネルバ・マクゴナガル、そしてセブルス・スネイプだけ。個人的に最も信用ならないセブルス・スネイプに自身の事を知られているのには何年たっても腑に落ちない。何しろ、彼はあの子の元しもべ、だ。頭では、今はそうではないとは理解していても…。

「…まだ、まだ、大丈夫、だ」

シャツからのぞく胸元を見て、つぶやく。あの子が復活すれば、ここに印が浮かび上がるはずだから。まだ、まだ、あの子は復活していない。だが…アルバスは言っていた、彼がまだ、どこかで息を潜めていると。ハリーに敗れ、殆どの力を失った為に今やどんな姿をしているのかもわからない。最後にあの子を見た時は、学生時代の面影を一切感じさせない、のっぺりとしたまるで蛇のような顔をした男だった。あの後、ジェームズたちが駆けつけるのが遅くなれば、どうなっていたのかもわからない。あの時はまだあの予言がされていなかった。
生まれながらに、呪われた存在。幼い頃、死を覚悟したあの日、私はそのまま死を受け入れればよかったのだ。そういう宿命なのだと、受け止めていれば。こんな思いを、しなくても済んだのかもしれない。
救えなかった数多くの友人、家族。もしかしたら、あの人たちは自分と出会ってしまったが為に、死んでしまったのではないか。疫病神なのではないだろうか、とさえ思う。最愛の家族の死から何十年が経った今でも、中々立ち直れずにいる。過ぎ去ってしまったことは、どうしようもできないというのに。

「ナイトリー、校長がお呼びだ」
「…ああ、ありがとうセブルス」

コンコン、という短いノックの後相変わらず不機嫌そうなセブルス・スネイプの声が聞こえてきた。彼は、かつてあの子のしもべで、我々とは対立している立場にあった。だが、あの予言の一件で彼は心変わりし、我々の味方となり、最も危険な二重スパイという役を買って出たのだ。それは、リリー・ポッターを救う為。あの予言のせいで、彼女の息子であるハリーは愛する家族を失い、今では意地悪なマグルの元で生活を強いられている。

「それと、これだ」
「……あ、ありがとう、ちょうどストックも無くなってきた頃だったんだ」

と、セブルスから赤い液体の詰まった袋をいくつか手渡される。ぱぱっと手渡すと、すぐさま手をひっこめ冷たいまなざしで名前を見つめる。

「―――貴方のような魔法使いがしくじるとは思いませんが、念のためご忠告をしておきます、貴方が何者であるのか、けして生徒に漏らさないよう」
「ご忠告ありがとうセブルス」
「では、貴方とは違い私は忙しいので、これで失礼する」
「あ…うん、手を煩わせてしまって、申し訳ない」

そそくさと去っていくセブルスに名前は苦笑する。セブルスのあの一言は、嫌味以外の何者でもない。きっと、未だに気に食わないのだろう、城に閉じこもり、逃げているだけの私が。
いつものように校長室へ向かい、ガーゴイルに合言葉を告げると、ゴゴゴと低い音を立てて扉が開く。この部屋は人生の中で最も通い詰めている場所であり、名前にとってはとても意味の深いものだ。

「おお名前、すまないね新学期の準備で忙しいというのに」

部屋の奥へ進むと、難しそうな書類をにらみながら紅茶を飲むここの校長、そして名前の育て親でもあるアルバス・ダンブルドアの姿があった。この人がいなければ、名前は野垂れ死んでいただろう。名前に人としての生きる道、そして魔法を教えてくれた命の恩人である。
名前自身はあまり当時の事を覚えていないのだが、彼と出会ったあの日、意識が朦朧とする中、部屋の中で燃え盛る炎を見つめていた。赤い炎は不思議と熱くなく、不思議と心地よさを感じたのも今でも覚えてる。あの日、二度目の死を感じた。それでも、良かったと思っていたのだと思う。そして、気が付けば見知らぬ部屋で、アルバスといたという訳だ。
孤児院を追い出されて、路頭に迷っていたあの日、生まれて初めての死を感じた。ここからが非常に曖昧であるが、そのあと運よくとある女性に助けられ、何かを飲まされた。ここまでが名前の覚えている、アルバスと出会うまでの記憶だ。

「どうだね、身体の調子は」
「はい、お蔭様で…昼夜逆転生活からも、何とかもとに戻れそうです」
「そうか、それはよかった、何しろ今まで夜間の仕事だったからのう…わしは君の体調が心配でならなかったのだが、何とか昼間の生活に戻れそうで何よりじゃよ」

色々とあり、このホグワーツに戻ってきてからというもの、今までホグワーツの裏方として夜間、書類整理や様々な事務作業を行ってきた。かつてはここでマグル学を教え、夜間はなるべく仕事を残さないよう早めに寝ていたのだが、それも随分と昔の話。一昨年はクィリナス・クィレル、去年はチャリティ・バーベッジがマグル学を教えていたのもあり、名前の仕事は裏方以外なかったためだ。アルバスは、名前の身の危険を考え、城に住まわせてくれている。それに、教師に欠員が出た時に、どの科目でも臨時講師として立ち回れるので、その他の教授にとってもいてくれて迷惑な存在ではない。

「名前、そういえばクィリナスが間もなく帰ってくる、漏れ鍋へ迎えに行ってはくれんか」
「あぁ、ようやく帰ってくるんですね。1年間の修行をしに行くと聞いた時は驚きましたよ」
「ほっほっほ、クィリナスは勉強熱心なのじゃよ、闇の魔術の防衛術でも、きっと素晴らしい授業を行ってくれるはずじゃ」

クィリナス・クィレルは元々マグル学の教授だったが、今年から闇の魔術の防衛術の席が空いてしまう為、適任として任されることとなった。アルバスにはそういわれたが、名前は正直、ある一件で彼に対して苦手意識を持っている。修行をして、目が覚めてくれるといいのだが。ここだけの話、名前は彼が1年間ホグワーツを離れると聞き、どれだけほっとしたものか。

「わかりました、では何時ごろ向かえばよろしいでしょうか」
「ふむ…確か午後1時頃には漏れ鍋に到着する、と言っておったかのう…随分と土産を買いこんだようだ」
「アルバニアの土産ですか…地元のバーボンとかが、あったら嬉しいですね」
「今夜、クィリナスが帰ってくることだし、広間で食事をするかのう」

ホグワーツに生徒がいないときは、基本的に教師たちの食事は各自室で行われる。食事等はホグワーツにいる無数の屋敷僕が勝手に運んでくるので、わざわざ調理場まで取りに行く必要がない。食事は豪勢で、バラエティに富んでいる。教師だけは特別に、食事内容をリクエストすることもできる。名前の場合、臓物パイが大好物なので、1週間に3回はそれをリクエストしている。

「そうですね、いいと思います」
「―――クィリナスの事は、まだ、苦手かね」

アルバスは、なんでもお見通しだ。というより、顔に出ていたのかもしれない。あの一件を知る唯一の人物でもあるので、これは誤魔化しきれないな、と仕方なく名前は口を開く。

「はい、まぁ、正直なところ……私は、その、誰かの想いに答えるとか、そういうのは…トラウマで」
「わかっておる、君が、今までどんな境遇で、どんな生き方をしてきたか…そんな君なら、そう思ってしまうのは仕方のない事」

アルバスの言葉に、名前は唇をかみしめる。こんな年になって、なんだか恥ずかしかったからだ。彼に直接、何があったのかは語っていない。だが、クィリナスと私の様子から何かを察したのだろう。それに、あの日は流石に顔に出てしまうのも仕方のないほど心身ともに草臥れていた。

「それに、彼は、うんと、年下ですからね」
「ほっほっほ、君よりも年上となると難しいかもしれんのう」
「ははは、そうです、ね」

何年たっても、結局私は隠し事の多い、何が誠で嘘なのかもわからないような人生を歩んでいるのだな、と内心嘲笑う。

「クィリナスを迎えに行くのは…そのため、ですか」
「あぁ、彼はまだ若い。君とでは人生経験がくらべものにならない程じゃ、たとえ、いかに優秀な魔法使いであったとしても」
「……わかりました、彼が、納得してくれるかは、修行次第、といったところですね」
「そんなところじゃのう、何かあったら…バタービールでも飲んでゆっくりしてきなさい」

アルバスは知っている。私が、すべてを語らない事に。
今も、昔も。
だから、私はいつまでもこの優しさに甘えてばかりで成長をしないのだ。